FC2ブログ

冷凍されたオシドリとチューリップ人の王国

趣味で書いている小説用のブログです。

11<< 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 >>01

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

虹よ、契約の虹よ〈22〉

九章 学園坂の攻防(1/2)



 1.

 アキヤは浪越の街をさまよい、霊鳥・白夜白蓮に頼らずとも清佳高校の寮を監視できる場所を探した。寮の裏手に建つ輸入会社の倉庫を兼ねたオフィスビルがそれに最も適していた。裏の非常階段からは、寮、そして木立を挟んで同じ敷地内に建つ校舎とチャペルを、そして、高校を始点としてのびる、学園坂と呼ばれる通りを一望できる。
 そのうち、アキヤが立つ位置から最も近いのが寮で、花壇を挟んで通用門がある。寮への出入りは校舎とグラウンドを挟んだ位置の正門ではなく、こちらが使われていると推測できた。
 非常階段を一旦一番上まで上がったアキヤは、二棟ある寮の内部をよりよく見通せる位置を求めて階段を下り始めた。多くの窓はカーテンがかかっていたが、無防備に開け放たれている窓もあった。
 最初の踊り場まで降りたとき、背後で靴音がした。女物の靴の踵が鉄階段を打つ、固い音だった。
 振り向いた。
 女がいた。
 フードを目深に被っているが、わずかに見える顎の白さと細さで女だとわかった。
 都市の自然空調が切られ、少々蒸し暑いのだが、黒い衣で体をすっぽりと包み込んでいる。
 その女は、先ほどまでアキヤが立っていた位置からアキヤを見下ろしていた。左手を屋内に通じる扉に、右手を手すりに置いている。左手が動き、指がフードにかかった。厚い布地が持ち上げられて、耳にかかる髪と、潤みながらも冴え冴えとした光を放つ二つの目が月にさらされた。
 軽率な真似をしないというかなめとの約束を、アキヤは即座に破った。腕を肩まで上げ、鋭く息を吸い、意識を集中したとき、
「待って」
 思いのほか人間味のある声で女が制した。黒い衣の下から、右手の細く白い指がアキヤに向けて伸ばされた。
「お願いがあるの」
「何だお前」
 アキヤは腕を下ろさずに尋ねた。
 女はフードを完全に脱いだ。両腕を首の後ろに回し、長い髪を黒衣から出して垂らす。腕を前に戻すとき、銀色の指輪が光った。階段を下りてくる。が、アキヤが身構えると、一段目で足を止めた。
「瓶をお渡しします」
 いつの間に出したのか、女の左手にきらめく物があった。小さな瓶だった。
「この中身を、あの学校の門の中に撒いてきてほしいのです」
「自分でやれ」
「私は入れないのです」
「投げ込めば?」
「できません」
 アキヤは肩をすくめ、鼻を鳴らした。
「オレの知ったことかよ」
「協力していただけるなら、あなたがこの場所を使っていたことを黙っていてあげます」
 無言で眉をひそめると、女は静かに付け足した。
「ここはあなたよりも前に、私たちが使っていた場所です」
「私たち?」
 女が、左手の瓶で階段を指さした。つられて足許を凝視したアキヤは、階段の片隅にうずたかく寄せられたゴミに初めて気がついた。さらに目を凝らし、それが干からびた蛙や虫の死骸であることに気付くと、思わず出てきた動揺の呻き声を殺した。
「話を聞いて。目的は同じはずよ」
 アキヤはそっと手すりに身を寄せ、手をかけた。そして、十六階の高さから、一息に身を投げた。
 黒衣の女は目を見開いて、さらに一段下へ足を踏み出した。同時に白く輝くものが、彼女の視界の下方を過ぎ去った。
 アキヤを背に乗せた白夜白蓮は、そのまま夜の黒い海へ去っていった。

