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冷凍されたオシドリとチューリップ人の王国

趣味で書いている小説用のブログです。

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我らの屍衣は真白〈3〉

我らの屍衣は真白(3/3)



 3.

 雲は空を映して黄色く濁り、雨が降る。止みそうにない。鉄道橋の下の建物で、壁に背中を密着させながら、テスは冷めた心に浮かぶ自分の思いを見た。
 俺は何をしているんだ?
 テスは座っている。体を小さくすればそれだけ見つかりにくくなる。頭上を建物の二階の庇が覆っている。足許は一階の庇だ。爪先には瓦でできた子鬼の像があった。
 さらの視線の先、路上、建物の影には言葉つかいがいた。鉄道橋の上の駅舎へ至る階段を見張るのに都合がいい位置だ。雨にも当たらない。言葉つかいは他に三人の取り巻きをはべらせて、一人小さな椅子に座っていた。髪の長い、上等の上着を羽織る男の言葉つかいで、靴も磨きたてのようにぴかぴかだったが、取り巻きを呼びつける動作には品がなかった。取り巻きは何か言いつけられて葉巻を差し出した。
 テスの心の冷たい思いは今や悲壮感に変わっていた。
 マニの狙撃があの言葉つかいに的中するとは思えなかった。いかに性能のいい狙撃銃であろうと、辺境警備を一年か二年しただけの、実戦経験のない人間が、一発で標的を仕留められる可能性は低い。テスにはわかっていた。十中八九、彼は失敗する。
 俺はここで何をしているんだ?
 取り巻きの男が、言葉つかいがくわえた葉巻に火を近付けた。男の体が言葉つかいに覆いかぶさり、離れた。そのとき近くでマニの狙撃銃が咆えた。
 マニは撃つタイミングは間違えなかった。だが弾は外した――テスが予測した通りに。弾は言葉つかいが背にする窓に当たり、割った。全員が浮足立つ。テスは子鬼の像の陰から身を起こし、舗道に飛び降りた。この程度の高さなら、大気の力を借りる必要もない。転がって衝撃を分散しながら着地し、片膝立ちになる。
 立ち上がりながら右手で半月刀を抜いた。
 言葉つかいへと大股で駆け寄り、距離を詰める。
 男たちも、目の前にいるテスが自分たちの獲物であることを認識しているはずだ。それでも一人切り込んでくるテスの大胆さに硬直し、反応できずにいた。テスは左手を右の腰にやる。半月刀の柄を握り、抜きざま言葉つかいの喉を切り裂いた。言葉つかいの喉は血を噴きながら笛のように甲高い音を立て、その長い響きが取り巻きたちを恐慌に陥れた。
 テスは男たちに背を向け、早急に離脱した。路地の奥へと走り去る。路地は緩やかな坂道で、途中、路地をまたぐ橋のように、民家の廊下が架けられていた。その廊下がマニの居場所だった。マニはまだ撃っていた。
 テスは廊下の下に駆け込む。雨が止む。廊下の下から飛び出す。雨がまた降る。
 何をしている、離脱しろ、と言いたかった。言葉つかいではない協会員を撃っても仕方がないうえに、止まっている標的に当てられないなら動いている標的にはなお当てられないに決まっているのだ。マニは興奮しているようだ。誰かを撃ってやらない限りは収まらないのだろう。
