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冷凍されたオシドリとチューリップ人の王国

趣味で書いている小説用のブログです。

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アイとセカイをめぐる冒険〈8〉

第二話 覚醒プログラム(4/4)



 4. 青狼星使い


 とはいえ、躊躇いがないわけがなかった。銃を持っていても、相手は子供だ。七つか八つかそこらの少女だ。その、リセと呼ばれた少女が屈んだ。直後視界から消えた。跳び上がったのはわかったが、見失ってしまったのだ。
 頭上から影が覆い被さってきた。
 考えるまもなく、ヤシロは紋様銃の銃口を頭上に向けた。ルーレットは〈盾〉のままだ。引き鉄を引いた。少女は銃口の先にいた。先に撃ち出された盾を高く飛び越え、ヤシロの背丈よりさらに二、三メートルも高いところから拳銃を向けている。顔には何の表情もない。
 空中に盾が実体化されて、空中の少女、地に立つヤシロとメイリンの間を隔てた。銃弾が二つ、盾にめり込んだ。それはちょうど、盾がなければ二人の眉間を撃ち抜く位置だった。
 ヤシロは空いている手で、立ち尽くすメイリンの手首を握った。強く引くと、どうにか彼女も導かれるまま走り出した。
 破壊されたみ使いの台座の陰へ走り込む。
「何あれ!」
 台座を銃弾が削った。
「ああ、あの子……」 ヤシロは何もない空間へ〈盾〉を撃ち出し続けた。「人間じゃない。記号だ。複雑に絡み合う記号、何か意味あるものが実体化された存在」
「でも人にしか見えないじゃん」
「走るよ」
 礼拝堂から左右に展開する、二階建ての長い建物。その左翼側の端へと白い盾の道ができていた。メイリンはしゃがんだまま、その空間に出ていくことを恐れて絶句した。
「早く。単一紋様は単純だから、すぐに消えてしまう」
 冷静に促し、メイリンの手首を引く。立ち上がると、先に行くようにと無言の意志を込めて背中を押した。ほっそりした女の肉付きが感じられた。メイリンは草を踏みしめ、満天の星の下、盾に沿ってがむしゃらに走っていく。ヤシロも台座の陰を飛び出した。盾の向こう側から、男が立って、ヤシロをじっと見ていた。
 振り向いた。
 盾を飛び越えた少女が台座の前に着地した。ヤシロは再び〈盾〉を撃った。それに銃弾が当たると、ガラスがひび割れるような音がした。
 メイリンが建物の裏に回り、白いケープのひらめきを残し消えた。追いつくと、彼女は裏口のドアノブを掴んで押したり引いたりしているところだった。無言で、目で訴えてくる。ヤシロは手入れされていない立木を顎で指した。膝まで生えた草をかき分け、二人は木の陰にしゃがんだ。
「あの子が人間じゃないのは確かだけど、随分長く実体化しているね。強固に固定されている」ヤシロは自分の世界に入ってぶつぶつ呟き始めた。「それだけ意味が大きく、様々な構成要素が絡み合って全体を支えているということか。つまり複雑ということ。だけどそれにはよほど実体化する側の人間が対象を把握していなければならない。外見とか個性とか――となるとあらかじめイメージしやすいなんらかの形で表現されていた――たとえば物語の登場人物だろうか? 興味深い……」
「ちょっと、ちょっと!」
 メイリンが鋭く囁いて、唇に人差し指を当てた。その指を、建物の平たい屋根に向けた。
 屋根の上に少女が立っていた。背の高い草に埋もれ、二人は、少女が下方にじっと目を凝らしながらゆっくり近づいてくるのを見た。きょろきょろしているので、まだ発見されてはいないらしい。
「どうするの」
「複雑であるというのはつまり、それだけ構成する要素が多いと言うことでもあると考えていい。当然、比例して外界からの刺激に反応する要素も増大し――」
「結論だけ言ってよっ」
「なんでもいいから試してみる」
 ヤシロは身を隠したまま紋様銃を構え、スコープ型のスキャナー越しに少女の姿を見た。輪郭のルーレット、色彩のルーレットを指で回す。たちまち高速回転となった。
 と、メイリンが脇腹を指でつついて注意を促した。
 建物の端に男が立っていた。木の陰の二人を覗き込める位置だ。
 男は棒立ちしているように見えた。
 そうではなかった。
 手に本を広げている。
 ヤシロはルーレットの停止を待たず、リセを撃った。
「リセ!」
 色は『流血』『興奮』『危険』『激しい怒り』を示す深紅、出てきたものは〈鉤爪〉。だが単一紋様はさほどの効果も見せず、少女の体に当たると弾け、消えた。それを見届けることもせず、男がいるほうへと、木陰から飛び出した。銃弾が土をえぐり、メイリンが悲鳴を押し殺し、カチ、カチ、と引き鉄を引く音が続いた。弾切れだ。
 今度は少女が叫ぶ。
「カイ!」
 ルーレットに指をかける。
 回転。
 銃口を、今度は男に向けた。カイと呼ばれたその男は、左手に持って広げた本のページを右手でなぞっていた。
 闇のように黒い輪郭が、ヤシロの目を雪(そそ)ぎ、浮かび上がった記号が〈短剣〉であることを認識した瞬間、ルーレットが止まった。
 色は、『沈鬱』や『喪失』『雨天』『追悼』を意味する鈍(にび)色。形は『酒』。
 短剣は、身体機能によって発動された熱と生々しさを伴って、ヤシロの喉へと空中を滑ってきた。それを、鋼鉄から弾き出された冷たい力が粉砕した。
 ナイフに込められた、能力者の個人的な意味が浅く心に流れてくる。
 女、藁色の髪の。
 喉仏を掻き切る。噴き出る鮮血。だがそれには命の熱も鮮やかさも質量もない。ただの妄想だ。
 ナイフが立て続けに繰り出される。紋様銃が真正面から迎え撃つ。