 ※

 平沢修基(なおき)は五十五歳。浪越司教座聖堂の主任司祭である。銀髪をオールバックにし、角張ったフレームの眼鏡をかけている。顔の輪郭も四角く、両肩は張っている。全体的に角張った見た目の男だ。身長百八十三センチ。カソックの上からでもわかる下腹のたるみは、かつて筋肉なりしものの名残である。
 出身は会津。大きな体はラグビーで鍛えた。ラグビーの選手として、二十二歳で靴のメーカーに入社する。実業団入りを果たし、代表選手としてアメリカに渡った。
 キリスト教とはそこで出会った。
 個人的かつ劇的な出来事を通して彼は司祭への道を歩んだ。三十五歳で叙階され、それから十七年後には、司教座聖堂の主任司祭という責任ある地位を任されるに至った。
 その朝、平沢が司祭館の一階に下りてくると、いつも通り早めに出勤してきた事務員の田中が、まだ勤務時間前であるにも関わらず、電話応対をしていた。ガラス窓越しに、まだ階段の下にいる平沢を困ったように見つめてくる。
 平沢は事務所に入っていった。
 電話の相手は男で、声が盛大に漏れていた。田中は受話器を耳から離して迷惑そうだ。
『何人も見たって言う人がいるんだよ!』
 言葉は事務所の入り口にいても聞き取れた。
『お宅の神父が公園で小さい子にぶつかられて、母親に土下座で謝らせたってね、何人も証言が取れてるんだ。えっ?』
「ですから、そういう事実は……」
 平沢は田中の手から受話器を取った。
「もしもし?」
 唖然とする田中の前で、平沢は受話器を耳につけた。
「はい? ええ、はい。私が責任者ですが。はい? ああ。平沢という者です。どちら様ですかね?」
 かなり強気の口調だ。
 しばらく頷きながら聞いていた。電話の相手もいくらかトーンダウンしたようだ。
「その件につきましては、本人に何度も事情を確認しております。……はい。そういう事実はございません。勘違いではありませんか?」
 再び受話器の向こうの声が大きくなる。
「はい? えっ? 人権団体? 結構でございますとも。あなたからのご紹介ということで、むしろこちらからかけさせていただきましょう。お名前とお電話番号を教えていただけます?」
 しばし沈黙。その後、「切れちゃったよ」とぼやきながら、平沢は受話器を置いた。
「平沢神父――」
「田中さん、もう留守電にしちゃっていいですよ」
 と言いながら、平沢は自分で電話を設定し始めた。
「いいんですか?」
「どっちみち仕事の用事は携帯にかかってくるし、大事な留守録はこっちから折り返すようにするから」
 その頃、当の椙山は、大聖堂の前庭でまたカソックを猫の毛だらけにしていた。
 教会には三匹の猫が居着いている。不貞腐れた態度の猫(白黒)と、横柄な態度の猫(茶トラ白)と、人間に対して一ミリも譲歩するつもりのない頑なな態度の猫(三毛)である。
「どの猫ちゃんがなつくのー?」
 塀や菜園でめいめいくつろぐ猫の間を行ったり来たりしながら、五歳の女の子が尋ねた。母親は聖堂内におり、前庭で待つ父親と椙山がにこにこしながら様子を見守っていた。
 椙山が答えた。
「どの猫ちゃんもなつかないよー?」
「えー?」
 笑いながら見上げる子供のために、椙山は塀の上にいる不貞腐れた態度の白黒の猫を抱き上げて連れていった。猫は抵抗せず、持ち上げられるがままにだらりと伸び、嫌悪でどんよりと濁った目をして鼻で溜め息をついた。
「ほら、この子が一番おとなしい」
 子供の前で猫を下ろすと、大聖堂の正門の前でタクシーが止まった。椙山はそちらを見た。
 出てきたのは、教会員の岡田という名の主婦と、中学生くらいの少年の二人連れだった。
 猫はすっかり不機嫌になって前庭から立ち去って行こうとした。
「あっ、猫さん待って!」
 陽気に笑いながら追いかけていく娘の後を、若い父親が更に追いかける。
 正門に目を戻せば、タクシーを降りた主婦の後ろを少年がついてくる。青ざめ、居心地悪そうだ。
「椙山神父様、ちょうどいいところに。今お時間よろしいでしょうか?」
 体を縮めるように尋ねる主婦に、椙山は笑顔で応じた。
「はい。ちょうど手が空いております。どうされましたか?」
「実はこの子、この前ご相談させていただいた甥の藤原快人(かいと)なんですけど」
 と、主婦はニキビで顔面がでこぼこになった少年を振り向いた。
「ほら、この人が戦闘祓魔師(ハイエクソシスト)の椙山神父様よ。ご挨拶しなさい」
 少年は目を剥いて叫んだ。
「えっ!? この黒服が猫の毛だらけの人が!?」
「失礼でしょ!」
「いえ、いいんです」苦笑して間に入る。「快人君っていうんだね。どうしたの?」
 少年は気まずそうに黙っている。
「言ってごらん、何を言っても笑ったりしないし、おかしなことで困っている人を助けるために私がいるのだから」
 しばらく目を泳がせてから、彼は上目遣いに椙山を見上げた。
「悪い魔法使いに脅されているんです」
 黙っていると、藤原快人は話を続けた。
「二日も続けて真夜中に脅迫電話がかかってきたんです。ぴったり同じ時間に、男の声で、ええっと……」
 彼は黒いトートバッグを下げている。固く大きな物が入っているようだ。布地が四角く張っていた。
