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冷凍されたオシドリとチューリップ人の王国

趣味で書いている小説用のブログです。

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虹よ、契約の虹よ〈16〉

七章 聖所で会おう、神殿の中で(1/3)



 1.

 除虫菊の群生が、その白さで西日を和らげていた。光を吸った花びらが、海風にさざめきだす。寺の晩鐘が鳴った。その音の波紋は花びらをかすめて広がり、海へと消えていく。
 次の一打が鳴らされた。石段に腰掛けていたパジェットは、振り向いて寺を見上げた。開いた山門が夕日を負って影になっており、その向こうから、三打めの鐘の音が押し寄せてきた。
 その鐘は花のさざめきを鎮め、次の鐘が風を鎮めた。続く鐘が風を叫ばせ、次には花びらを嘆かせた。
 除虫菊が身を捩らせて泣くさまに、パジェットは目を注いでいた。花畑の向こうの海原を、透きとおる死者の群れが歩いて押し寄せてくるのではと思ったが、そのような光景は見られなかった。
 世界の美しさだけが、胸にしみていった。間もなくこの全てが破壊されるであろう確信と共に。
 花は悲しむまい。種を残すだけだ。鳥は悲しむまい。虫を食らうだけだ。風は悲しむまい。吹き渡るだけだ。土は悲しむまい。横たわるだけだ。
 愛する世界が消えていく。けれど悲しむまい。できる限り、嘆き悲しまないようにしよう。
 自分の仕事のことだけを、考え、しよう。世界が終わる前に。

