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冷凍されたオシドリとチューリップ人の王国

趣味で書いている小説用のブログです。

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我らの屍衣は真白〈1〉

我らの屍衣は真白(1/3)



 倦み飽きた世界は滅ぶ。それは、創造主ですら予期しなかった言語生命体の反逆。
 寒い世界。夕闇の国。
 ここでは、言葉が望むなら、太陽までもが堕落する――。

 1.

 茜に透き通る日光が、石畳の舗道にしみていく。
 青白い肌の一団が広場を埋めていた。少年から老人までの男だけで形成されるその一団は、めいめい、血の通わぬ手に斧や鉈を握りしめていた。そして、決して瞬きしない目を、広場の先に向けていた。
 広場を起点に街を貫く大通り。その辻の左手に、古いホテルがあった。ところどころ欠けた煉瓦の壁にツタが這い、埋もれかけた青銅の看板に、かつてこの街が豊かであった頃の栄華が刻み込まれている。
 広場の奥から十人あまりの男女が現れた。ホテルに目を注ぐ一団を、二手に分かれてぐるりと迂回して、彼らは迷いのない足取りでホテルへ突き進んでいった。

 ※

 予感に心臓を掴まれ、テスは目を開けた。眠りは迫る物々しい気配によって砕かれた。ベッドから身を起こす。ほとんど同時に多くの足音がホテルの南棟に踏み込んできた。
 その音は、中庭を挟んだ北棟にまで聞こえてきた。
 同室の旅人たちは、疲れ果て、眠りから覚めようとはせず、あるいは起きている者も、呆然とベッドに座っているだけだった。一人だけ、僅かに顔を上げた。
 テスは肩の下まで伸びた暗緑色の髪を手早く一つ結びにし、衣擦れの音も立てずに大部屋を横切った。
 廊下はワックスの臭いがし、北向きの窓からの光は乏しかった。闇のように輝く板張りの先に階段が待ち構えている。古く、僅かでも油断をすればたちまち軋むその階段を、テスは慎重に下りていった。
 中庭への扉を開けると、南棟から声が聞こえてくるようになった。強い口調で男がまくし立てている。何も生えていない、黄色い砂だけが打たれた中庭には、石畳の通路が一筋敷かれていた。南棟の窓の向こうに、エントランスを埋める人々の姿が見えていた。テスは腰を屈め、目立たぬよう小さくなって通路を渡った。
 南棟への入り口となる扉に身を寄せる。ここまで来れば聞き耳を立てずとも十分に中の会話が聞こえた。
「街を守る俺たちが調べさせろって言ってるんだ。あんたのどこに拒否する権限がある?」
 腕を伸ばしてそっとドアノブを回し、外開きの扉を引いた。身を乗り出して中を覗く。
 素早く扉の陰に戻った。
 そしてまたドアノブを掴んで、音を立てぬように閉めた。
 踏み込んできた人物は、十一人から十三人。
 銃を提げている者もいた。
 女もいるがほとんど男。
「権限もなにも」
 応じる声は受付の女のものではない。恐らくホテルの支配人だ。
「あなたたちは客でもないし、街の施設に押し入って何かするような立場でもないはずです。そちらこそ何の権限でそんな要求をするんです?」
「うるせえ!」
 カウンターに固いものを叩きつける音。
「お前らがこの街で商売なんざしてられるのも、化生(けしょう)どもに喰われずにいられるもの、言葉つかいの力で守られてるからだ。そこんとこ、わかってるんだろうな」
 テスは生唾をのんだ。
〈治癒と再生者の協会〉。
 異能の『言葉つかい』とその恭順者たち……。
「確かにそれは言葉つかいの力でしょうとも」支配人の声に嘲りが混じる。「あなたがた金魚のフンどもではなく」
 剣呑な沈黙。
「おい、もういいだろ。勝手に探しちまおう」
 別の男が言った。そこまで聞けば十分だった。テスは立ち上がり、北棟へと通路を駆け戻った。
 細く開けた扉に体を滑り込ませる。
 光の乏しい室内でその扉を閉めたとき、ちょうど、南棟から中庭に出る扉が荒々しく開け放たれた。
 テスの後ろには階段があった。階段には、一階からの視線を遮るものがなく、中庭の足音は早くも扉の前に迫っていた。
 ついぞ北棟の扉が開かれた。
 押し入った男たちは、無人の廊下を見た。
「お前は俺と二階に来い。お前らは一階を捜せ」