「あっ、その前にですね、えっと、この教会に電話したんです。前に女の人から魔法の道具をもらったり……したことがあって……」
「大丈夫だよ、最初から、ゆっくり話そうね」
 諭しながら、椙山は心の中でにんまりした。
「私の部屋でゆっくりお話ししましょうか。岡田さん、お時間はよろしいですね?」
 一方、教会を出ていった白黒の猫は、ずんずん歩いて自分の家に帰っていくところだった。猫の縄張りは広い。二区画ほど離れた家に帰る途中、よその家の猫や野良猫とすれ違い、喧嘩を回避したり、鳥を狙ってみたり、草の匂いを嗅ぎ、マーキングし、ついぞ車庫に個人タクシーが駐車された二階建ての民家にたどり着いた。表札には『加瀬』とある。
 猫は玄関からリビングに回り込み、大きな窓の前に来ると、両後ろ足で立ち上がり、サッシ部分に両前足をかけた。鍵のかかっていない窓を器用に開け、猫一匹通れるぶんの隙間を作ると、家に入っていった。
 リビングでは、タクシー運転手の加瀬孝広(たかひろ)がカーペットに寝転がっていた。肘で頭を支え、芸能界のスキャンダルを報じるバラエティ番組に目を注いでいる。
 窓が開いたことに気がつくと、窓と猫に目を向けた。
「おい、お茶」
 お茶と呼ばれた猫は無視してリビングを横切り、今度は廊下とリビングを隔てる戸の前に立つと、また後ろ足で立ち上がり、レバー式のドアノブに前足をかけて体重を乗せ、ドアを開けて出ていった。
 普段ならどちらも妻が閉めるのだが、今日はあいにく地区会に出かけている。
 加瀬孝広はわざとらしい溜め息をつき、大儀そうに起きあがると、窓とドアを閉めた。だがすぐにまたドアが開き、猫が入ってきた。猫はドアを開けっぱなしにしたまま窓辺に置かれた大きなピンク色のクッションに向かい、座り、丸まった。娘が用意した猫の特等席である。
「おいお茶」
 もう一度呼んだ。猫は両耳を後ろに倒した。呼ばれているのを認識しているのに、返事はしないとはどういうことだ。
 猫のくせに何という態度のでかさだ。
「お茶!」
 すると、バン! と、尻尾を大きく縦に振ってクッションを叩いた。耳をますます後ろに倒し、聞こえよがしに溜め息をつく。孝広は呆れかえって起きあがり、あぐらを組んだ。
「お前、態度のデカいやっちゃなあ!」
 この猫は、一年前に高校生の娘が拾ってきた。子猫ならまだかわいいのだが、拾われてきた時点でまるまる肥えた大猫だった。名前も娘がつけた。何故猫の名前が『お茶』なのか、その時点からして理解に苦しむのだが、家主の自分に全く愛想を示さないところがまた理解できない。子供の頃飼っていた犬とは大違いだ。
 そこへ、二階から足音を立てて娘の夏実が起きてきた。もう十時である。リビングのドアを開けた娘の視線は父親を素通りし、窓辺の猫にまっすぐ注がれた。猫はそのとき既に期待を込めて瞳孔を丸く開き、娘に視線を注いでいた。
「お茶ちゃあん!」
 すると猫は自ら起きあがり、甘えた声で
「にゃあん!」
 父親は面白くない。
 夏実は猫を抱き上げて、ひとしきり猫の腹や頭に自分の顔をこすりつけると、孝広に対しては甘さのかけらもない目と声をくれた。
「ちょっとお父さん、昨日の朝お茶のトイレ掃除当番しなかったでしょ」
「はあ? しょうがないだろ、急に予約が入ったんだよ」
「ああ、もう」また猫と向き合い、とろとろの笑顔になって、「世話をしないからお茶ちゃんが懐かないんだよー、ねー。お茶ちゃあん」
「しても懐かねぇよ」
「そんなわけないよねぇ。お父さん懐かれなさすぎ……」そして、さも重大なことに気付いたように目線をあわせてきた。「お父さん、もしかして、私とお母さんが見てない間にお茶ちゃんのこといじめてるんじゃない?」
 孝広は膝を叩いた。
「いじめねぇよ猫なんか!」
 猫はまた、甘えて夏実の手を舐めている。
「おお、よしよし、お茶ちゃんかわいいねぇ」
 ますます面白くない。
「かわいくねぇよ。お前な、夏実、そうやって喜んでるけど、猫のベロなんて地べた歩いたりウンコついたケツを舐めたりしたベロだぞ。ウンコベロだぞ」
 すると娘は痴漢を見るような目で
「お父さん汚い!」
「オレは汚くねぇぞ!」
「サイテー!」
 そして、何かを思い出したように「あっ」と声を出した。
「そういえばお父さん、タクシーの屋根どうしたの」
 思わず真顔になって聞き返す。
「どうって、どうかしたか?」
「昨日の夜お父さん帰ってきたとき部屋から見てたんだけど、なんか屋根汚かった」
「屋根な」孝広は立ち上がった。「そういや何か物が落ちてきたような音がしたんだよな。何もなかったけど」
 喋りながら立ち上がった。聞いた以上は放っておけない。
 玄関から外に出て、車庫に回った。小さな踏み台に乗ってタクシーの屋根を改めて確認する。
「うわっ、何だこれ!」
 日のある時間帯に見れば、異変は明らかだった。
 黒緑色の粘り気のある物体が、黄色い『個人』のランプを避けて屋根一面に広がっていた。ほのかに硫黄の臭いがし、腹が立つことに猫の肉球の痕もある。
「おおい、夏実!」
 踏み台を下りながら呼びかけた。開いたままの玄関から娘が答える。
「なーにー!」
「塩持って来い! 塩とお札!」
 そう指示しながら、孝広は車庫の奥の蛇口をひねり、洗車用のホースとブラシを手に取った。