〈大した才能でもないくせに調子に乗りやがって〉

 妄想の中でカイは何度も女を殺す。胸にナイフを刺す。顔面にナイフを刺す。醜い絶命の顔。無惨な絶命の顔。

〈クソ女。クソ女。誰でも書ける、子供みたいな、小説とも文藝とも言えないような、バカみたいな文章。なにが「ついほうのはじまりです」だ。なにが「せんそうのはじまりです」だ。なにが「むかぁしむかし」だ〉

〈なんであいつが誉めらるんだ? おだてられるんだ?〉


 短剣の実体化が止まった。
「どうしたの? 酔っちゃった?」
 いつもの無表情な声に、少しだけ挑発的な色を乗せてヤシロは尋ねた。
「ねえ、カイ」その声を、子供の愚かさと無邪気さと、愛らしさが覆う。「弾が切れちゃったよ。どうしたらいいの?」
「黙れ、役立たず!」
 素敵な父親とは言い難い罵倒が屋根の上の少女に返された。
「話し合いの最中だ! 馬鹿ガキは引っ込んでろ!」
「役立たずもなにも、彼女をそう作ったのはあなたですね。彼女は物理的な武器がない限り無力だ。彼女は記号で、記号に記号は使えない。そうでしょう」
 カイの太い指が本のページに触れる。あわせて、ヤシロはこれ見よがしに銃を構え直した。本に触れる指は一度止まり、それからゆっくりページをめくり出す。ヤシロの指は、ルーレットに置かれた。
「教えてほしいんだけど」
 ページをめくる音が、風にさらわれていく。
「どうして僕を狙ったの」
 あるページで指が止まり、カイは顎をあげた。帽子の下に星の光が届き、淀んだ目を照らした。
「善良すぎるからだ」
「……意味がよくわからない」
「その銃。そんなものを作る能力。才能、才覚」
 相手の指がページをなぞり始めるので、ヤシロはルーレットを指で滑らせた。
「それを使いこなすには、善良さは邪魔になる」
 その高速回転する音が、ページの音に代わって響いた。
「その才能と人間性ゆえに、お前は危険だと判断された」
「有能なのに仲間になりそうにないからってこと? ひどいね」と、ヤシロの口調が軽くなる。「僕だって悪いことの一つ二つくらい考えるのに」
 ルーレットの停止を感知した瞬間、ヤシロの指が反応し、引き鉄を引いた。カイが何を実体化したか、自分が何を実体化したか、確かめる間もなくそれはぶつかり合い、砕きあった。