 テスは意識を集中し、風を身に纏った。石畳を蹴って舞い上がり、近くの屋根に飛び乗る。なお駆けていくと、路地を挟んだ向こう側、風見鶏がある家の三角屋根に見張りのセイヴェリンが伏せていた。マントをかぶるセイヴはしきりにある方向を指して、駆け抜けるテスへと合図を送ってきた。
 その方向に、肌の粟立つ気配がある。
 近い。
 テスは左右の手の半月刀の柄頭をぶつけ合わせ、ねじった。煙突がある大きな建物が前方にあった。その煙突の影からチラチラと、マントの裾が見えていた。テスと煙突の間には、まだ、建物が五軒。
 回り込むまでもなく、その人物は周囲の様子を伺うために煙突の後ろから出てきた。
 瞬間、テスはブーメランを振りかぶって投げた。
 それは風の力を受け、加速していく。
 ほどなくして言葉つかいの首に直撃し、長い血の帯をその傷口から流出させた。言葉つかいの気配が消え、男は倒れて三角屋根を滑り落ちていく。ブーメランは人間に直撃してなお勢いを落とすことなく、風に乗ってテスの手許に戻ってきた。
 二人。
 協会支部の建物の規模からして、言葉つかいは最低二人は支部に残るはずだ。なので敵は多くて四人というのがテスの見込みだった。
 これで二人。あと二人。
 路上の騒ぎが大きくなっていく。
 悲鳴と、怒号と、銃声と。
 とりわけ恐ろしい悲鳴があがった。テスは雨の中でそれを聞いた。長い断末魔が、マニがいた方角から聞こえ、目をやれば、そこから黒い煙が立ち上っていた。何が起きているかなど確かめたいはずもなかった。テスは屋根を跳び、路地を挟んだ向こうの屋根に着地した。危険を冒して鉄道橋に近付くことにしたのだ。
 連なる屋根の上を走っていると、駅に向かう道の途中、ケンを見つけた。彼は硝煙で頬を痣のように染めながら、テスを見つけて手を突き上げた。手には機関拳銃が握られていた。
「いいぞ! やっちまえ! テス!」
 テスは走り抜ける。
「戦え、テス。こっちを見るな。戦え。やめないでくれ」
 ケンは哀願し続けていた。
「テス! やっぱりお前は最高だよ! コイツらマジでお前にビビってやがる!」
 その声を、大気がテスの耳に送り届けた。ケンからどれほど離れても……。
「戦ってくれ! 戦い続けてくれ! やめないでくれ!」
 武装した一般協会員たちとの撃ち合いになった時点で、勝負はついていた。数も練度も違いすぎる。協会は彼らに慈悲をかけないだろう。
 洗濯場ではシーラが談話室に子供を集めていた。窓から離れたソファの陰に幼い子たちを一固めにし、比較的年長の子らが建物中の施錠を確かめる。
 女児が、歩き回るシーラの衣の裾を掴んだ。戦いの声と音は容赦なく子供の脳を打っていた。
「先生、誰か叫んでるよ」
 シーラは屈み、優しく欺いた。
「あれは、おはなしよ」
 手を離させると、ブラインドを下ろすべく窓に寄る。
 そして凍り付いた。
 広い干し場の一隅に女がいた。
 言葉つかいだ。マントに身分を表すバッジがついている。
 ここに、反逆の徒を匿ったこの場所に、言葉つかいが来た――。
 女だとわかったのは、白いマント越しにもわかる体の細さと柔らかさ、かぶったフードの下に光る顎の形ゆえであった。
 両肩に髪の房がかかっていた。
 雨を吸って重たげなその髪は、嵐が迫る空の色。黄昏、赤紫に淀む空の色。
「エリス?」
 シーラの唇は軽く、喉は言葉で詰まった。青白い目は開かれ、指は忙しく鍵を外す。
 窓が開かれた。
 今度ははっきりと、大声で呼びかけた。
「エリス!」

