FC2ブログ

冷凍されたオシドリとチューリップ人の王国

趣味で書いている小説用のブログです。

07<< 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 >>09

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アイとセカイをめぐる冒険〈16〉

第四話 君は強い(3/5)



 3.兆候

 アパートメントに帰ったとき、ちょうどリビングの電話が鳴っていた。ジュリは無視して寝室に向かった。憂鬱な気分と疲れはどこまでもついて来た。電気をつけるのも、戸を閉めるのも面倒で、そのままベッドに倒れ込む。
 メッセージの録音に切り替わった。
『もしもし? ジュリ? パレット・アイスクリームのチャンだ。昨日も電話したのだがいないようだし……ちゃんと家に帰ってきてるんだろうな? その、なんだ、言いにくいんだが、そろそろな……実際のところお前をこのまま雇っておくのは難しい状況だ。わかるな?』
 気まずそうに黙る。
『個人的には同情してるし、カレシのことは本当にご愁傷様だ。ただ店長としては……その……まあなんだ、とにかくこのメッセージを聞いたら店に来い。いっぺん顔を見せろ。アルタもジュバも心配している』
 ぶつっという音がして、いよいよアパートメントの一室はジュリ一人の暗い世界となった。
 ジュリは服を着替えることもなく、起きるでも眠るでもなく、ただ闇の中で目を開けたり閉じたりした。いずれ眠気が来ないことを悟るとサイドテーブルに手を伸ばした。ランプをつける。暖色の光が広がった。長い褐色の指がテーブルの天板を這い、ランプの下の数枚の小さなアクリル板を掴んだ。それを顔の前に引き寄せて、ジュリは目を開けた。
 アクリル板にはそれぞれに一つずつの紋様が刻み込まれていた。
「ナヤー?」
 想像する。カッターにアクリル板を装着する恋人の指を。
「ナヤー」
 想像する。カッターからアクリル板を取り外す恋人の指を。
「ねえ……」
 疲れていた。涙も出なかった。かつて恋人が触れたはずのものを握りしめ、ジュリは目を閉じる。
 彼はどのような実験のためにこのアクリル板を用意したのだろう。いつ? あの喧嘩の前だろうか? 後だろうか?
『やめてくれよ。俺だって疲れてるんだ』
 受話器越しの不機嫌な声が鮮明に蘇り、ジュリは思わず緊張に体を強張らせた。
『でも友達とは遊びに行くんじゃない』そう受話器にまくし立てる自分の声。まるで今この場で口にしているような生々しさ。『私との約束は平気で破るくせに! どうしてなの? 最近こんなのばっか。たまには私を優先してくれたっていいじゃない!』
 顔が熱くなっていく。
 ナヤ―との交際は幸せな記憶ばかりではなかった。混乱と苦しみのほうが大きかったかもしれない。
 それほどうまくいっていなかった。
 本当はわかっていた。ナヤーは単に友達と会うほうが気楽だからそうしていただけだ。自分に会ってもらえなかったのは、自分がそれだけ気を使わせていたからなのだ。
 恥ずかしくて、惨めで、死にたかった。死んで『たかいおそらのガイア』とやらに行けばそこでナヤーに会えるだろう。死のうか。ああ、でも、彼はどこまでも私を避けるだろう。私を嫌ったまま死んだのだろうか。きっとそうだ。ならば私の顔など死んでも、そう、文字通り死んでも見たくないに違いない。
 最後の数ヶ月、本当に避けられてばかりだった。別れるならせめてきちんと別れを告げて欲しかった。けじめを付けて欲しかったのに、会うどころか、決して話をしようともしなかった。
 惨めで、惨めで、今も惨めなままだ。涙が出る。ナヤーの死が悲しいからではない。自分がかわいそうだからだ。
 そんな自分が嫌で、更に惨めになるのだった。