 自分の仕事部屋で、椙山は藤原快人少年から事情を聞いていた。
 はじまりは、宮ヶ浜中学校二年生の、クラスの中でも目立つところのない地味な女子だった。
 ある日、その女子が、交霊術に用いるウィジャ盤を持ってきた。仮にA子とする。先生に見つかったら没収されるので、A子の所持品について知っているのは放課後の秘めやかな交霊術に参加した数人の大人しい女子だけだった。
 同級生や教師の秘密について聞き出したりして遊ぶうち、秘密の内容は、個人が胸に秘めておきたい家庭の事情などに踏み込んでいった。ところが中学生のこと。そこで慎み深く遊びから手を引いたりはしなかった。
 ある日、A子がクラスのリーダー格の女子B子と盛大に口論をした。考えられないことだった。原因は、A子が放課後の遊びで徐々に友人を増やし、B子の取り巻きまでをも取り込もうとしたこと。A子はB子の母親の不倫、父の仕事中毒や、兄の家庭内暴力について大声で暴露した。それは、B子が決して口外せずにいたことだった。B子はかっとなり、A子の頬を打った。同じ日、B子は階段から落ちて足を折る怪我をした。そのことで、取り巻きのC子とD子が教室内でA子を晒しあげた。次の日、C子は体育の授業中にプールサイドで転んで頭を打ち入院。D子は調理実習の時間、エプロンにコンロの火が燃え移るというちょっと考えられない事故により、やはり病院送りとなった。
 その後も、A子にちょっかいをかける生徒に災難がふりかかり続けた。半月前まで地味で目立たない存在だったA子は、今や教室の支配者のように振る舞っている。担任とその家族が病院送りになってから、誰も彼女を止めようとはしない。
「それで毎日気が重くて……。来週になったら終業式で、夏休みが始まるので、それだけが救いです」
 椙山は同情を込めて頷いた。
「快人君のこのウィジャ盤は、その女子からもらったの?」
「はい。僕も正直……クラスで目立ってるようなのとは距離を置いてたし、それで初めのうちは女子に対しても仲間意識というか……あって……誰にもらったの? って聞いたんです。そしたら『お師匠さん』からもらったって。『お姉さん』とも呼んでました。強い魔術師だったか魔女だったかの知り合いができて、その人がいろいろ教えてくれるんだとか言うんですよ。聞いた次の日に僕のぶんをその人からもらってきてくれたんです」
「もらったのは君一人?」
「いえ……あ」何かに気付いた様子だ。椙山は目で促した。「なんだか、ばらまいてるみたいでした。今ふとそう思ったんです。なんだかよくわからない人形とか、魔法陣とか。本当に次から次へと……もうクラスのいろんなのがそれ受け取ってて、断っても押し付けてくるんです。あんまり断るのも怖いし」
「ばらまいている、と感じたんだね」
「はい」
「そのことを教会に相談したかったんだね。何かおかしいって感じたんだ」
「はい。でも気にしすぎかもしれないって思ったんです。そしたら、その日の夜中におかしな電話がかかってきて……」
「電話のことは気にしなくてもいいよ」犯人・椙山は爽やかに断言した。「君が加護を得られるように祈りましょう。それで、問題は君がこれをどうしたいかなんだけど」
 木箱には言ったウィジャ盤のセットに目を落とす。
 少年は半ば叫ぶように訴えた。
「捨ててください!」
「わかった。でも、すごい怖がりようだね」
 青ざめた顔をそっと伺う。
「その様子じゃあ、何かまだ、気になることがあるんじゃないかい? 電話のこと以外に?」
 少年はニキビだらけの顔を掻いた。ニキビが潰れ、血と脂肪が出てきた。
「気になるって言うか、これもはっきり聞いた話じゃないんですけど、先週の魔害が起きる前の日の夜に、何人かの女子が呼び出されて『お姉さん』のお手伝いをしたって」
「詳しく聞かせてくれるかい?」
 だが、これに関しては少年も詳しく知っているわけではなかった。
