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冷凍されたオシドリとチューリップ人の王国

趣味で書いている小説用のブログです。

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表現物とキリスト教―Ministry第31号 サブカル特集に寄せて


「ミスター・――タヴァナー。わたしはただひとりきりにしてほしいだけなの」
「いや。きみはひとりきりでいちゃいけない。ひとりでいるときみはだめになってしまう。だんだん弱っていくんだ。ふだんも、毎日、みんなとどこかに出かけたほうがいい」

(『流れよ我が涙、と警官は言った』フィリップ・K・ディック 著/大枝康子 訳/早川書房)



はじめに引用させていただきましたのは、私が愛するアメリカのSF作家ディックの代表作とも言える小説です。
主人公ジェイスン・タヴァナーはテレビタレント。三千万人の視聴者から愛されているものの、彼自身にはただの一人も愛する人がいない。
その彼が、ある日突然世界中の人から忘れられた。
身分証もない。戸籍もない。誰の記憶の中にも自分がいない。
タヴァナーは、渇いた心で都市をさまよう。存在しない男として、警察に追われながら……。

全編を凄まじい孤独と寂しさが貫き、忘れがたい読後感を与える小説です。しかも、間違いなく傑作の小説です。
愛を知らずにいることの痛みと、愛を知ることの痛み。
孤独で痛みに満ちた旅が終わりに近付いた頃、心のありように変容を来しつつあるタヴァナーは、親切だが他人をひどく恐怖する陶芸家の女性アンにこう告げます。
「きみはひとりきりでいちゃいけない。ひとりでいるときみはだめになってしまう。だんだん弱っていくんだ」と。

ディックは私のキリスト教への興味を後押ししてくれた作家でもあります。キリスト教を題材にした数多くの小説を遺しました。
すべては紹介しませんが、『ヴァリス』や『聖なる侵入』、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』など。
その中でも、私が一番強く信仰的、キリスト教的なものを感じ取ったのがこの『流れよ我が涙、と警官は言った』であり、実際に聖書を手に取ってみようかという気を起こさせたのも、たぶんこの作品ではないかと思います。

実際に聖書を読んでみると、これまでの自分の人生と今の自分のありように対して、強烈に突き刺さる一文が書いてある。
それで、雷に打たれたような衝撃を受ける。
少なくとも私の場合はそうでしたが、そうではない人ももちろんたくさんいるでしょう。
それでも、とにかく神や聖書に興味を持たせる創作物はあり、それは宗教の俗化とか冒涜的とかいう批判で断罪できるものではないという確信を私は持っています。



さて、そういうわけで今日は雑誌の紹介です^^
Ministry第31号 ―特集 サブカルチャー宣教論 ニッポンの教会が見出す新たな地平



割とつい最近知ったのですが、「次世代の教会をゲンキにする応援マガジン」というものがありまして、それが今回ご紹介させていただく『Ministry』であるわけですが、なんと! 今回の特集はみんな大好きサブカルチャーです(´∀`*)
気になるお値段¥1,500+税。日経サイエンスと大体同じくらいの値段します。学生さんなどが買うにはあんまり安くないです……^^;


内容は、動画サイトでゲーム実況をしながら仏教を語る住職・蝉丸P氏と『Ministry』編集長・松谷氏との、宗教者とネット文化の接触をめぐる対談。
宗教学者・堀江宗正氏のサブカルチャーとキリスト教のコンタクトゾーンに対する見解。
他にも複数のアニメ・マンガ・特撮ファンの司祭や宗教学者、一般信徒の声が紹介されています。

雑誌としては、キリスト教会の内側からサブカルを通して外を見る、という構造になっています。
もちろんサブカルの中でキリスト教の諸要素に触れている非信徒が読んでも面白い特集かと思うのですが、あまり教会の外に向かって開かれた内容ではなかったのが残念かな……。
それでも、小説という入り口からキリスト教に入っていった身としては、現代的な表現物とキリスト教の関係についてとても前向きに捉えらているところが嬉しかったです。

以下に述べるのはあくまで私個人の考えですが、小説やマンガ、アニメやゲーム、そういったものは、キリスト教の「敷衍」はできても「布教」はできないんじゃないか、という思いはあります。
そもそも表現物はそのために使われるものではないし、そのために使われたら、言葉は悪いけど、もうプロパガンダと変わらない。
この雑誌で紹介されている作品の中にも、そもそもキリスト教の布教・宣教を頭に入れて書かれたものは一つもないわけで。
ただ、上に述べた通り、入り口としては非常に間口の広いものではあります。
だからこそ、キリスト教関係者や信徒という内輪に向かって作品を紹介したり、作品をキリスト教と結び付けて語るという内容で終わってしまったところに物足りなさを感じます。


そして最後に。
キリスト教を題材にした表現物、『聖☆おにいさん』でも『HELLSING』でも『トリニティブラッド』でも『マリア様がみてる』でも何でも、もし仮に布教や宣教という下心があったら、決してあそこまでの人気は出なかったはずです。
厳しい商業主義の世界の中で、純粋に面白いものを追求し、それが作者の才能とうまく嚙み合った結果面白いものができたはずなんです。
私も今、キリスト教を題材にした若者向けのエンタメ小説をブログで連載しています。それで誰かがキリスト教に強い関心を持ってくださったらこんなに嬉しい話はないのですが、もし仮に最初から「布教・宣教を目的に、何か信仰的なものを書いてください」と誰かに言われることがあったら……まあ……私だったら正直嫌ですね……。
それはそれ、これはこれ。
まず、面白いものがあるところに人が来る。信仰的に立派なものを書いたって、面白くなければ誰にも読まれません。
もしこの雑誌を読んで「よし、自分も小説やマンガや音楽などを通してサブカル宣教をするぞ!」と思われた人がいらっしゃるのなら、まず自分の創作物に対して誠実であってほしいと願います。
表現活動をしたいキリスト者の方々、熱意と才能を持つ方々への、しがない一アマチュアweb作家からのお願いです。人´∀`)


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