〈あのクソ女! アリシア!〉

〈アリシア・リー!〉

〈俺のリセを。愛らしい、芸術的に美しい。それを……〉


 そのとき、わかった。
「なんだ、ロリコンか」
 リセに有効な打撃を与える方法がわかった。
「あの子はあなたが書いたスバラシイ文藝作品の登場人物なんですね」
 むしろ何故、今まで気付かなかったのかと思うほど単純なことだった。
 視線をルーレットに落とし、ルーレットを一面ずつ回して〈盾〉を指定した。警戒して銃口をカイに向けながら、後ずさり、草に覆われていない、柔らかい土の上に立った。カイもまたヤシロを警戒しつつ、右手をコートの内側に差し入れた。手を出したとき、細長い金属質の物体を握っていた。
 替えの弾倉だ。
「リセちゃん!」
 ヤシロが素早く気を引いた。獲物を狙う少女の目線が屋根から降り注ぐ、
 銃口を下に向けた。
「これがわかる?」
 右足の爪先で、軟らかい土をえぐる。
 上から下へ、直線を一本引いた。
 幼い興味がそちらへ移る。
 線が折れ曲がる。右へ。
 そしてまた、まっすぐ下へ。
「わかるよね?」
 それを見るのはリセだけではない。カイも見ていた。だが、何故それが描かれたのか理解するには想像力が足りなかった。
 リセがその形を理解しているかどうかは、試してみなければわからない。
 イ號七式をホルスターへ。
 入れ替わりに二連装着のロ號参式を抜く。
 装着された輪郭のルーレットは、前列が『フィクション』。後列が『戦い』。
 前列をロックし、無効にする。
 有効になっている後列の記号はあらかじめ指定されている。
 リセへと引き鉄を引く。
 その記号が深紅の色彩で実体化された。
〈密集隊形(ファランクス)〉
 長さ五、六メートルもあろう槍が二十本。密集し、ひしめきあい、一斉にリセへと放たれた。
 リセに直撃する。
 幾つもの槍が幼い体を貫き、ずたずたにした。
 カイが上擦った叫び声をあげた。
 リセの体から飛び散るものは、血や肉などではない。彼女を構成する諸々の要素が単一化されたもの。
〈桃〉〈椅子〉〈水晶玉〉〈お菓子〉〈暗幕〉〈梯子〉〈果物かご〉。
 その物語の断片。

〈広い広いお城に、私はひとりぼっち〉〈針葉樹の森は黒く〉〈傘は折れた〉〈地下からは魔物の咆哮〉〈古い悪い竜が〉〈お人形のシミを〉〈流した血に比例して、パパは私を愛する〉〈おいしい、おいしい〉〈世界。私の〉〈愚民たちのナイフは錆び〉――