 クラスメイトの女子何人かが、秘密のおまじないの儀式に誘われた。市街地で堂堂と行われたのだが、不気味なほど人に会わなかった。真夜中に呼ばれ、秘密好きな反抗期の少女たちは心躍らせながら家を出た。深夜とはいえ、ループやリングなどの大道路、運転手を客層とした二十四時間営業の弁当屋などがある。だが、彼女たちは家に帰るまで、家族にばれるどころか本当に誰の姿も見なかった。
「そっか。不思議だね。でもその子たちは何をしたんだろうね」
「そこまではわかんないですけど……教えてもらえないし……」
「そっか。でも心配だよね。同じクラスの子だもんね。その子たちが怖い思いをしないで済んだならいいけど」
「怖かったって感じじゃなかったですね」少年は随分口がなめらかになっていた。「また誘ってもらえるのを楽しみにしてるみたいだし」
「そっか。怖くなかったならよかった。でも、快人君は大丈夫?」
「大丈夫って、何がですか?」
「ううん。その子たちが怖くなくても、快人君が何か怖いなって思うところがあるから話してくれたんじゃないかって思ったんだ。もしそうなら、相談させてほしいんだ」
「怖いなっていうか……」
 一瞬、少年の眉間にしわが寄り、緊張が読み取れた。
「その女子たちが何かした場所、こないだの魔害で魔法陣みたいなのが現れたところだ……って……」
「魔法陣?」
 椙山は席を立ち、仕事机の引き出しから区の防災マップを取り出した。それを少年の前に広げる。
「どこかわかる?」
 少年は迷いながらも地図上で指を動かした。
 アリーナ南館と、その近くのホテル、そして市営運動場前駅だった。
 椙山は少年の顔をじっと覗き込んで尋ねた。
「魔法陣のことは誰から聞いたの?」
 少年は怯えて椙山を見ない。
「みんな噂してます。見た人がたくさんいるし」
「そう……そうだね」
「椙山さん、やっぱり、黒魔術って効果あるんですか? 悪魔を呼んだりとか?」
 椙山はいたずらっぽく笑った。
「どうしたの? 興味わいてきちゃった?」
「や、興味っていうか……」
 誤魔化すように笑いながら首を傾げる少年に、椙山はこう答えた。
「君の年くらいでこういうものに興味を示す子は珍しくないよ。思春期で不安定な時期だし、学校生活が思うようにいかないとか……いじめがあるとか」
「はい」
「それをどうにかするのにね、魔術っていうのはすごく、すごく、すごく、すごーく、非行率的な手段なんだ。まず日本では道具が手に入らない。魔術を行うのに適した場所もなかなかないし、そういう場所はほら、社会的に怖い人たちが、悪い取引のために使ってたりするんだ。そういう人たちに目を付けられたら洒落にならないっていうか、そっちのほうが怖いよね。それに、まず第一、効かないし」
「効かない?」
「効かない。これはもう絶対に断言できるけど、そこらへんの素人がやったって効果なんて出ない」
 納得しつつもがっかりしている藤原快人を帰らせて、椙山は彼が残していったウィジャ盤に目を注いだ。
 交霊術は黒魔術の入り口になるだけではない。憑依のきっかけにもなり得る。女子中学生に心を開かせ、これを配布できる人物となると、やはり女性だろう。
 ウィジャ盤には外箱もなく、説明書もなかった。どこの国のものかを示す手がかりは、側面のシールに書かれた型番しかない。本部に問い合わせればすぐに調べてくれるだろう。椙山はカメラを出し、写真を何枚か撮った。
 内線が鳴った。カメラをウィジャ盤の横に置き、受話器を取る。
「椙山です」
「あっ、椙山神父様に面談希望の方がお見えなんですけど、今お時間とっていただいても大丈夫ですか?」
 事務員の田中の声だった。
「はい。大丈夫です。なんていう方ですか?」
「初めての方なんですけど……」
 受話器から顔を離す気配。名前を聞き直している。女性の声が奥から聞こえた。
「アイリーン・クドウさんという方ですが」
 聞き覚えがない
「職業魔女で、一度お会いしたことがあると仰ってます」
 それで、椙山は理解した。
「わかりました。通してください」
 果たして、あの日確かに会話を交わした魔女が椙山の部屋に来た。

