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冷凍されたオシドリとチューリップ人の王国

趣味で書いている小説用のブログです。

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アイとセカイをめぐる冒険〈13〉

第三話 輝ける闇(5/5)



 5.邂逅

〈Q4.チグリスの主要宗教であるガイア教とロゴス教がかつて同一の宗教であったとするモラン博士の著書『霊の実相』を引用し、Q2及びQ3を回答内容を対照せよ〉

 レン・ツジムラは約束の時刻より四十五分遅く、第二集積帯のホテル『チャタルヒュユク』のレストランに現れた。退勤が遅れる旨連絡は受けていたが、それが給仕係の口から知らされてから一時間と経っていない。車を飛ばしてきたのだろう。だが、オールバックの髪は整い、かちっとしたスーツに乱れはない。無表情にわずかに緊張が滲んでいるものの、初めて会った日の印象と変わらず、生活感のない男だ。
 前菜が運ばれるのも待たず、ツジムラはヤシロが見つけた学生証の提示を丁重に求めてきた。実物を手にしても、ツジムラは顔色を変えず、喉仏を上下させただけだった。くるりと裏返し、走り書きを見つけた。それからまた学生証の表を向け、抑えた口調で告げた。
「娘のもので間違いありません」
 そして、丸テーブルの向こうから黒い瞳でヤシロをまっすぐに見据えるのだった。
 強い男だ、と、視線の圧力を受けヤシロは思う。この男は、憐れまれたり、痛ましく思われることを頑として拒んでいるのだ。
「……そうでしたか。それではツジムラさん、失礼なことをお伺いして申し訳ございませんが、これまでにご家族のことで何者かから脅迫を受けたことは」
「ございません」
「ご家族に、〈ガイアのみ言葉普及協会〉の関係者とお付き合いがあったということはございませんでしょうか」
「聞く限りでは」
「では、入信されるということは考えられますか?」
「妻は比較文化学を専攻しておりました。学生時代には現代のカルトや新興宗教の問題に光を当てた論文の幾つかが高く評価されています。とても入信するとは」
 と、頭を軽く横に振り、
「しかし、人の心のこと……どのような変化が起きるかはわかりません」
 前菜が運ばれてきた。ホウレンソウとヨーグルトのディップだ。給仕が個室から出ていくまでの間、ヤシロもツジムラも、葬式のように黙り込んだ。
「ツジムラさん」ヤシロから口を開いた。「電話で少しだけお話しした、現場で出会った覚醒者について包み隠さずお話しいたします。私自身の身の安全も関わっています。ですからどうか、娘さんと最後に会われたときのご様子をお聞かせいただきたいのです。何か手掛かりが隠されてるかもしれません」
「お恥ずかしながら、妻子とはもう二か月近くの間顔を合わせていないのですが……」
 ツジムラは軽く、品よくため息をついたが、それもどこか芝居がかっていて、同情を寄せ付けぬ気配は変わらなかった。
「ある夜帰宅したところ、テーブルに調印済みの離婚届けと置き手紙が残されており、妻も娘も姿を消していました。妻の実家に電話をかけたものの、妻の母に『そっとしておいてほしい』と言われたのみでした。その日の朝の娘との口論が、妻には耐えがたかったようです」
 それはこのような口論だった。
 十三歳の仏頂面の美少女ユイ・ツジムラは、両親と朝の食卓を囲み、ヤクのミルクを注いだ茶に浮く茶葉を一、二、三、四、五と数えてこう言った。
『ねえ、数字の5って子供の頃は黄色の単色だったけど、今はキリンみたいに茶色の斑紋が浮いてるね』
 母ミユはうんざりしていた。
『毎日毎日わけのわからないこと言わないで』
 父レンはそのときテレビのニュースを見ていたのだが、やめて、ユイを見て答えた。
『何を言っている。数字の5はお父さんが子供の頃からずっと深緑から灰色のグラデーションだ』
『は? 5っていったら子供の数字だよ? そんな渋い色なわけないじゃん。お父さんこそ何言ってんの』
『違う。5は嘘やごまかしの数字だ』
『意味のわからない喧嘩するのやめてよ』
 ミユの声はいっそう尖る。だがこだわりの強いユイのこと、ここで引き下がりはしない。
『お父さんは感覚がおかしいよ。こないだだってさあ、私が刑法は金色のとげとげの八角形で周りに桜色の後光がさしてて触るとザラザラしてるって言ったのに違うって言ってさあ』
『またその話題を蒸し返すのか。いい加減にしろ。刑法はツルツルだし水色で、入り組んだ管の中をのたのた蠢く流動体だから特定の輪郭は持たない。こればっかりは譲らんぞ』
『だから水色なのは民法のほうだってば! 大体、刑法がのたのた蠢くわけないじゃない。清潔とか砂遊びとかじゃないんだよ?』
『うわあぁっ!』突如としてミユの両目から涙が迸り出た。『もうやだ! この家庭いやだぁっ!!』
「ということだったのですが」ツジムラはヤシロの前で、歪んでもいないネクタイを正した。「まさかそれが最後になろうとは……」
 ツジムラが語る内容を聞いていたのは、実はヤシロだけではなかった。レストランの隣の個室にはケネスとメイリンがいた。ヤシロに帰れと言われたものの、気になって後をつけ、隣の部屋を陣取ったのだ。
 部屋と言っても分厚く重いカーテンで区切られているだけで、頑張って耳を澄ませれば隣の会話も聞こえないことはない。
 うわあ。
 聞いた結果、ケネスはいたく感動した。
 あの人、家でもあんな感じだったんだ。うわあうわあ。
 ヤシロはヤシロで、彼なりに一生懸命言葉を選んでいた。
「最後だなどと決まったわけではありませんし……個人的にはそれが原因とは思えないのですが……その」口ごもり、「娘さんのことは私も心配いたしております」
「あまり気は進みませんが、家に戻って妻の部屋を調べてみましょう。何せいなくなって以来、家にもあまり帰らなくなっていたものですから」
 そう約束し、食事を終えてから、ツジムラは帰っていった。