 ※

 見えない鞭が唸る。どこだ? テスは前のめりに前転した。体の真横の空間を鋭い衝撃が打ち据えて、赤い屋根瓦を砕いた。欠片がパラパラと、テスの足や靴に当たった。どこにいる?
 走り出しながら四方に素早く目を配る。鉄道橋。その整備用のキャットウォーク。水道橋。ここより高い屋根、屋根、屋根。窓、窓、窓。
 テスは屋根を飛び越えながら、高いところばかり探している自分に気がついた――直後、体の前面に、空中で一撃を浴びせられた。左の脇腹から右肩へと鞭の一閃が走った。弾き飛ばされ、近くの高い建物の壁に背中から直撃した。痛みに満ちた叫びが口から放たれ、すぐに押し殺す。頭がくらくらした。力が入らず、屋根に倒れ込み、そのまま舗道へ落下した。
 落下地点は言葉つかいの死角になる位置らしかった。追撃はなかった。
「どこにいる!」
 だが声は近付いてくる。最初から路上にいたのだ。テスは呻きながら両腕をついて上体を支え、顔を上げた。額から血が垂れてきた。思わず閉じた右目の上を、血は生ぬるく垂れていく。
 狭い路地の先は、本来宿泊するはずだったホテルの前の広場だった。その中央に麻布が敷かれ、後ろ手に縛られた人々が立たされていた。
 一人が右の二の腕を掴まれ、一歩前に引き出された。麻布の上でひざまずかされた。ワリンだった。その側頭部に協会員が銃を突きつけた。
「戦いをやめなくてもいいのか?」
 テスが落下した地点へと、ねっとりした男の声が迫ってくる。相手はテスに意識があるとは思っていないらしい。だがテスの頭ははっきりしていた。その頭にアーモンドのイメージが浮かぶ。大切に植える農夫の手。慈しむように水をやる手。
 テスは体に力を入れて、投げ出されたままの両足を体に引き寄せる。ワリン。アーモンド。無残に枯れたアーモンド。妻を殴る農夫。
 銃声。ワリンの体が倒れ伏す。協会員たちが慣れた手つきでその体を麻布で巻く。そして、あらかじめ布の下に通してあった紐で、頭の先と、足の先と、腰のあたりを撒いた。赤く染まっていく麻布が四人がかりで持ち上げられ、トラックの荷台に投げ込まれた。
 言葉つかいの足音が角に迫る。テスは建物の壁に体を預け、銃を抜いた。
「さあ、早く投降しないと――」
 角を曲がった瞬間、二発の弾丸を体に受けて言葉つかいは声を失った。
 広場でも、もう一度、処刑の響きが鳴り渡る。
 待ち受けていたかのように、雨が本降りになり始めた。
 テスは走る。痛む体で駆け抜ける。息は切れ、濡れた服がじわじわと、血を体の外へ誘い出す。
 広場での銃声。
 テスは歌を探している――
「ワタシ ノ アゴ ハ テン ヲ アオギ」
 ――違う。
「コウカク ハ アガリ」
 これじゃない。
「ホホ ハ ユルミ」
 おととい思い出した歌は、これではなかったはずだ。
「サレド クロイ ナミダ ナガレ――」
 思い出したと? おととい? ……昨日だったか?
 何かを?
 本当に?
「うっ――」
 テスは呻く。風の力を借りで身を浮かせ、二階建ての家の屋根に飛び乗る。
「――ぅううううううううぅっ……!」
 苦痛の呻き。苦悩の呻き。
「わからない……わからない……!」
 銃声。
 三階建ての建物の陰へ回り、跳躍する。屋根へ向かう。空を仰ぐ。黄色い雲。世界に注ぐ大粒の雨。あの厚い雲の向こうには、透きとおる空があるはずだ。空、空。
「帰……りたい……」
 着地。
 屋根の上で、言葉つかいが慌てて振り向いた。その向こう、広場では、処刑されたばかりの一人の男が手早く麻布で巻かれていく。
 テスは腰を落として突進した。風を纏い、風に乗り、立ち上がろうとした言葉つかいの脇腹に左手の半月刀を突き立てて、共に屋根から落下する。
「……お前で最後だ」
 四人目の言葉つかいは、その言葉を耳に流し込んだ直後、テスの右手の半月刀で喉を深く裂かれた。テスは近くの屋根へ。言葉つかいは路地に落ちていく。
 そしてまた銃声……。
 テスは息を喘がせながら、屋根から路地へ下りた。すると、隣で民家の窓が開いた。
「おい」
 その家の主婦が平然と声をかける。当然のように、胸には本を抱いていた。『亡国記』。キシャは主婦の体を借りて、通りのほうを指さした。
 その方向に目をやると、道を歩く人が見えた。男たち。三人。四人。ぼろぼろの服。青白い肌、違和感。
 死者。
 死者たちの後に、後ろ手に縛られて腰縄をつけられたケン、セイヴ、そして、洗濯場のシーラが続いた。広場に引き立てられていく。
 従容と死の途(みち)につくケンとセイヴの後ろで、シーラは振り向きながら叫んでいた。
「エリス、あなたは人間なのよ」
 涙まじりの声だった。
「どのような者として生まれようとも、あなたは人間なのよ、エリス。あなたは人間なのよ!」
 後列の死者がシーラを棒でついて追い立てていく。
 その一行が見えなくなると、テスは両手の半月刀を持ち直し、手の甲で右目の周りの血を拭った。額からの出血は続いていたが、勢いは落ちていた。路地から通りへ飛び出すと、そこに、シーラが呼び掛けていた相手がいた。
 エルーシヤ。
 通りの真ん中に立って、死者の働きを監督していた。
 純白のマント。フードの下の、死者の肌、死者の顔、死者の眼差しが、テスへと向けられた。
 距離およそ二十歩。
 雨の中、生者と死者、二人の言葉つかいは真正面から対峙する。