 ※

 どの都市でも、外来宗教や新宗教の受け入れ地区は区画ごとに全く違った様相を見せる。
 外国からその地の宗教を持ち込んだ商人や大使たちの史跡が残る区画は、今も華やかで新鮮な空気が流れている。その頃教えを受けた人々の子孫は、今もこうした地区に住む。街並みにも、行き交う人にも、心の余裕が感じられる。
 新宗教及び新新宗教が多くの割合を占める区画はそれとはまた違った空気が流れているのだが、運河で隔てられたそちら側には用はない。日野晶が通う清佳高校は、ちょうど運河の真横にある。川向こうは桜並木に遮られ、高校からは見えなくなっていた。
 アキヤが立つマンスリーマンションの屋上からは、運河の向こうも清佳高校の寮も見下ろせた。昨夜見つけた雑居ビルの外階段ほど絶好の監視場所ではないが、寮の出入り口を見張ることはできる。寮までの距離は歩いて二分といったところだろう。理想的な立地ではないが、おかしな奴らとはかかわり合いたくない。アキヤもかなめも、当初の目的だけで手いっぱいなのだ。
 土曜日の朝でも、学校はそれなりに賑やかだ。部活動のために生徒たちが登校し、グラウンドで声を張り上げ、または吹奏楽に使う楽器を音楽室から響かせ始めた。生徒の多くは金曜日の午後の時点で一時帰宅しているはずだ。数人、出入りがあったのだが、晶の姿はなかった。
 晶とは十年会っていない。
 その十年で、明奈は変わりすぎた。
 晶の顔写真なら見ているが、遠距離から彼女を確実に見抜く自信はない。だが呪詛はわかる。アキヤがそれを見落としても、アキヤの呪詛が嗅ぎ分ける。その呪詛が言っている。同胞がここにいると。
 ふと、校舎のほうが気になった。誰かに呼ばれたかのように、アキヤは昨夜忍び込んだ雑居ビルを見た。
 その屋上に、黒衣の魔女を認めた。
 心臓が強く脈打ち、アキヤは息をのんだ。魔女はまっすぐ寮を指している。
 どうやって、誰にも気付かれずそこに上ったかはわからない。何か方法があるのだろう。
 彼女が指さすほうを見た。
 寮の窓が一つ、ゆっくりと開いた。
 カーテンが揺らめき、黒髪の少女が頭をつきだした。髪型は二つに分けた三つ編みで、顔はよく見えない。だが直感的に確信した。
 晶だ。
 四人目の標的は、アキヤ同様何かに呼ばれたと感じているのだろう。しきりに左右を気にしている。
 アキヤは素早く魔女に目を戻した。直後、魔女の手に炎が宿った。
 その手で寮の窓を指す。
「白夜!」
 最もしたくないことを、アキヤは反射的に行っていた。
 白昼の市街地。霊鳥・白夜白蓮がアキヤの背後に姿を現した。その姿を隠せる石原かなめはここにいない。
 だが構わなかった。
 高く上げた腕、まっすぐ伸ばした人差し指を、魔女に向かって振り下ろす。
 蓮の花弁の羽毛、鋭い刃の羽毛が魔女へと放たれ、黒衣に包まれた細い体へと、吸い込まれるように空を滑っていった。