「お父さんは大学の教授なの」
 聞かされたのは二度目のデート。
「数年前までの状況しか知らないけど。あなたと同じ紋様学の分野なんだ。奇遇だね……紋様学のどの領域を教えてたかは知らないけど、たまに邂国にも来てるみたい。コウキも会ったことあるかも」
 アリシアの視線はとうに空になったデザートピザの皿やソーダ水の器をさまようが、時折目を上げヤシロを見た。そして、決まって曖昧な笑みを見せ、またそっと目を伏せるのだ。
 そんな彼女は、初めて会った夜に比べてずっと血色がよく、あの投げやりな態度も今は感じられない。
 これは僕に気があるな。
 と、ヤシロは結論した。
 嬉しい。
 美人が僕に興味を持ってくれた。
 彼の心の中はひどく締まりない様相だ。だが表情はいつもの真顔。 
「ていっても、西大陸のあの戦争が終わってから東大陸にも来るようになったわけだから、まだ最近だけど」
「じゃあ僕はもう就職していたな。なんていう名前の人なの?」
「マイケル・ホルト」
 それを聞き、残念になった。「知らないや」知っていたら話が盛り上がったのに。
「あのね、あと――」
 アリシアが、急に勢い込んだ口調となった。
「私、家族のことで言わなきゃいけないことがあるの。早く言ったほうがいいかと思って」
「なに? 言ってごらん」
「私、子供がいるの」
「子供?」
「二人」
 ヤシロはゆっくり、意味を飲み込みながら目の前の愛らしい、童顔の恋人の容姿をただ眺め、自分の中にある母親のイメージと重ね合わそうとした。それは自分の母親であったり、種々の物語で語られる母親の偶像であったり、また世界各地の母親を意味する紋様であったりしたが、アリシアに馴染むものはなかった。
「えっと、実の子供?」
「ええ」
「てことは、君が生んだの?」
「当たり前じゃない」
 ヤシロは生ぬるい笑みを浮かべて相槌を打った。「だよね」
 それからやっとまともな反応をした。
「……って、その子たち今どこにいるの?」
「母親のところ。……私の母親」
「非常に聞きにくいんだけど、君、ここにいていいの? いや、誘ったの僕だけどさ」
 アリシアとヤシロは今やすっかり互いの姿から目を背けていた。ややあって、躊躇いがちにアリシアが提案した。
「会う?」
 泥沼化の予感で胸を満たしながらもヤシロは頷いた。
 悪夢かもしれない。