 ※

 抱きしめてほしかった。
 シーラ先生ならそうしてくれると思っていた。
 シーラは後ろからエリスの両肩に触れていた。そして控えめに押すと、洗濯場の入り口の前に停められた車に行くよう促した。
 男たちは慇懃に、子供のエリスに傅(かしず)いた。特別な存在であるからと。エリスは恐れていた。この男たちに暴力を振るわれる恐れはないとわかっていた。
 エリスははじめ、お父さんとお母さんの子で、お兄ちゃんの妹だった。
 それから洗濯場の子になった。
 成長に従って、生来の力が現れ出るようになると、もともと疎まれていたエリスは恐れられ、洗濯場に捨てられた。
 洗濯場を出て、次は何になるのかわからなかった。ゆえに恐れていた。
 この人たちについていくのがいいと先生は言う。
 黒い車にはロゴがある。太陽と塔と眼球。〈治癒と再生者の協会〉の紋章だ。
 そこに行けば、適切な教育を受けられるのだという。
 エリスの仲間がたくさんいるのだという。
 だからもう、仲間外れにされることはないと。寂しい思いをすることはないと。
 エリスは八歳。まだ誰かの子でいたかった。
「行きなさい」
 思わず振り向きかけたとき、前へ押し出すシーラの手の力が強くなった。
「振り返ってはいけません。静かに」
 その力は、エリスがもう洗濯場の子ではないことを告げていた。
「……善い言葉つかいにおなりなさい。世界を癒す者に……世界の再生者に」
 言われた通り、エリスは振り返らなかった。従うことで愛を繋ぎとめられると思っていた。
 愛があるのなら。愛されているのなら。
 けれどエリスは、いよいよ車が動き出すと、耐えきれず振り向いてしまった。最後にシーラの顔を見たかった。後部座席から見ると、先生は、洗濯場の建物に入っていくところだった。見えたのは後姿だけで、それも、扉の向こうにすぐ消えた。
「お嬢様、揺れますのでお気を付けください」
 道は荒れていた。昨日の戦いの痕跡が生々しく残り、瓦礫の中に、道端に、井戸端に、協会への抵抗者たちの遺骸がまだそのまま残っていた。
 どれも白い服を着ていた。洗濯場が依頼を受けて仕立てた真っ白い服。
「お嬢様、着くまでの間、何かご入用の物がございましたらお申し付けくださいね。しばらくかかりますので」
 エリスは鏡越しに、運転席の男を見た。それから助手席の男を見た。後部座席の左右の男たちと、真ん中に座る自分を見た。エリスのワンピースは粗末で汚れていた。
「白いお服が欲しいな」
 心を開かぬまま、エリスは要求した。
「お服でございますか」
「うん」
 運転席と助手席の男たちが言葉を交わす。調達できるか。確かにあの服では。お嬢様に恥ずかしくないお召し物を……。
 エリスは呟く。一人きりの、自分の世界に入り呟く。
「エリス、白いお服を着るんだ。真っ白の。ちゃんと白いお服を……」