 その声を、テスは階段の下に屈んで聞いた。
「汽車は早けりゃあさってには動くらしい。絶対逃がすなよ」
 複数の足音が北棟に入ってきた。うち二人の足音が階段を踏み鳴らし、テスの頭上を過ぎていく。
 それが階段を上がり切ってから、テスは階段下を出た。
 男たちの一人が、二階の一番奥の部屋に押し入っていく。もう一人は既に、一番手前の部屋で怒声を上げていた。彼らには、廊下に見張りを立たせる余裕がなかったのだ。
 テスは開け放たれた手前の客室をそっと通り過ぎ、奥から二番目の部屋に入った。
 客たちもさすがに意識をはっきりさせていた。一人の老人が不安げに声をかけた。
「おい、あんた……」
 テスは取り合わなかった。窓際のベッドまで行くと、その下から銃のホルスターを引っ張りだして腰に装着した。続けて二本の剣帯、二本の半月刀を左右の腰に下げる。粗末な作りの灰白色のマントを羽織り、その余りの布地を頭に巻き付ける。帽子の代わりを果たすと同時に、目立つ色の髪を隠すのに役に立っていた。最後に首筋と胸を斬撃から守る、茶色い大判のストールを首に巻いた。
 身支度に十秒。
 脇目もふらず窓に寄れば、中庭には見張りが立っていた。
 北棟と南棟、それぞれの出入り口に一人ずつ。
 躊躇いから息をのむのと、廊下の荒い足音の主が戸を蹴り開けるのが同時だった。
 テスは振り向き、その男を見た。太って、四角い顔をした、細い目の男だった。
 シャツの青さが目にしみた。
 視線がぶつかる。テスはついぞ窓を開け放ち、窓枠に両手をかけて上半身を傾けた。
 そのまま床を蹴る。
 体をひねり、足から落ちていきながら、テスは二階の声を聞いた。
「いたぞ!」
 黄昏の光満ちる中庭に、テスは転がりながら着地した。
 マントが砂に広がる。
 膝立ちになったときには左手に銃を握っていた。迷わず南棟入り口の前に立つ男の足を撃つ。
 二人の見張りは何も反応できなかった。
 撃たれた男が、ぎゃっ、と叫んでうずくまる。テスは走り、その体を飛び越えて、ほとんど扉に体当たりするように、南棟に飛び込んだ。ようやく中庭に二階から人影が落ちたのは、テスがすっかり姿を消してからだった。
 エントランスの低い天井にはイミテーションのシャンデリアが点り、カウンターでは受付の女と支配人が凍り付いた目でテスを見ていた。南棟の追っ手たちは、まだ事態を察知していない。
 正面玄関から外へ。果てぬ夕闇の中へ――。
 扉を閉めもせずに、テスはポーチで足を止めた。靴底が砂で滑り、音を立てた。
 正面の広場に予期せぬ群衆が待ち構えていた。
 血の通わぬ肌。
 身にまとうぼろ。
 その一人一人の存在感の、風景から浮き上がるような違和感。
 何かを訴えるように開いた、しかし物言わぬ口。
 悲壮を湛えてテスを貫くすべての視線、その源である目は、どれも決して瞬きしなかった。
 テスはその者たちの正体を唇に乗せる。
「死者……」
 五十は下るまい。皆、農具や工具を武器代わりに握りしめている。
 後ろのエントランスから迫る足音に、テスも動いた。
 右手を左の腰に。左手を右の腰に。
 半月刀を抜く。
 右足を半歩踏み出し、刃を上に向けて右手を左の腰に、左手を右肩の上に置いて構えた。
 一呼吸。
 テスの濃い茶色の目から温厚さが拭い去られ、戦いの光が宿る。解き放つように両手を振り下ろした。死者たちが、操られるままに、めいめい武器を振りかざしてテスへと押し寄せた。
 テスもまた、死者たちに向かっていく。
 左手の半月刀が、降り下ろされた鎌の持ち手を捕らえ、右手の半月刀が迫る大鋸を牽制する。頭と腰を低くし、駆け抜けながら、それぞれの持ち主の腹を裂いた。
 死者は血を持たない。
 広場に血は流れない。
 ただ、テスのマントが翻り、半月刀が閃いたその後に、死者たちの武器が落ち、手首が落ち、はらわたがこぼれ落ちた。そして呻きと力ない嘆きがテスを追う。
「死を……」
 死者の指先が、縋りつくように後ろ髪に触れた。
「もう……一度……」
 右足を大きく踏み出し、身を低くしながら腰を捻って上方向に半月刀を払う。衰えた筋肉と枯れた骨を一撃で断ち切った。
 声の主へとテスは宣言する。
「すぐに終わらせてやる」
 テスは戦い方を覚えている。他の記憶はない。彼に記憶はない。そして、これは街の記憶――。