 ※

 秒針の音がやたらに響く中、椙山光が呟いた。
「憑依者の気配……」
 声には出さないが、口の中で言葉を転がすように何度も繰り返し、意味を吟味しているのが唇の動きでわかる。
「タダモノじゃないわよ。あんなのに街にいられたら、たまったもんじゃない」
「でもまあ、だからと言って『来るな』なんてことは誰にも言えませんからねえ」
「そんなことを言ってるんじゃないの!」
 アイリーンは苛立ちを隠そうともせず、英語で早口でまくし立てた。椙山の英語力の程度はよくわからないが、お構いなしだった。彼の発音には日本人にありがちな舌っ足らずな感じがなく、滑らかに聞き取れるので、会話能力に不足はないと決めつけることにしたのだ。
「名の知れた悪魔を呼び出せるほどの実力者が野放しになってる。そこに未知の力を持った憑依者が集まってる。高千穂のあの女みたいなのが……。偶然だと思う? 偶然だとしても、これから何も起きずに済むと思う?」
 椙山がアイリーンを見ずに黙って考え込んでいるので、アイリーンはいっそう苛立ちを募らせた。
「私はまじめに言ってるのよ。あんたの有り難いご託宣の通り、ここでの暮らしがかかってるんだから」
「それはもちろん――」
「私はね、その呪詛の塊が動いているのさえ見えるかのようなの。感覚を切っていなければ気が狂いそうよ。仕事にならない」
 椙山はその言葉で顔を上げ、やっとアイリーンの目を見た。どうやら前半分しか聞いていなかったようだ。
「呪詛の塊?」
 その目に真剣なものを見て取って、アイリーンは力を抜きながら不機嫌に答えた。
「だからタダモノじゃないって言ってんの。この街に既にいるのとは違う。大きさが……まるでもう何人分もの呪詛を背負ってるみたいよ」
「それは一人なんですか? 憑依者の団体様ご一行ではなく?」
「おひとり様のようね」
「何故わかるのです? 私には何故あなたにわかるのかがわからない。クドウさん、あなたの『直感』の精度がわからない、ということです」
 言いながら、椙山は頭の中で考え続けていた。
 一人?
 一人で数人分の呪詛を背負っているということか。ならば他の憑依者はどうなった? 
 まさかとは思うが、新しくこの街にやってきたその『一人』が、他の憑依者から呪詛を奪ったのか? 祓いかたも清めかたもわからないそれを?
 だとしたら、呪詛を失った憑依者は生きてはいないのではないか。
 その『一人』の目的が呪詛を奪うことならば、狙いは日野晶か。
 あの長谷部夫妻が派遣されてきたのも、その『一人』のせいか……。
 アイリーンの手が机の上のウィジャ盤に動く。椙山は思考を中断した。アイリーンは木製のそれをそっと持ち上げ、盤面を見たり、裏面を覗き込んだりした。そして元通り机の隅に置いた。
「たちの悪い魔女や魔術師ばかりとかかわり合ってきたようね」
 幾分優しい声だった。彼女は椙山への接し方を変えようとしていた。
「奴らは自分の感じる力を磨くより、悪いものからそれを得るから。あなたに私の言うことがピンとこないのも当然よ。私は憑依者たちが何もしなければ別にどうでもいい。移動許可がなければ都市を移動できないから、辛いところだけど。気になるのはもう一方の敵よ。魔術師の特定の派閥には何人か仲間を殺されてる。ねえ、奴らの目星はつかないの?」
「つかない、と言ったらあなたは我々を無能扱いするでしょう」
 椙山は嫌味っぽく、形ばかりの笑みを浮かべた。
「いいですよ。一般公開されている捜査方法を隠す必要はありません。報告書を始め、あらゆる遺留品や画像を本部に送って照合しています。データベースからある程度の絞り込みができる」
 ある程度の、というのはぼかした表現だ。
 敵集団の規模は未だ不明だが、現地の人間をうまく取り込む手法に長けている。名の知れた悪魔を自在に召喚し、未だ生き延びているほどの術の手腕を持つ者も限られている。そうした人材を抱えた組織となると、もう特定されたも同然の状況だった。
 四世紀以来の魔害により、信仰や宗教が命綱となるこの世界で、悪魔崇拝は特定の支持を得ている。現世利益を得られるからだ。魔害の渦中にあっても、その惨禍をもたらすものにへりくだれば生きながらえるということは実際にある。よく仕える者となれば、更なる富が与えられるということも有り得る。
 それが魂の滅びに至る道だとしても、死後のことなど誰にもわからない。
 いずれにせよ、悪魔崇拝を行う団体やカルトの類は後を絶たず、
「サマリアの子牛団」
 アイリーンが口にしたそれも、そうした団体の一つだった。
 椙山は無表情になって、呟くアイリーンの唇を凝視した。
「そうじゃない? 絞り込みのリストというのがあるとして、そこにあがっているのは」
「さあ?」
「しかも、かなり有力な候補として」
「彼らは五年前に壊滅に追いやられた。ミラノの惨劇で――」
「でも全滅には至らなかった。首領の……あいつ……ゾラの首級(クビ)をあげられなかった」
「彼の葬儀は盛大でした」
「でも死体は見つからなかった」
 二人は無表情で見つめあった。
 椙山の口許が張りつめる。だが、余裕ぶった笑みを浮かべると、ゆっくり頷いた。