 ※

「火」
 その言葉が顕現し、死せるエルーシヤの掌に揺らめいた。
「炎」
 火はエルーシヤとテスの間に投げ放たれ、二人を裂く火柱となった。二つ。三つ。紅蓮の向こうで標的が動くのをエルーシヤは見た。旅人の言葉つかい。男性にしては小柄なほうだった。両手には半月刀――それが、向かってくると思ったら、火柱の陰に消え、それきり本当に姿を消した。
 上から来る。
 視界の端、民家のバルコニーに動くものの影が映る。
 炎の中で、エルーシヤは口を開けた。首を大きく仰け反らせ、指令の声を出す。
『来い』
 生きている者の耳には決して聞こえない声で、彼女は死者を呼びつけた。
『来て守れ』
 死者らが集い来る。バルコニーのテスの目が、辻から匕首(あいくち)を振りかざしてくる死者へ動いた。その間にエルーシヤは路地に紛れ、付従う死者に、適当な民家の戸を破壊させた。
『標的を無力化せよ。生死は問わん』
 その家に踏み込んでいくと、奥の台所に、女と、男と、二人の子供がおり、固まって怯えていた。エルーシヤは死者を従えて冷酷に告げた。
「出ていけ」
 一家はその通りにした。
「エルーシヤ」
 死者の耳を通して、標的、テスの呼びかけが耳に届いた。エルーシヤは二階に上がる。通りを見下ろせる部屋に入ると、そこは夫婦の寝室だった。呼びかけは続いた。
「聞こえるか、エルーシヤ……いいや、エリスか?」
 エルーシヤの目は見開かれ、口角は吊り上がる。彼女は部屋の入り口で両手を広げ、高く上げた。応じる。
「勇気に賛美を」
 火を思う。その火を、標的の一番近くにいる死者に流し込む。火花そして火柱。死者の叫びののち、その体が爆ぜる音。窓が紅蓮の火に染まり、爆風でガラスが震えた。テスの、食いしばった歯の間から漏れる、クッ、という息の音が聞こえた。
「燃えろ」
 残忍な喜びに、エルーシヤは口を開く。
「燃えろ、燃えろ、燃えろ」
 テスを取り囲み、追い詰めるよう、次々と死者の体に火と火花を送り込む。
「燃えろ燃えろ燃えろ、燃えろ! 燃えろ!!」
 だが、テスの声はいささかも冷静さを失することなく続いた。
「エルーシヤ、お前は言ったな。俺のように落ちてきた者は、必要があって世界に存在すると思いたがると」
 いつの間にか、その声は、エルーシヤが潜む民家から離れた路地に移動していた。
 エルーシヤを探しているのだ。
「お前はどうなんだ?」
 と、思いきや、今度は高いところから聞こえた。
「誰かに必要とされたいと思ったか?」
 すぐにその声を死者が取り囲む。交戦の音に、生きているテスの荒い息遣いが混じる。疲れているようだ。それもそのはずで、戦闘開始から四十分が経過しようとしていた。四十分もの間、彼はこの区画を駆けずり回り、一人で四人の言葉つかいを相手にしたのだ。しかも手負いだ。
『標的に集え』この家には二体だけ、エルーシヤを守る死者を残すことにした。『焼き殺せ』
 広場では抵抗者たちの処刑が続いていた。
 後ろから肩を押され、セイヴはよろめいて新しく敷かれた麻布の上で膝を折った。左のこめかみに銃口が当たっても、彼女は俯かなかった。爆音。屋根の上で火柱が上がる。何かを追うように、次の火柱は路上で次々と噴き上がる。あの火がある限りテスはいる。戦い続けている。
 銃口は熱かった。セイヴは震えていた。こめかみは火傷を負い、汗がしみてひりひりした。
「小娘じゃねえか」
 銃口にほど近い耳に、男の一人が声を流し込む。
「上玉だし、やりようによっちゃ、お前、俺たちの中で生きてくこともできるんだぜ」
 セイヴは戦いの火から目をそらし、視線を左に動かした。死をもたらす者の顔を確かめると、涙を流しながら口を吊り上げた。
「はあ? ……嫌に決まってんじゃん。馬鹿なの?」
 銃声。