 ※

 裁縫室。
 今日の労働で仕立てた白い衣が五十。
 明日血に染まるそれが、今夕陽に染まっている。
 一人、老いていきながら、女が検針済みのタグを襟につけていく。
 一着ごとに深まる皺。
 一着ごとに増えるシミ。
 指は荒れ、爪の間には、石鹸のかけらが詰まっている。
 六台並ぶ足踏みミシンの前に、女の影は黒く横たわる。その影の頭部を踏む小さな足。
 女は気配に手を止めた。
 少女が部屋の入り口に立っていた。八歳の女の子。ワンピースが汚れきっているのは、洗っても、洗っても、これ以上きれいにしようがないからだ。破れには当て布がされている。足ははだし。むき出しの膝小僧は震えている。
 遠慮がちに少女は入ってくる。怯えている、いつも。大人に殴られるのではないか、急に怒鳴られるのではないかと。女は唇を開く。が、言葉を発したのは少女が先だった。
「先生、どうしてお父さんとお母さんは迎えに来てくれないの? いつ来るの?」
 襟とタグから手を離し、女は膝を伸ばした。膝が痛んだ。ゆっくり少女のもとに歩み寄り、屈んで目線を下げた。
「エリス、お父さんやお母さんと暮らしたい?」
 答えない。
 質問を変えてみた。
「お母さんと暮らしたい?」
 今度は頷いた。そして、尋ねるというよりは確認した。
「先生、私はお母さんに捨てられたの?」
 その目を慈悲を込めて見返しながら、女は少女の両側の二の腕に手を添えた。
「お母さんはね、ご病気で……」
 言葉が続かない。
「なんの病気なの?」少女の声が潤む。「いつ治る病気なの?」
「いつ治るかはわからないわ。病気とは、そういうものなのよ」
「お見舞いに行きたい」
 意志を見せつけるように語気を強くした。
「それは難しいわ」
「なんで?」
「それほど、よくないの」
 嘘だ。少女もわかっている。わかって言い返せないから、唇をかんでいる。さりとて保護者を睨みつけることもできず、じっと目を伏せている。
「行きましょう、エリス」
 痛む膝を伸ばし、女は立ち上がった。
「先生が、ご本を読んであげる」