 それでも彼女は立っていた。単一紋様が降り注いでは消えていく。リセの体が大きく傾き、地面に落ちてきた。カイが叫びながら駆け寄った。ヤシロのもとには、隠れていたメイリンが駆け寄ってきた。
「ヤシロ!」
「下がってて」
「何を見せたの?」
 ヤシロは目線を足許に動かし、それからメイリンの汚れた服を見た。
「校正記号。〈改行〉だよ。彼女が物語であるならば、構成要素を束ねる最後の記号・輪郭は句点であるはず」少しずつ早口になり、「だったら改行してやればいい。そしたら物語は終われない。後からぶつける記号によって、これまで綴られた物語を損ねることができる。校正記号を彼女が知っているかどうかは運任せだったけど、彼女は認知できた、意味を知ってたんだ」と、我に返り、「それより、危ないから下がって」
 そこまで言って、口をつぐんだ。リセを呼ぶカイの半狂乱の叫び声が止んだことに気付いたのだ。リセはひざまずくカイの両腕に抱かれていた。長かった髪は無惨にちぎれ、地面に触れることなく空中で揺れている。カイはその小さな耳に早口で囁きかけていた。かろうじて残った左手を取り、少しでも彼女を補う記号を描き続けている。
「どいて」ヤシロは銃口を向け、冷たく警告した。「危ないよ」
「ねえ、あんた」
 ヤシロへと何か言いかけ、メイリンは口ごもる。
 二人の様子にも、カイは反応しなかった。リセは動く気配を見せない。ヤシロもさすがに生きた人間を手にかける踏ん切りがつかず、対応を決めあぐねた。
 メイリンはまだ何か言おうとする。
 と、リセが急激に首をよじり、ヤシロとメイリンに目を向けた。右目は眼窩から押し出された状態で神経によって繋ぎ留められており、左目は強く見開きすぎたせいで押し出され、戻らぬ状態であった。槍が貫いた鼻は形を失って、インクで塗りつぶされた黒となっており、めくれあがった唇の向こうの前歯はなくなっていた。
「お父さん」だが発声は明瞭だった。「古い悪い竜を、美しく気高いまま保存する手段は?」
「ああ」カイは呟くのをやめて応じた。「お前の六十一章三十七節だね」
 右腕でリセの体を支え、左手で石を取る。
 土の上に石を滑らせた。
 紋様が描かれた。
〈氷〉
 メイリンの腕をつかんで後ずさるヤシロに、カイの目線が殺気とともに浴びせられた。
 父娘が声を揃える。
「冷凍しよう」
 今度はメイリンが、自分の体ごとヤシロの体を地面に押し倒した。灼けつく冷気が感じられ、ヤシロは這い、立ち上がりながらその場を離れた。走って建物の角を曲がり、二人の視界から外れた。
「チャンスだったのに!」
 メイリンも、後からちゃんとついて来た。
「そうは言っても生身の人間だよ」
「あいつらは〈父娘〉なんだ。あいつらは一心同体で、二人で一つなんだよ! だから……」
 ヤシロはメイリンに凝視の圧力をかける。
「何故、君はそれを知っているの?」
 視界の端に青い光が瞬いて、ヤシロはそちらを見もせずに、〈密集隊形〉に指定されたままの紋様銃を撃った。
 意味が砕け散る。