 アイリーンは畳みかけようとした。
「『騎士団』の隠密部隊が葬式に忍び込んだようね」
「リークされた通りですよ。死体を確認できなかったことも含めて否定はしません」
「あなたはゾラの死を信じてるの?」アイリーンは椙山の目を凝視した。「それとも信じたいの?」
 問いを受け、椙山はにこりともせず目を窓に動かした。水色の澄んだ空に、自然空調の半透明の紋様が浮いている。椙山は立ち上がって窓辺に行き、窓に右手の指を押しつけた。その後ろ姿にアイリーンは視線を注ぎ続けた。
「五年前、我々『主の御前の騎士団』はミラノで彼らに大打撃を与えた。十年は元の組織力を回復できないであろうほどに」
「それで?」
「彼らが非キリスト教圏で勢力回復に努めようとするのはごく当然のことです。だからこそ、教皇様のあの回勅(かいちょく)がある」
〈すべての非キリスト教国の各司教区に、戦闘祓魔師を一名配置せよ〉
 椙山は、日本におけるその一人めだった。
「私を殺せば見せしめの効果は大きい。応報です。キリがない。ゾラが生きていようと死んでいようと、それ自体に大きな違いはないでしょう。問題は、ゾラと同程度の実力者がこの街にいるということなのですから」
「だけどあなたは一人でソレと戦わなきゃいけない。勝ち目はあるの?」
「ゾラを打ち倒したとされる戦闘祓魔師をご存じですか?」
 椙山がようやく振り向いた。アイリーンは首を振る。
「いいえ」
「彼は伝説と呼ばれていた。ミラノで取り逃がしたゾラを追いトリノへ……」
 ゆっくり席に戻ってくる椙山は、主の御前の騎士団の戦闘祓魔師たちがそうするように、カソックの下半分のボタンを開けていた。そうしなければ装備品を取り出せないからだ。見れば、椙山は室内にも関わらず標準装備品のブックベルトを腰に巻き付けていた。小袋がたくさんあり、聖書だけでなく、聖水を入れた瓶やロザリオ、ファーストエイドキットを収める小袋がいくつもついている。さすがに日本では拳銃を携行できないので、ホルスターは外してある。
「……そこで消息を絶ちました。ゾラ同様、死亡したものと見做されています。三十歳でした」
「強かったの?」
「もちろん。そして高潔だった。私に彼を越えられるなら、ゾラを討てるでしょう」
「どう戦う気なの?」アイリーンの声が低くなる。「あんたたちは、騎士団と『サマリアの子牛団』との抗争でミラノほどの大都市を廃墟にした。同じことを日本でする?」
 椙山はテーブルの上で指を組み、目を閉じた。答えない。
「排斥運動が起きているわね」
 アイリーンは引かなかった。
「あんたたちの宗教そのものが。彼らの言い分が正当か不当かは別にしても、浪越がミラノのようになることを彼らは恐れているのよ。彼らの一部は無知じゃない」
「クドウさんも不安なのですね」椙山は目を開けた。「当然でしょう、あなたもこの街から安易に立ち去れるわけではないのですから。ただ、私にも力量と裁量を越えた判断や行動はできません。あなたの不安を消すために言えることは何もありません。もちろん、最悪の事態を回避するためにご協力いただけることがあればとは思うのですが」
 苛立ちが、静かに失望に変わっていく。アイリーンはそれに耐えた。
 戦闘祓魔師と言えど司祭だ。人間と戦うことなど許されない。だが黒魔術師だけは例外だ。悪魔召喚その他によって魔害を引き起こそうとする者に対してだけは、実力行使での阻止が許される。だが間違いなく許可されるのは、現行犯で阻止する場合に限られる。そうでなければ、本部からの戦闘許可が必要となるはずだ。
 また、戦闘許可が下り、その権限の行使が完全に正当化される場合であっても、人間を殺傷した戦闘祓魔師は引退後に通常の司祭になることは許されない。
 何故この男を頼ろうと考えたのか、アイリーンは自問した。まだ数人の同業者のほうが頼りになるのではなかったか。たとえ、自分同様、ただ怯えているだけのように見えるとしても。
 椙山の態度からは、考えが全く読みとれない。率直に聞きたかった。どうするつもりなの?
 代わりにこう訊いた。
「ねえ。戦闘許可は出ているの?」
 アイリーンがそこまで考えていることが意外だったらしい。椙山の眉がぴくりと動くのが、前髪を透かして見えた。彼が口を開いたその瞬間、Sランクの魔害を知らせるサイレンが街に鳴り響いた。
 椅子を後ろにはね飛ばす勢いで、椙山が立ち上がった。真後ろの壁に吊した紫色のストラをひっ掴んだかと思うと、もう司祭室のドアノブに手を伸ばしていた。
 アイリーンがようやく立ち上がったときには、もう椙山の姿はなく、ただ足音が階段を駆け下りていった。





 <<前へ「八章 憑依者たち(3/3)」
 >>次へ「九章 学園坂の攻防(2/2)」
 目次へ


 | ホーム | 

プロフィール

とよね

Author:とよね
ファンタジーやSFをメインに小説を書いてます。下のカテゴリ欄から読めるよ!
★印つきは連載中。

冷凍オシドリ累計

ブロとも申請フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。