 悪夢だ。
『誰に聞いたんだ、俺がここにいるって!』
 黒い背景に、恋人の怒った顔。
 いくつものイメージがフラッシュバックする。
 ビリヤード台の緑。
 穴の黒。
 玉の白。
 キューの銀色。
 色彩、色彩。
 キューを構えるナヤー。
 床にこぼれたコーヒー牛乳の茶色。
 ロッカー鼠色。
 花瓶水色。
 花の赤。
 色彩……。
『みんなでご飯に行ったのよ、そしたらナガセ君が、ナヤーは今ここにいるって』
 自分の声はぐずぐずと言い訳をする調子だ。
 ジュリはナヤーと一緒にビリヤード場の外にいた。ナヤーはいらだち、それを容赦なくジュリにぶつけた。
『そんなこと言って、俺の後を付け回してたんじゃないだろうな』
『するわけないでしょ、私はストーカーじゃない。ただ心配して……』
 ナヤーは顔をしかめて舌打ちした。
『……だって、昨日電話であんなこと……』
 自分のことをダメ男なんて言うから。
 自分に絶望してるなんて言うから。
 そんなことを言う人じゃないと思っていたから。
『帰れ』
 放っておいてくれなんて言うから。
『帰ってくれ』
 ねえ、本当に放っておかれたら、あなたはもっと深く傷ついたんじゃないの? そうでなければ何故あんなことを言ったの?
 悪夢だ。これは夢だ。だけど残念ながら本当にあったことだ。覚めろ、覚めろ、早く終われ。終わってしまえ。
 だけど、行き場のない嘆きとともに悪い夢は続く。
 ジュリは蹴る。ビリヤード場の扉を。板チョコを連想させる形。丸いノブの形。細長い鍵穴の形。
 輪郭、輪郭。
 色彩と輪郭。
 涙の色と輪郭。
 蹴り付ける靴の色と輪郭。
 ジュリはほとんど吐きそうだ。
『私はただ』場面が変わる『どうすればいいかわからなくて』レストランにいる。カウンター席だ。
『どうすればよかったっていうの。いきなりダメ男は放っておいてくれなんて言われた場合どうしたらよかったの? 教えてよ。あんた言ってたね、私に対していつも君は初めての恋愛だからどうたらこうたらって。だったら正解を教えなさいよ! どうしてほしかったのよ!』
 隣の男に言い募る。
『なのにあんたは無視ばかり。あんたはホントにあんたの言うとおりだよ。逃げ癖のある、ひどい、最低のダ――』
 息をのんだ。
 隣にいるのがナヤーじゃないと気付いたからだ。
 男。
 何も特徴的なところが見いだせない男。
 恐らくどこかで出会ったことのある、けれど別れて数分後には忘れてしまう、そんな男が口を開いた。
『悲しいものだねえ。自分が心底惚れた男がただのどクズだって認めるのはねえ』
 見た目と違い、ねっとりした声は印象的だった。負の印象。
「誰?」
 男の顔をよく見定めようとする。だが見えない。目の前にいるのに。霧がかかっているわけでもないのに。暗すぎるわけでもないのに。
『彼がキミにつらく当たったのはね』
 場面だけがめまぐるしく変わる。カウンターにとなりあって座っていたり、丸テーブルに向かい合って座っていたり、舗道の段差に座っていたりする。
『キミに甘えていたからなんだよ』
 ブランコに並んで座って男が笑う。嫌な笑いだった。
『ボク、わかるんだもん。どんだけヒドく粗末に扱っても許してくれるか、試さずにいられないんだ。ヒヒヒ、彼はきっと女性と見たら甘えずにはいられないタチなんだねえ。わがままいっぱいで自由奔放なボクちゃん、でもママはそんなボクちゃんが好きで仕方がないんだ、ってなもんだよお』
「あんた、誰なの」
『つまりね』
 メディアパークのメリーゴーラウンドに乗って、男は肩を揺すって笑い続ける。腹が揺れているのが見えた。一つ特徴が見えた……この男は太っている、たぶん。
『いい? 彼に必要だったのはね、人生の伴侶じゃなくて、おっぱいのデカいママなんだよ。あのとき彼があんなに怒ったのはねえ、えへえへえへ、わかるぅ?』
 やめて。
 ジュリは胃がムカついて、今にも吐き出しそうだった。
『むちゅこたんは、ママに遊び場に入ってきて欲しくなかったからなんだよお』
「ナヤーはそんな人じゃない!」
『ホントぉ?』
 場面が変わる。
 ジュリはこの見知らぬ男と一緒にベンチに座っている。
 メディアパークの一角だ。そういえば、ナヤーとこのベンチに腰掛けて、話をしたことがある。メディアパークでデートをしたカップルは別れるというジンクスについて。
 そうだ。
 この不快な男を見かけたのは、恐らくそのときだった。
『キミ、それホントに信じてるぅ?』
 目の前がぼうっとする。
 この夢は何だというのだろう。まるで覚める気配がない。
『ボクが思うにね、カレに悪気はなかったんだあ』
 目線を下げたジュリは、男の着ている服がはちきれそうに膨れているのに目を留めた。やっぱり男は太ってるんだ。その服には、デフォルメされたたくさんの人々が描かれていた。顔のない人々。
 ジュリは呻く。
「お願いだから黙って」
『カレはね、カノジョに対してサイテーなことをほんとに自然にしちゃうんだ。キミが何に傷ついたかもわかってないし、知る気もない。ていうか、キミが傷ついたってこと自体に興味がないんじゃないかなあ』
 よろめくように腰を上げた。もはや何に腰掛けていたかもわからない。ただふらつく足取りで、遅い遅い逃避を始めた。
「ナヤーはノイローゼだったの! いっぱいいっぱいだったのよ!」
 声は後から追ってくる。
『だからって、キミは八つ当たりされて平気なのかなあ? 自分のせいなのかどうかもわからない問題で何週間も放っておかれて、話し合いも拒まれて」
 水の中を歩くような重い走りを止めた。途中から自分が喋っていたことに気がついたからだ。
『あのな、お前が心底から惚れ込んだ男はもういないんだ』
 街頭の入緑色が窘める。
『ていうか、最初からいなかった』
 ハトの羽の灰色が囁く。
「彼は私を愛してた――」
『目を覚ませ。あの男はお前をママ扱いして、それに飽きただけだ』
 その声を放つのは入門ゲートの柵の褪せたオレンジ色だった。
『ママ扱いされた女がやりきれなさを凌ぐ方法を教えてやろうか?』オレンジ色は冷たい声で続けた。『男を財布扱いすればいいんだよ。世の中そこらじゅうの旦那が、カレシが、自分が財布になりさがってることに薄々気付いていながら女と別れられないのは何でだと思う?』
 思考が凍り付き、言葉を失うジュリに看板の水色が陽気に叫んだ。
『その男は財布だ! 割り切っちゃえ! 割り切るのが嫌なら別れちゃえ!』
「別れ……」
『って言ったって』その水色に浮く錆の赤茶色が、明らさまに侮蔑を込めて言い放つ。『別れるも何も死んじまったんだよなあ!』
 哄笑が渦巻く中で、ジュリは強く両耳を塞いだ。