〈どうせ下らない読み捨ての文章。俺が書いたほうがおもしろいのに。人の心を打つはずなのに。絶対に。俺の書くもののほうが、絶対に、絶対に、絶対に……〉

〈あんな奴らに評価なんかされなくたって――凡才ども。鈍才ども。美意識のかけらもない――〉


「称号だよ」と、メイリン。「あの男が言うことには、自分に称号をつけることによって能力者としての自分を再定義するんだ」
「なるほど。再定義によって意味付けが強固になることで、エネルギーの流れを簡素化すると同時に、実体化された記号の力も強化される、ってところかな。この能力は個人の感情や認知能力に依存するものだし、同じ記号、同じ意味でも、愛着によって意味の色合いは少しずつ違ってくるから。でも」
 建物の角を曲がり、リセを横抱きにして、カイが現れた。
「この紋様銃は記号の力をニュートラルに表すんだ」
 続くヤシロの言葉はカイに向けられた。
「感情や個人的意味合いなどという夾雑物(きょうざつぶつ)が混じる余地はない。視界に入る〈壊れてしまったリセ〉に揺さぶられて、〈完全なリセ〉への修復が不可能になる、今あなたが陥っている状態になることもない」
「リセは記号じゃない」
 カイの声音が恫喝の色に染まる。
「ううん、特定の個人の実体化はできないよ。あくまで、実体化できるものは象徴でしかないんだ。ここで問題なんだけど」
〈戦い〉のルーレットに指をかけ、声が確実に聞こえるように、二人へと歩み寄った。
「それじゃあ、人間とは肉体という物体なのか? それともエネルギーの流れ……複雑な、目に見えない領域が絡む事象なのか。君たちはどう思う。モノか、コトか」
「モノ」
 リセが答えた。
「コト」
 カイが答えた。
 父娘は互いの顔を見合わせた。
 その質問が罠だとどちらかが気付くより早く、ヤシロが引き鉄を引いた。
「不正解」
 銃口は、正確に腕の中のリセに向けられていた。
 記号が実体を得る。
〈烏(コルウス)〉
 くちばしに似た形の、研ぎ澄まされた鉄が現れて、一面の星を写した。先端がリセの細い鎖骨の間に突き刺さり、地面へ引きずり下ろした。
「ただの物体であれば、生命を持ちはしない」
 そのままリセを引きずり寄せる。
 取り戻そうとつんのめるカイへ、ヤシロは次の記号を撃った。
〈まきびし〉
「不正解」
 鋭利な鉄の棘が辺り一面にばら撒かれ、二人を引き裂いた。
「生命という上質な酒も、物体という器がなければ土に消えていくだけだ」
 その鋭利さに怯み、カイがたじろぐ。
「いずれにせよ、答えを違えたね、〈父娘〉。君たちは二人で一つでも、一心同体でもないわけだ」
 二人が黙ったそのあとに、早口で囁くメイリンの声が静かに流れた。
 少しだけ振り向いて彼女に注意を振り向けたヤシロは、仰向けに倒れたままのリセと、その隣にひざまずくメイリンの姿を見た。
 メイリンは、右手をリセの薄い胸に当てながら、左手でペンダントに触れていた。青狼星を象った形で、ただのアクセサリーだと思っていた。だが今、丹念に指でなぞり、輪郭を確かめている。
 リセが背中を仰け反らせ、甲高い絶叫を放った。
「ヤシロ! あんたは父親のほうに集中して!」
「君は――」
「はじめに言っただろ! そいつらは、人を覚醒させる手段を持ってるんだよ!」
 カイが憎々しげに吐き捨てた。恐らくは、メイリンの称号であろう言葉を。
「〈青狼星使い〉……」

「草原の民の伝承です。
 この草の海のどこかに、青い、大きな、美しい狼がいるそうです。
 狼の魂は女の胎に宿り、生まれてくる子は、草原の覇者となります……」


 リセの物語が、流入する別の物語によって撹拌されていく。
 カイの気配から、躊躇と動揺の色がぬぐい去られた。足を肩幅に開いて立ち、朗々と声をかぶせる。

「その覇者の名はリセ」

「と名付けられるはずでしたが」
メイリンも負けていない。「生まれてきたのは男の子でした」

 カイが紋様図集を開く。
 対抗し、ヤシロは〈フィクション〉のルーレットの安全装置を解除。
「今すぐ本を閉じて」
〈フィクション〉のルーレットを回す。連動して色彩のルーレットも回り出す。
「今度こそ撃つよ」
「リセ、見ろ! リセ!」
 リセは物語のショックに体を仰け反らせ、痙攣し続けていた。
「僕は撃てる。だって……」
 カイはヤシロになど見向きもしないが、聞いているはずだった。
「……コウキ。これが僕の名前だから。鋼の輝きって意味さ。名字とあわせて〈八代続く鋼の輝き〉だ。称号よりも、本名のほうが強そうだと思わない?」
「知るか! 黙れ! 黙れ!」
 そして、〈戦い〉のルーレットにも指をかけ、回した。
「リセ!!」
 父の叫びが届き、リセは地面につけた頭をぐるりとよじり、カイを見た。カイの手の図集から光が浮かび上がる。
 黄色の〈剣〉。
 ページが繰られる。
 黒の〈蜂〉。
 深紅の〈軍靴〉。
 更に重ね合わされ、紫の〈戦車(チャリオット)〉。
 群青の〈断頭台〉。
 リセの叫びが変じていき、野太い男の声になった。苦痛と恐怖の絶叫は、今や戦いの鬨の声であった。それが、少女の鬨の声に変わっていく。
 リセが書き換えられていく。
 図形の重ね合わせの中に、他の小さな紋様も現れているが、ヤシロはそれを読み解く気も起きなかった。
 ただ、眼前の紋様に反応し、〈フィクション〉のルーレットが止まった。
 続けて〈戦い〉のルーレットが。
 引き鉄を引き、第一の紋様が放たれた。
 色は銀。支配する意味は『雪』『不思議』『高価』『貴婦人』『月』。
 記号、それを表す輪郭は。
〈アルテミスの猟犬〉
 空中に描かれた紋様は、あられもない姿で沐浴する女。泉に腰までひたり、しなやかな体を弓なりに反らせ、目を閉じてうっとりする女の紋様を、カイは見た。
 見てしまった。
 その視線に反応し、ぎっ、ぎっ、と紋様が首を動かす。
 目が開いた。
 銀の瞳。
 口が開いていく。
 とろけるような甘い声に、しかし針のような鋭さを含んで、女はくすくす笑っていた。その笑いが大きくなる。哄笑に変わった。そして、その物語の通り、紋様は言葉を放つ。