 ※

 ただ者ではないことはわかっていた。かなりの手練(てだ)れと聞いていた。もともと武器を扱う仕事をしていたのだろう。だが、それにしても普通ではない。どれほど恐怖を与えても、傷と苦痛を与えても、疲れさせても、標的の戦闘意欲が落ちる気配はない。はっきり言って異常だった。
「歌わないのか?」
 興味が湧いて尋ねた。死者エルーシヤの喉には、おとといテスから受けた弾痕があった。もう二度と痛むことも、塞がることもない。
 質問が返ってきた。
「歌?」
「先の戦いでは歌っていたではないか」
「何の話だ?」
 エルーシヤが真顔になったのは、テスはとぼけてなどいないとその声でわかったからだ。
「お前は歌っていた」
「いつ?」
 敢えて重ねて尋ねはしなかった。
 死者の耳から聞こえる声は、テスの声だけではない。今や、家を壊され、この雨の中に追い立てられてきた人々が、土砂降りの雨に打たれながら、戦闘が行われる区画から逃げ去りつつある。その喧騒が聞こえた。
 エルーシヤの空(から)の心に焦げ茶色の感情が淡く滲んだ。それは嫉妬だった。群青色の感情が混じり、マーブル模様になっていく。それは羨望だった。深緑の感情の滴が垂れた。それは渇望であった。
 汚い、色の不調和。
 色は言葉を形成した。
 あちら側になりたかった。
 弱者を強く打ち据えて、強者にか弱く打ち据えられる者。平均的な群れの一人に。
 極めて弱い者であるか、極めて強い者であるか。エリスの、エルーシヤの在りようは、そのどちらかでしかなかった。
「私も……」
 あちら側に。
 普通の人になりたかった。世間のあたりまえの人に……。
 広場に残る抵抗者と、その協力者はあと二人。
 ケンは後ろ手に縛られたまま麻布にひざまずいていた。処刑人が銃口に突き付けて問う。事務的に、だが、それでも人間の証のように。心ある印のように。
「言い残すことは?」
 麻布越しの雨水と血が、服からしみてケンの膝頭を濡らしていた。ケンは希望を探していた。命を託すものを探した。
 それはあった。
 テスのブーメランが見えた。路地から飛び出てきて、燃え盛る死者を打ち、爆散させて、路地に戻っていく。圧倒的な数の暴力をものともせず、テスは善戦していた。善い言葉つかい。恐らくは、そうであろう者。
 見ていると、鉄道橋の上の駅舎でベルが鳴った。発車十分前の合図だ。
 汽車は動く。
 街を出ていくのだ。
 戦いを置いて。殺戮と支配を置いて。暴力を置いて。旅人を乗せて。
「テス!」
 堪らず叫んだ。
「テス、お前すげぇよ! 最高だよ! 最高にすげぇ奴だよ!」
 ケンは生きていた。生きてきた。愛を告げるべき相手がいた。礼を言うべき相手がいた。懺悔すべき相手がいた。
 それでも言葉と情動はテスに向けて費やされた。
「見たか? なあ、俺は見たぜ! あいつらの泡喰ったツラをよ! ざまあみろ! ざまあみろ! あいつらはいつでも自分が殺す側だと思ってた! 油断大敵ってやつだろ? そうだろ、なあ!?」
 テス! ケンは叫ぶ。テス!
 その声はテスの耳に直接届いていた。ケンは笑っていた。半月刀を振るいながら、テスは心の中で問う。そうすれば、相手の魂に聞こえるかのように。
 ケン、どうして笑うんだ? 俺は何もできなかった。お前たちを死に追いやる以外のことは何もできなかったじゃないか。
 雨がテスに注ぎ、体を伝って流れ落ちると、鉄くさい、淡褐色に染まった水がその足跡に残った。
「戦いをやめないでくれ」
 流血に息を喘がせながら、テスは聞き、戦っていた。
「行ってくれ。どこにでも行ってくれ! 自由に! 行け! テス!」
 声が絶叫に変じる。
「生きろ、テス! 死ぬな! お前は生きろ! 生きろ!!」
 銃声。

 ※

 エルーシヤはいない。だが、死者がいるほうを探せば見つかるはずだ。動ける死者が減れば、彼女は必ず自分の身を守ろうとするはずだ。死者は十分に減らした。残りの死者が集まるところがエルーシヤの居場所だ。テスは駆ける。
 エルーシヤとの再会を果たした場所に戻りつつあった。途中、テスは見つけた。扉が破壊された民家を。
 その頃広場で処刑を待つのは今やシーラだけであった。順番がくるまで、彼女は奇跡を待っていた。エリスに会いたかった。だが、彼女に声は届かない。彼女の声も届かない。
 エリスは遠くに行ったのだ。見えないほど遠くに。
「言い残すことは?」
 シーラの目は彷徨う。
 空。
 街。
 人。
 目に映るすべてが濁っていた。澄んだもの、清いもの、透き通るものはなかった。
 瞼を落とす。口を閉ざす。首を軽く振った。胸の前で両手を組む時間が残された。
 ベルが鳴る。
 発車五分前。
 銃声。