 ※

 死者を生かすことも、死者を殺すことも、言葉つかいにしかできない。近くにいるはずだ。死者たちを見下ろせる高みに。
 そういうわけで、テスは町の長い急坂を駆け上っているところだった。広場を埋め尽くす死者たち、とテスは認識したが、甘かった。広場を突破した先の坂道にも彼らは配置されていた。
 今、テスの右側は壁。左側は手すりと高い段差。
 死者たちが兵士として訓練されているという手応えはなく、テスの前で無力だ。だが、数が多かった。加えて長い長い上り坂に、テスは息を弾ませている。追い来る死者たちは決して疲れない。傷つき怯むこともない。
 坂の折れ曲がる地点に差し掛かる。
 顔面に直射日光を浴び、目を細めた。
 敵は前方、坂の上に三人。次の折れ曲がり地点に二人。間近の敵が長い鍬(すき)を上段に構え、踊りかかってきた。その後ろの死者の手が光る。
 銃だ。
 その射線を眼前の敵で塞ぐ。
 鋤の一撃を後ろに跳びのいてかわし、左右の手の半月刀の柄頭をぶつけ合わせる。ねじった。柄頭が連結器になっているのだ。
 一度鼻先をかすめて石畳に当たった鋤が、次は横薙ぎにテスの腹をかすめた。動きを止めた鋤の真横を通り抜け、テスはブーメラン、すなわち連結された半月刀を投げた。それは正確に、銃を持つ死者の首を胴から切り落とした。
 銃弾が顔の横の壁を削った。直後ブーメランが戻ってきた。左手で捕らえ、連結を解く。
 マントを後ろになびかせ、体じゅうで息をしながら、果たしてテスはもう一人の死者の向こうに探す者を見つけた。
 言葉つかい。
 前方、坂を上り切った先の歩道橋。そのカーブで交差する水道橋の上。
 白いマントのフードを深くかぶり、歩道と、坂と、死者たちと、テスを見下ろしている。
 言葉使いが右手を上げた。その周囲の空気が蜃気楼のように揺らぐ。
 テスは次の折り返し地点から迫る死者を相手にせず、手すりに左手をかけ、斜面を蹴って段差を飛び降りた。
 自由落下、そして、倒れた死者を踏みつける形で着地。直後の爆音と熱気。視界を炎の色に染めて、一段上の坂で太い火柱が上がる。その中で一人の死者が黒く焦がされていくのを視界の端で見た。
 下へ向かう折り返し地点へ。
 曲がったところで、鋭い手斧(ちょうな)の刃が待ち構えていた。
 右腕を首にかざす。左腕は顔の前にかざした。左手の半月刀の刃で手斧を受け止める。体当たりで押しのけ、体が離れるとすかさず右手の刃で死者の首を払った。
 ところが角度が悪く、その刃は死者が切る服の布地と乾いた皮膚、水気のない肉と、太い首の骨に深く食い込んで、抜けなくなってしまった。
 追手が坂の下から迫りくる。
 上からは熱気が。
 足許から風をまとう。
 マントがふわりと浮く。服が、ストールが、髪が、強くなびき、その風に乗って、テスは突き刺した死者ごと左へ跳躍した。
 体を浮かせ、段差を乗り越えて空中へ。
 直後、折り返し地点で次の火柱が激しく立ち上った。
 テスは空中で右腕を引きながら、左腕で死者の顎の下を裂いた。
 次いで肩を。
 右の半月刀の刃が、ようやく抜けた。
 風を消す。死者が下に、テスが上になる形で自由落下を始めた。
 最後の一撃を浴びせて、死者の首を完全に胴から切り離す。着地し、マントで舗道を撫で、テスは坂を下り続けた。その姿を、生首となった死者がぎろりと睨み、視線で追いかけた。
 坂の下には黒い屋根の大きな建物があった。柵にはこう看板が掛けられていた。
『ハウザー洗濯場』

 ※

 その日一日の洗濯物が運び込まれる裏庭と、裁縫室。その間に小さな部屋があり、鍵は壊れ、倉庫となったその部屋には誰でも入れる状態だった。
 部屋の奥、夕日が染める窓の下には低い棚が設けられ、埃をかぶった絵本が収納されている。
 歳の頃五つか六つの女児が、今、重たげに戸を開けて部屋に入ってきた。彼女は奥の棚に向かい、その上に、見たことのない本を見出した。
 それは、絵本ではないようだ。
 女児は字が読めなかった。だが、革表紙には金字でこう記されていた。
『亡国記』
 女児は右手の人差し指の爪を噛んで空腹をごまかしながら、その本の前で立ち止まり、首をかしげて見下ろした。
 そして、右手を下ろし触れた。
 指先が表紙の革に沈む。
 途端に本全体が黄金の輝きを放った。輝きは女児の目を見開かせ、声を奪った。女児はもう、本から手を放すこともできなかった。