〈アクタイオーン! アクタイオーン! なんという恥辱をお前は私に与えるの!〉

 ほっそりした腕が上がり、泉の中から紋様の女はリセのほうを指した。理不尽な民話の女。精霊。その指先がリセを指すと、リセは瞳の力でその指先を受け入れた。
 リセは変容のさなかにあった。
 飛び出していた眼球は元通りの窪みに収まっていた。鼻も修復され、ただ、前歯だけが失われたままだった。
 その顔は先ほどよりもずっと大人びていた。別の娘、あるいはもっと後の章の、成長したリセ。

〈お前の猟犬は、むしろお前を屠る、今〉

 カイは泡を食って後ろに跳びすさり、紋様図集のページをでたらめにめくり始めた。この女を破壊できなくとも、汚し、意味を損なわせ得る紋様を探して。
 リセの叫びが止まった。
 言葉を放つ。
「殺す」
 隣のメイリンに目をくれることもなく、手足を胴体に引き寄せ、四つん這いになり、膝立ちになった。
「殺す……殺す!」
 そして、女の哄笑。

〈ああ、愚かなアクタイオーン! 愚かで哀れなアクタイオーン!〉

 リセは丸腰で、しかし殺意を体に漲らせ、ヤシロの前さえ素通りし、カイのもとへと全力疾走していった。
「殺す殺す殺す殺す殺す!」
 その後ろ姿に、ヤシロは銃を向けた。
 第二の紋様が現れた。
 流血を表す深紅の〈破城槌(はじょうつい)〉。
 丸太の槌が引かれ、見えざる操り手たちが手を離す。反動で解き放たれた丸太がリセを背中から砕いた。
 右手をホルスターへ。ロ號参式をホルスターに収め、左手に持っていたイ號七式を両手で構え直す。
 ルーレットを回す。
 望み通りの紋様を、崩れゆくリセへと撃った。
〈鎖〉
 メイリンによって牽制され、弱体化されたリセの本質となるなにがしかの紋様を、鎖は捕らえた。そして銃口に戻った。カイはそれに構っているどころではなかった。やっと、紋様の一つを女、〈アルテミスの猟犬〉の紋様、その女にぶつけた。
〈娼婦〉
 ヤシロはしゃがみ、ルーレットにない紋様を銃で土に描き、視線と手の動きで認識し、重なりあう〈アルテミスの猟犬〉と〈娼婦〉に重ねた。
〈水〉
 娼婦→水商売→水というわけだ。はじめの紋様は、重ね合わされた紋様の意味を吸収しようと、体をひくつかせている。
 カイが対抗し、次の紋様を重ねた。
〈大河〉
「終わりにしよう」
 ヤシロはイ號七式のルーレットを手回しで指定した。
「大河。あなたと僕の創作紋様はこれで完成する」
〈酒〉
 酒。痛みを忘れさせる力。理知を痺れさせる、強い忘却の力。たとえそれが一時のものでも、今を堪え忍び、生きていけるのなら――。
 酒。
 その意味、付加された個人的経験が、ヤシロの心を抉り、過ぎたはずの日々、やり過ごしたはずの日々の後悔、懺悔、喪失、執着、渇望、自己嫌悪、自己否定、涙の味を連れてくる。
 だが、今ここでそれを表すのは人間の肉ではない。
 感情や個人的な体験に汚染されず、あるものをあるままに撃ち出すのは鋼鉄。
「最終生成!」
 輝く鋼に涙はない。
 輝く鋼に心の痛みはない。
〈酒〉が、忘却の意味を込めて〈大河〉に重なった。
 その創作紋様に、ヤシロは名付け、叫ぶ。
「〈レーテー〉!!」
 名付けによって、それは意味を固定された。カイはぼんやり口を開け、突っ立ったままでいた。
 目から、その忘却の大河が流れ込み、頭を、頭脳を、感受性を洗っていく。
 十分に時間が経ってから、ヤシロはロ號参式を撃った。
〈破城槌〉が創作紋様〈レーテー〉を砕き、少ししてから、茫然自失のカイががっくりと膝をついた。
 ヤシロはカイに背を向けた。
 同じく膝をつき、両腕で自分の体を抱いているメイリンへと歩み寄る。
 そして、銃を収めると、優しい声で促した。
「帰ろう」