 ※

 鳥は空を愛し、風は鳥を愛す。
 雨覆羽(あまおおいばね)もない。風切羽(かざきりばね)もない。雨に打たれるままの鳥、泥にまみれて這う翼。
 時間がなかった。風に身を預け、死者であふれるその家の屋根へテスは飛んだ。屋根を反対側に突っ切りバルコニーに着地する。そのバルコニーに火柱が上がった時にはもう、テスは窓を突き破り、室内に転がり込んでいた。
 エルーシヤはその部屋にいた。テスの俊敏さに反応が追い付かず、ただ火を背景にきらめくテスの目の鋭さに射られてたじろぐだけだった。
 一呼吸の間もなかった。テスは眼前にいた。そうとわかったときにはもう、首に半月刀の一打を受けていた。痛みはなくても、衝撃は伝わった。
「エルーシヤ」
 左手の半月刀でエルーシヤの首を刺したまま、テスは右手の銃で左右の死者を撃ち倒した。
「今からお前を切り刻むけど、痛かったらごめんな」
 銃を半月刀に持ち替える。
「死者を殺した経験は一度しかないんだ」
 それをエルーシヤの腹に突き立てた。死者は呻きもしなかった。
「鳥だった、俺が殺した死者は――」
 エルーシヤは口を開く。階下の死者がどよめく。半月刀の刃がエルーシヤの頬に穴を穿ち、声を奪わせた。
「鳥」
 左右の肘を引き、刃を引き抜く。
「生かしたかった」
 よろめき後ずさるエルーシヤへと足を踏み込み、右手の半月刀をエルーシヤの右肩から左の脇へ、左手の半月刀を反対の肩から脇へ、振り下ろした。エルーシヤの体に大きなバツ印が刻まれる。
「鳥だったんだ。美しかった。愛らしかった。生かしたかったに決まってる。あんなことになるとは思わなかったんだ、あんなつもりじゃ――」
 死者たちは来ない。
「――なあ、お前、鳥を見たことはあるか?」
 そして、歌を忘れた一羽の鳥は、もはや囀(さえず)ることしかできない。
「鳥。鳥。素晴らしい生き物なんだ。羽毛がたくさん生えていて、翼を広げて空を飛ぶ。きれいな目、きれいな形、きれいな存在感」
 エルーシヤは壁際に追い詰められ、倒れることも許されず、縦横に振るわれる半月刀に切り刻まれるがままだった。血は流れず、目はただぐるぐると動いていた。
「鳥、鳥、鳥」
 エルーシヤの右腕が肘の下から落ち、左腕が肘の上から落ちた。
「なあ、見たか? どこで見た? 鳥はどこにいるんだ? みんなどこに行ったんだ? なあ、エルーシヤ……」
 胴が崩れ落ちる。首が離れたのだ。
 テスは右の半月刀をエルーシヤのこめかみに突き立てて、左の半月刀を、首を切り離した勢いでエルーシヤの額に叩きつけた。
「死ねたか?」
 それを最後に、エルーシヤの目が完全に濁った。階下のどさっ、どさっ、という音は、生かされていた死者たちが再び死に伏す音だろう。
「……そっちはどんな具合だ?」
 二度と返事がないことを確かめると、半月刀を振った。刃がエルーシヤの生首を放した。生首は長い髪と一緒に床を転がった。
 テスは振り返る。
 戦闘が終わっても、やることは終わっていなかった。走らなければならなかった。半月刀の刃を拭きもせずに鞘に納め、窓から飛び出した。屋根へ飛びあがり、道を飛び越え、連なる瓦を疾走する。途中、広場を見た。血に染まる最後の麻袋が、トラックに投げ込まれた。言葉つかいの協会の男が二人、それぞれ運転席と助手席に乗り込んだ。
 どこかへ去っていく。
 テスは屋根を下りた。
 視界が暗くなっていく。
 駅舎へ続く、幾重にも折れ曲がる長い階段に辿りつくと、ついに目の前が真っ暗になり、テスは倒れた。
 あれほどの戦闘の後にも関わらず、テスの体は冷たかった。顔面は蒼白で、唇は紫色だった。浅く速い呼吸を繰り返しているが、今にも気を失いそうだった。
 発車一分前のメロディが、無情に鳴り響く。
 それから十秒。
 二十秒。
 テスは目を開けない。
 三十秒が過ぎた。水溜まりを踏みつけて、人が歩いてきた。平凡な主婦だった。主婦は左手に『亡国記』を掴んでいた。
 主婦に身を借りるキシャは、テスの前で立ち止まると、口許に冷厳さを漂わせてテスを見下ろした。そして無言でテスの右の二の腕を取ると、強引に引っ張った。まだ意識はあった。引かれるままに身を起こし、両膝をつくテスに、キシャは命令した。