 ※

「聞け! 反逆者よ!」
 鍔競りあうさすまたと半月刀の向こう、死者の口が開き、生きている、張りのある、若い女の声で告げた。水道橋の濃く長い影の中で、テスは息を詰めた。が、空いている右手の銃が火を噴き、対峙する死者の腹を撃った。
 すぐに背後で同じ声が響く。
「何を求めて貴様は我らから逃れる」
 左足を軸に振り向き、死者の喉を裂いた。死者は横手に弾かれ、煉瓦造りの水道橋の支柱に叩きつけられた。
「俺は――」
 テスは今、見つけだした言葉つかいの死角となる位置にいる。言葉つかいが水道橋の上から動いていなければだが。テスの現在位置を特定するために呼びかけているのだろう。
 だが敢えてテスは答えた。
「お前たちの無意味な支配と殺戮に荷担したくないだけだ」
 息を弾ませていながらも、ゆっくりした喋り方は変わらない。それは冷静な印象を相手に与える。
 民家の平屋根の上から甲高い哄笑が下りてきた。その家の人間が、窓から離れて息を殺しているであろう間に、死者は笑いながら舗道に下りてきた。間もなくテスの右手の銃による一撃を額に受けた。
「ほう、そうか! それで、我々に背いたとて、他にすることがあるのか?」
 テスは銃をホルスターに収め、半月刀に持ち替えた。
 死者は多く、よほど体を破壊しない限り、倒れてもまた立ち上がる。きりがない。
「答えられんか? そうだろう」
 水道橋に沿って走る。女の声の伝達者となった死者の横を素通りした。
「そう。この世界に落ちてきたばかりの者は皆そうだ。自分は何らかの求めによって呼ばれたと、するべきことがあってここに存在するのだと思いたがる。きっと誰かが自分を必要としてくれるとな!」
「必要とされるかもしれないし、されないかもしれない」
 眼前に、道を塞いで死者が三人。
 右の通りから二人。
 水道橋の下から一人。
 テスは高い水道橋の下へ駆け込む。
「どちらでも、お前たちの仲間にはならない。お前たちの、こんな冒涜的なやりかたは認めない」
「冒涜的だと?」
 すれ違うときに死者の口から放たれた女の声は、どこか面白がっているようだった。
 橋を抜ける。
 通りに、屋根の上に、家々の戸口に、死者たち――その数は、今しがた通り抜けてきた水道橋の反対側よりも多いようであった。
 テスは大きく息を吸い込んだ。
「お前たちは人と、人の生き死にと、神と、何もかもすべてを冒涜している」
 ふわりと風をまとい、浮き、大気の足場を作り蹴った。
 一番手近な屋根に着地する。
 そこに死者はいなかった。
 通りの向こうの屋根からの返事は再度の哄笑であった。
「何がおかしいんだ?」
「言葉の力の前には死などないのだよ、お前。死のないところに神はない。その神が、我ら言語生命体を作った地球人であろうと、地球人どもが崇拝した唯一神とやらであろうと!」
 テスの目は素早く水道橋の上への最短ルートを探す。
「それに」
 近くに高い建物はない。あの歩道橋以外には。
「よく聞け。言葉つかいでない者は人間ではない」
 テスは助走もつけずに平屋根の縁を蹴り、通りの反対の屋根へ飛んだ。そちらのほうが歩道橋に近いのだ。くるりと回転してバランスをとり、膝をついて着地する。
「……何だって?」
「我々言語生命体は言葉でできている」
 左右から死者が迫りつつあった。テスは屋根を駆ける。
「言葉でできているのなら、言葉の力を使えるのは当然。それができない奴は生まれ損ないだ。人間として生まれ損なったなら人間じゃない」
 平屋根の終端に、梯子がかけられるのが見えた。
「人間じゃない奴は……」
 梯子からひょっこり顔を出し、死者が叫んだ。
「殺していいんだよおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 平屋根を突っ切り、再度の跳躍と着地。
 歩道橋に近付いていく。
「だがしかし、反逆者よ、よかろう。お前がこれを人だというのなら」
 今度はすぐに、着地した屋根の向こうに人の手が現れた。ついで頭が。胴が。片膝をついてよじ上ってくる。一人。二人。
 何か足場になる物があらかじめあったのだろう。
「人を、人の生き死にを、神を、何もかもすべてを、さあ――」
 はたと足を止めたテスの後ろで、ゴト、という音を立てて、梯子が掛け直された。気配が続々上がってくる。
「――冒涜せよ」
 前で、後ろで、死者が半円形に並んで立ち止まり、テスを取り囲む。
 最後の一言を告げるや、正面に立つ死者の両目の中に火が弾けた。バチリと音がし、テスは身を引く。
 背後からも同じ音がした。バチリ。
 バチリ。バチリ。
 最初に全身から火を噴き上げたのは、正面の死者だった。長い長い、苦痛の叫びが口から放たれた。女の言葉つかいの声ではない。
 生焼けの肉のにおいが立ち込め、死者は立ったまま、なお二度めの死を許されず、内側の力の奔流にもてあそばれて腰をひねり、手足を踊らせた。
 後ろで。左右で。
 既にごうごうと燃え盛る火柱となっていた。四肢をばたつかせ、呻き、その身を黒く焦がしながら、死者が短い距離を駆け寄ってくる。
 光と熱に囲まれて、テスは右手の半月刀を左の腰に構え、足を踏み出した。
 死者はテスを抱きしめようとした。
 身をかわし、通り抜けざま表面の炭化した死者の腰を切り裂く。
 途端に傷口が爆(は)ぜた。
 火の手と衝撃波がテスの体を打ち据えた。
 体の前に両腕をかざすが、どうにもならなかった。
 体が浮いたと思った直後、平屋根に叩きつけられた。そのまま屋根の上を転がり、縁にたどり着く。
 その縁を掴もうとは思ったが、体が言うことを聞かなかった。
『愛の日々』
 今度は石畳の舗道に叩きつけられる。
『愛の日々』
 ごく短い旋律。
 無意識に受け身を取っていた。テスは半ば呆然としながら目を開ける。
 歌、と、頭の中のもう一人の自分が強く訴えていた。テスは己に問う。歌?
 衝撃から立ち直る前に、誰かが上にのしかかってきた。
 歌!
『愛の日々――』
 この歌い出しで始まる歌があったはずだ。
 開いたテスの目に映るものは、またがる死者がテスのために振り上げた包丁、その刃に反射する夕日の輝き。そして、四方から迫る死者の手の、研ぎ澄まされた刃物のきらめきであった。