 ケネスが運転する車の後部座席に、ヤシロとメイリンは並んで座っていた。今は何も聞かぬようヤシロは言い、ケネスはそれを守って運転に専念していた。
 メイリンは静かで、眠っているのかと思った。窺うと、起きていた。じっと目を伏せている。
「ねえ」
 視線に気付き、ヤシロを見ぬまま声をかけた。
「なに?」
「どうしてあんなことを思いついたの。記憶を消して、娘のことを忘れさせるなんて」
「そりゃあ、殺さずに済むなら知恵を絞るさ」
「あの男はあんたを殺すつもりだった。それでも」
「できない」
 ケネスはじっと聞こえないふりをしている。
「わざと……命を奪うなんて」
「私はわざとあんたの命を奪おうとしたよ」
「違うね」
 メイリンの視線が頬に当たる。ヤシロは彼女と目を合わせない。
「君は僕を殺せなかっただろう。君だって、恨みがあったって、踏ん切りがつかなかったんだ。本気で殺すつもりなら、窓の向こうから撃っていた。むしろ君は死にた――」
「うるさい。黙って」
 その要求の通り、ヤシロは車を借りた集落に着くまで黙り続けた。

 高射砲台の家に続く道を歩く。
 先行していたケネスが戻ってきた。緊張で顔を強張らせ、声をひそめる。
「ヤシロさん。家の前に人がいます」
「人?」
「子供です、男の子のようですが」
「ああ」
 ヤシロは頷き、恐れず進んだ。
 家のポーチで、御用聞きの少年ノシェが膝を抱えていた。カンテラが、その眠たげな顔に陰影をつけ、朝頼んだ食材がたっぷり入った袋を照らしている。
 足音で、少年はうたた寝から覚めた。
「ノシェ君」
 ヤシロは歩み寄り、少年の前でそっと膝を抱えた。
「どうしてこんな時間まで待ってたの? いつも通り、置いて帰ってくれればよかったのに」
「あ、ヤシロさん」目をこすり、「お金をもらいすぎだって、兄に言われました。なので、バス代を返しに来ました」
「……そうか」ヤシロは目を合わせず微笑みかけた。「ごめんね。むしろ面倒をかけさせてしまった」
 少年の頭に手を乗せる。
「いつもありがとう。おうちまで、送ろうか」
「大丈夫です。一人で帰れます」少年はにっこりした。「また、御用聞きに来てもいいですか?」
「ああ。ぜひ来てくれ」
 意気揚々と帰る後ろ姿を、ヤシロは見送った。姿が見えなくなると、誰にも見られずに、もう一度微笑んだ。





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とよね

Author:とよね
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