「ええ……。
 カイ・ヒグレさんですね。間違いありません」
〈ガイアのみ言葉普及協会〉地蘭地区の地区会長は、老人斑の浮く顔を檻の向こうの男から背けて、青ざめて答えた。それきり喋らないので、二人一組の警官の、年長のほうが尋ねた。
「確認しますが、あの人には国内に身寄りがないということですね?」
「私の聞いた限りでは、はい。私どもの協会にも、趣味の集まりの場で出版局勤務の会員と出会ってから入ってきたという形でして、個人的な話はあまりよく……」
「わかりました。続きは別室で伺いましょう」
 退出を促され、老人は勾留されたカイ・ヒグレを振り向いた。
「彼はよくなるのですか?」
 煌々と白色灯が照らす檻の中で、カイは何やら手遊びに夢中だった。
 足を広げて寝台に座り、背中を丸め、深く俯いている。両手をじっと見つめ、曲げたり伸ばしたり、合わせたり、離したり、それから何かを掴みとるように、前に差し伸べたり。
 見えない何かを手に取って、顔の前に持ってきた。
 顔を上げると、涎を垂らした口で、「いひゃ、いひゃ」と笑う。
 その何かを床に叩きつけ、踏みにじる動作。「いひゃ、いひゃ」
「ああ……」警官は同情の感じられぬ声で告げた。「あれはもう、治りませんよ」

 貧しい者は奪い、更に貧しい者は奪われるままとなる。貞節であれ命であれ。
 第二集積帯の都市部も、夜ともなれば十分に危険な場所だ。その市街地を、ツジムラと別れた後のヤシロは、夜風を凌ぐ毛織りのポンチョに身を包み、ズボンのポケットに手を突っ込んで、肩をすぼめて歩いていた。家まで送ろうというツジムラの申し出を断ったがためである。同居人二人の気配を気にせずに、たまにはのんびり一人で安いホテルにでも泊まって夜を明かそうと思ったのだ。
 間近の裏通りでは、アリシアが息を切らして駆けていた。藁色の長い髪がたなびき、足音は静寂の通りに響きわたる。複数人の男たちの靴音が彼女を追っていた。
 ヤシロはそろそろ〈み言葉普及協会〉の出版局に差し掛かろうとしていた。近くに鉄道駅があり、その閉ざされた駅舎の前で、娼婦が身を横たえ、今夜の客を待っている。植栽や石塀の陰には同じような娼婦、あるいは美人局(つつもたせ)、男であれば男を相手に身を売る者、あるいは娼婦を買い求める者、あるいは麻薬の取引をする者、またはそれを嗜むもの……つまり、あまり関わりあうべきではない者たちの声があった。
 駅を過ぎて暫く経ち、火災現場を覆うシートが見え始めた頃、ヤシロの耳に裏道から迫る靴音が届いた。ひどく急いでおり、思わず足を止めると、せわしない息遣いまでもが聞こえるようになった。
 曲がり角まで歩を進め、裏道を覗き込んだ。ナトリウム灯がヤシロの体から濃く長く影を流出させ、裏道を塞いだ。
 と、闇からいきなり女が飛び出してきてヤシロの目の前で転んだ。その女の長い髪が爪先にまで届いた。思わず硬直すると、女は顔を上げ、あろうことかヤシロの右の足首を力強く掴み、橙色のナトリウム灯を白い顔に浴びながら訴えるのだった。
「助けて」
 果たして他の、しかも複数人の荒々しい足音が裏道を駆けてくるのが聞こえた。
 娼婦だな、と思った。とても客とは呼べない奴らに捕まったのだろうと。
 この場に留まれば厄介な事態になるのは必然で、かといって手を振りほどいて立ち去れるほど薄情者でもなかった。
 やむなく紋様銃ロ號参式を服の中から抜き放ち、二つのルーレットの安全装置を外した。
 銃口を裏道の狭い闇に向ける。
 やがて現れた男どもが目にしたのは、裏道の出口に立つ男と足許に伏す女、男の手許で何がしかの模様を描いて宙に浮く紫色の光。そしてそれと重なりあう、緑色の光。
 彼らはその場に凍り付いた。自分が何を見ているのかわからなかったのだ。
 ヤシロの指が引き鉄を素早く二度引いた。二つの紋様が男たちの頭上をかすめて飛んでいった。それは連なる屋根を越えて火災現場を保存するシートに当たり、鉄骨をねじ曲げた。その甲高い音が響くと、男たちはただ後ずさり、誰一人として銃もナイフも抜かぬまま、得体の知れない武器の使い手の前から逃げ去った。
 逃走の物音が遠ざかると、ヤシロは女の前に屈んだ。女は恐怖にじっと顔を伏せ、ヤシロのしたことを見てはいなかった。
「もう大丈夫だよ。怪我はない?」
 女は、つまりアリシアは、書きかけの原稿を収めた薄い書類ケースを胸に抱き直し、跳ね起きた。そして辺りを見回して、安全を確かめると、今度は両腕でヤシロの首を抱き、その肩に顔を寄せた。
 書類ケースが舗道に落ち、固い音を立てた。
 安堵の涙と嗚咽で首を濡らされ、ヤシロはただおろおろしていた。
 無論この時点で、この女の素性など彼は知る由もなかった。





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