 深夜。
 何度めかもわからぬが、同じ新聞のコピーにヤシロは目を落とした。そろそろ文面を暗唱できるようになりそうだ。
『白昼の惨事 メディアパーク前にて銃撃事件 愉快犯か』
 見出しの通りの事件が起きて、若い学生が殺された。十三発の銃弾を受けた被害者は即死。犯人は被害者から何も奪わず逃走し、多数の目撃者がいたにも関わらず、未だ捕まっていない。
 知らず知らず、長いため息が漏れる。ヤシロは眉値を寄せて首を振り、コピーを作業机に伏せた。
 起動したままの演算機がメールの着信を告げた。椅子を回し、画面と向かい合う。身を乗り出してメールを開いた。
 大学の恩師からだった。
『コウキ・ヤシロさん

 お久しぶりです。あなたのことはもちろん覚えていますよ。ここ数年噂を聞くこともなかったので、つい先日、ヤギラ教授とどうしているだろうねと話をしていたところです。お元気そうでなにより。
 お問い合わせの件ですが、ホルト教授は一昨年の途暦997年12月より、この大学での定期公演会にお招きしています。紋様を用いた精神疾患治療分野の開拓で名をあげつつある方で、東大陸ではまだほとんど無名ですが、今年中に著書のB群語訳が新アジアでも店頭に並ぶ予定です。
 もしホルト教授の講演会への参加を希望されるのでしたら、大学側でチケットを販売しておりますよ。実は今、ちょうど邂国に滞在されていらっしゃるところです。

 ナヤー・シルバ君の件は本当に痛ましい限りです。銃規制に関しては慎重な議論が必要ですが、一日も早くあのような事件が撲滅される日が来ることを心から願っています。

 ビビアン』





 <<前へ「第4話 君は強い(2/5)」
 >>次へ「第4話 君は強い(4/5)」
 目次へ


 | ホーム | 

プロフィール

とよね

Author:とよね
ファンタジーやSFをメインに小説を書いてます。下のカテゴリ欄から読めるよ!
★印つきは連載中。

冷凍オシドリ累計

ブロとも申請フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。