「走れ」
 四十秒。
「キ……シャ」
「無駄口を叩くな。死にたいのか」
 テスは雨に顎を上げる。高く、高く高く――駅舎は絶望的なほど高く、遠かった。そして、最後のベルが鳴ってから、五十秒が経過した。キシャは更に強く二の腕を引き、その力を借りてテスは膝を伸ばす。よろめき、階段の壁に手をついた。
 足を踏み出した。
 長い長い階段の、ようやく一段目を踏みしめる。
「キシャ――」
 もう手は貸さないが、それでもキシャはついて来る。
「こうなることはわかってた」
「それがどうした? 奴らはお前が何を言っても聞き入れなかったさ」
「それでも手を貸せば」
 ついぞ、発車を告げるベルが鳴る。長く。
 テスはまだ階段の、最初の折り返し地点にすら辿りついていなかった。
 蒸気機関車がけたたましく警笛を鳴らした。
「……生き延びる……可能性が……増えると思ってた……」
「言い訳をするな」
「どうすればよかったんだ?」
「先のことだけ考えろ」
「先――」
 先。見上げる階段の先で、警笛が止んだ。
「何をすればいい」
「戦え」
 煙突が黒い煙を噴く音。車輪が動き出す。その振動が階段に伝わった。ずるずると、先頭の蒸気機関車が、続く寝台車と、食堂車と、寝台車と、寝台車と、寝台車と、サロンと、寝台車とを引きずり始める。
 テスは奥歯を嚙み締めた。
「戦え。そして立ち上がれ。何度倒れても。何度傷ついても」
 力をかき集めた。これで最後だ。意識を集中し、大気を集め風に乗る。階段を蹴って、屈折する階段の高い段差を越えた。更に跳び、手すりを乗り越える。駅舎に近付いていく。それを見届けると、キシャは主婦を離れた。
 本が浮き、黄金の輝きで雨に抗いながら空へと上っていく。その光が雲に消えてから、主婦は階段の途中でふと我に返った。自分が何をしていたのか思い出せず、ただ困惑して辺りを見回した。
 蒸気機関車はいよいよ加速を続けていた。集中力が切れ、テスは最後の折れ曲がり地点を越えた先の階段を駆け上っていた。一両。一両。また一両。一両。客車は容赦なく頭上の駅を去りつつあった。
 階段を上り切った。改札の向こうに、一瞬、黒光りする客車が見え、すぐに流れて見えなくなった。行ってしまったのだ。
 駅員の目がテスを見た。テスはそのまま走り、改札を素通りした。
 長い客車の、その最後尾を追ってホームを駆け抜ける。駅員が怒鳴りながら追ってきたが、テスのほうが早かった。まだ加速しきらぬ客車を追う。戦え、戦え――。
 最後尾の車両はサロンだった。伸ばした指先が木製のデッキに迫る。その手すりに触れた。手すりを掴むと同時に、テスはホームを蹴った。体を前倒しにし、デッキの床に倒れ込んだ。後は蒸気機関車が、テスを街から運び出す。
 テスは雨を避けて、デッキの扉を開けた。二重扉になっていた。内扉と外扉の間で、テスは誰にも見られずに、ずるずると座り込んだ。内扉の向こうのサロンに人の気配はなかった。
 誰かがまっすぐやってくる。内扉が開いて、若い車掌が現れた。車掌はずぶ濡れのテスを見下ろして、物を言いあぐねているようだった。
 テスは要求される前に、マントの下の服のポケットに手を入れた。
 血と雨でぐしゃぐしゃになった乗車券を車掌に差し出す。
「巻き込まれたんだ、さっきの――」
 車掌はようやく頷いた。
「左様でございましたか」
 乗車券を検(あらた)めると、車掌は出て行った。テスはしばらく動けそうになかった。早く傷口を乾かさないと――そう思いつつも朦朧としている内に、車掌が戻ってきた。白いタオルが差し出された。テスは帽子の下の車掌の目に、自分の視線を注ぎ込んだ。
「どうぞ、お使いください」
 タオルを受け取ると、今度こそ車掌は去った。いよいよ一人になり、テスはタオルに顔をうずめた。タオルは血と水と煤でみるみる汚れていく。
 テスは体を震わせた。体中が震えていく。一人呻く。
「寒い……」
 その声を、誰も聞き届けなかった。






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