 ※

 洗濯場の子供たちは談話室に集められていた。窓には薄い白いブラインドが下ろされて、その向こうでは、戦いが行われていた。
「ねえ先生。あのお話の続きを聞かせてよ」
 壁にもたれて敷布に座り、平常心を装って、少女が職員に呼びかける。老いの兆す女は少女の呼びかけに応じて微笑み、膝を枕にして眠る小さな子供の頭を撫でた。
「何のお話をしようねえ」
「空の色を塗り替えようとした悪い言葉つかいのお話」
 どこかで何かが爆発する。
 悲鳴が聞こえた。
 男たちの悲鳴。
 窓にしぶきが散る。
 しぶきの影は、ブラインドに映って垂れ落ちる。
 少女は影を目に焼き付ける。
「エリスは本当に、言葉つかいのお話が好きだねえ」
 先生と呼び慕う女のその向こう、しぶきが未練のように延びていく――。

 ※

 歌。
「アイ ノ ヒビ チ ノ ヒ ト ナリ タエ」
 戦闘歌。
「ヘイワ ノ ウタ ヒメイ ト ナリ キユ」
 旋律は単純で、音域も安定しているが、長音が多くて息継ぎが少ない。
「ヒト ハ ヒト ヲ ウバイ」
 戦闘によって激しく酸素を消費しながら、更に歌で呼吸を困難にし、自らを極限に追い込むことで膂力(りょりょく)を最大限に発揮する。
「マチ ハ マチ ヲ ウバウ」
 トランス状態に導くのだ。
 このことを、この歌を、あの街で教わった。
 あの街? どの街だ?
 恐らく、故郷、生まれた街。
「シ ハ アオジロク ツチ ヲ ハイ」
 テスは血を流しながら、自分の精神に深く入り込んでいく。
「アルベキ コエ ノミホス」
 記憶がなくても唇は動く。
 体は覚えているのだ。
「貴様、歌っているのか?」
 死者の口が語り掛けたことも、その声が異様さに怯む気配を見せていることも、テスは意識しない。ただ、燃え始めていないその首を切り落とす。
 水道橋の上で、女の言葉つかいはじんわり広がる不安によって鼓動を早めていた。敵が、今どこにいるのかわからない。死者たちの反応、彼らの燃え上がる箇所によって大体の位置がわかるはずなのに、肝心のその死者の数が急速に減りつつある。
 そして、死者の耳を通して歌が聞こえ続けた。
「トリカゴ ノ テンキュウギ」
 これまで標的は、必要以上に死者を傷つけることを避けていた。今は違う。何かが奴を変えた。
「イノレドモ キコエズ」
 その声も小さくなっていく。
「サケベドモ トドカズ」
 近くの死者が殲滅されたのだ。
 言葉つかいは不安に駆られて手すりのない水道橋を横切り、反対側を見下ろした。
 その耳に直接歌の続きが届いた。
「ハテ ナキ」
 影に体を覆われる。
 言葉つかいは振り向いた。だが、凍り付き、何もできなかった。
 どうやって上ってきたのだろう。歩道橋に姿は見えなかったのに。
「ヨル――」
 テスはマントを翼のようにはためかせて水道橋に着地すると、女に銃を向け、素早く二度撃った。
 女はよろめきながら後ずさり、水道橋から足を踏み外す。
 そして姿を消した。
 地面に叩きつけられる音が、遥か下方で響き渡る。
「……ル」
 テスはそれさえ見ていない。
「……ス……ル」
 彼は無意識を見ていた。そこに見出したものを見ていた。
 なくしてはいけない記憶を。
 水道橋に立ち尽くし、顔をあげる。
 そこに太陽を見出した。
 堕落を。
 この世界の言葉が望むままに堕ちた、黒い太陽を。
 テスは叫ぶ。忌まわしき太陽に、記憶の名を叩きつける。
「ミスリル!!」





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