 ※

 ちょっとでも大きな揺れがくれば倒壊しそうなプレハブ。それが四国行きの船の待合いだ。パジェットはアルミサッシの引き戸を開けた。冷房がついているが、必要ないくらいだった。温暖な地域だが、夜気は涼しい。廃熱がこもりいつまでも暑い東都とは大違いだ。
 待合いは、奥の一角にだけ蛍光灯がついていた。何かを警戒するように厚いカーテンが引かれている。蛍光灯から放たれる冷たい白い明かりの下には、ビニールのベンチが背中合わせに四台置かれていた。互いの服が触れ合わぬよう、人が六人、距離をとって、よそよそしく離れて座っている。全員うなだれ、会話がない。白と緑の光を放つ自動販売機が、隅の暗がりから彼らをじっと見ていた。券売所の電気は消えているが、奥の事務所では電話がひっきりなしになっている。職員は他の電話にかかりっきりで、騒々しい。券売所の隣を通り抜け、海産加工物を売る土産物屋の奥の階段を二階へ上がった。二階の一室を、両国同心社が押さえているのだ。
 階段と廊下の電気も消えていた。窓の閉め切られた廊下には、昼の熱気が恨みがましくこもっている。窓の向こうに海があり、船着き場の光を砕いて波に散らしていた。
 廊下の一番奥から二番目の戸のドアノブを掴んだ。右に回して押し開ける。そこも電気が消えていた。ただ、テレビがついており、夜の中でとりどりに移り変わる色彩が、すぐに目を痛くさせた。音声が小さく絞られているのが更に不気味だ。ドアに背を向け、ベンチに体を預け、テレビにじっと見入っている乙葉の後頭部が見えた。そのシルエットに生気がない気がし、パジェットは不安に捕らわれた。
「乙葉?」
 もちろん生きていた。彼女は小さく頭を動かし、それから思い切った様子で振り向くと、パジェットを見て安堵の息を漏らした。乙葉も乙葉で何らかの不安か妄想に捕らわれていたのだろう。
 声をかけるよりも、戸を閉め、彼女の隣に座った。除湿がかかっており、テレビの上の天井の隅に、エアコンの緑のライトがぽつんと浮いていた。
 テレビは西国公共放送局のニュース番組だった。音声は聞き取れないほど小さいが、東国の浪越市で昨日発生した魔害についてであることは、字幕でわかった。破壊された高架と、ビルの上に落ちた磁車、そして二つの尖塔をいただく白い教会が映し出された。
 目を隣の乙葉に移した。
 泣いた痕が顔にあった。目は赤く、唇はきつく結ばれている。
「どうした」
 思わず尋ねた。
 乙葉は顔を上げ、目を合わせてきた。痛々しい笑みを見せた。何も言わずに体を傾けて、乙葉はパジェットの二の腕に頭をもたせかけた。パジェットは、しばらくはただその重みを感じていた。たまらない、孤独な気分が押し寄せてきた。腕を回し、乙葉の肩を抱いた。乙葉の体は細く、温かかった。孤独は少し癒えた。ゆえに、一層際立った。乙葉が泣いた理由は知らない。だが、この孤独が乙葉の胸から流れ込むものだと感じ取り、何も言うまいと決っした。
 恐ろしく寂しいのだろう。そばにいるのに。
「ねえ」
 乙葉の手が胸に触れた。
「何だ?」
「私は働くことは求められてないみたいね」
 上目遣いに見上げる黒い瞳が、パジェットの目を捕まえた。
「どうしてそんなこと言うんだ?」
「しょっちゅう聞かれるの。子供はいないの、って。それで失望されるわ」
 乙葉の肩に回す腕に、つい力が入った。
「おかしいわよね。救助者でもなくて、戦闘員でもなくて、私は最初からそんな期待はされてなくて、まるで理想の妻とか母親を見たかったみたい」
「無神経なんだよ、そいつらは。誰が言ったんだ?」
 乙葉は謎めいた笑みを浮かべるばかり。だが、しっかり合わせた視線から、悲しみを吸い込んだ。
「乙葉」痩せた肩を軽く揺する。「気にするな。誰が何て言ったって、お前は俺のかわいい出来た嫁だ」
 微笑んだまま、乙葉は二度ゆっくり瞬いた。それから目を閉じた。
 パジェットは顔を前に向けた。テレビがあり、廃墟が目に入った。目をそらした。窓があった。カーテンは掛かっておらず、除虫菊の畑と、その向こうの山寺に続く参詣路が見えた。参詣路の石灯籠に火が入れられている。他にも懐中電灯の明かりが見えた。人が集まっているのだ。
 乙葉が体を起こしてパジェットから離れた。温もりが遠ざかる。彼女もパジェットと同じものを見ていた。
「何かしら」
「何だろうな。様子を見てこようか」
 心を惹かれ、パジェットは立ち上がった。
「乙葉」
「ううん、私は待ってる」
「わかった」
「早く帰ってきてね。井田君も心配するわ」
「井田には心配させておけ」
「私も心配」
 乙葉が短い髪を耳にかける。唇をすぼめた。パジェットは腰を曲げ、乙葉は首を伸ばした。二人は慎ましく、軽く唇を触れ合わせた。
「すぐに戻る」
 パジェットは乙葉に背を向ける。ドアまで行き、振り向いた。振り向くまさにその瞬間、振り向くことを恐怖した。乙葉はもういないのではないか? そこに? だが、その笑顔はあった。ベンチに腰掛けていた。もう一度微笑みあう。
 ドアが二人の間で閉ざされると、パジェットからも、また乙葉からも、笑顔は失われた。
 寺院と港を隔てる除虫菊の畑の入り口に、少女が佇んでいた。まっすぐ横たわる明かりのない道と、その先にうごめく頼りなげな光に、じっと目を注いでいた。両手は腰の後ろで組んでいた。髪が短いので、少年かと思った。隣に立ち、顔を見て少女だとわかった。
 十歳かそこらだろう。立ち止まり、じっと視線を注ぐパジェットを、顔を上げて不思議そうに見つめた。
「行かないのか?」
 問いを受け、少女は表情を固くした。そして不審げに尋ね返した。
「おじさん誰?」
 おじさんか。パジェットは肩を揺すって軽く笑った。これでも三十にもなっていないというのに。
「おじさんは、二つ後の船のお客だよ。四国まで行くんだ」
「次の船も四国に寄るよ。それには乗らないの?」
「ああ。おじさんが乗る船は特殊な船なんだ」
 その答えを吟味する間にも、少女はパジェットから目をそらさない。次はパジェットから尋ねた。
「あのお寺では何をやってるんだ?」
「ご住職がね、祈祷してくれるの。無事に帰れますようにって」
「どこに帰るんだ? 家はどこ?」
「横濱(よこはま)」
「そうか。遠いな」威圧感を与えないよう話す努力はするのだが、どうしてもわざとらしくなる。「じゃあなおさら……。どうしてお寺に行かないの?」
「お婆ちゃんが来るなって言うから……」
 月の光、星の光、待合いの外に立つ街灯の光が、少女の目の苛立ちと憎悪を照らし出した。
「お婆ちゃんが?」それは、見る人の心を強ばらせた。「宗派が違うのかな?」
「ううん。お婆ちゃんが怒ってるから。来るなって」
「……どうして」
「死んだのが、私じゃなくて、お兄ちゃんだったから」
 何も言えなかった。
 住職が祈祷を捧げるところをパジェットは想像した。低く朗々たる読経、香の匂いと煙、目を閉じ頭を下げる人々のことを思った。お堂を照らす蝋燭の火を思った。それら全てをあまねく見下ろす仏のことを思った。
 たまらなかった。思わず少女の小さな頭に手を置き、力を込めた。少女は少し怒って手を払いのけ、パジェットから距離を置いた。それでも、怒っているというよりは不貞腐れた表情で、パジェットを見るのをやめない。
「嫌だったね。ごめんね」
「別に」
 寺から人が戻る気配は未だない。
「座って待ってなくて大丈夫? ご祈祷長いみたいだけど」
「長いっていうか、始まってないんじゃないかな。みんな行ったばっかだし」
「だったら中で待ったほうがいい。おじさんがジュースを買ってあげよう」
「ううん、いい。ここにいる」
 少女はつとめて無表情に、パジェットをじっと見上げた。これ以上は干渉できないのだと、少女の目を見て諦めた。この子の世界に入れない。この先何が起きて、、少女が死んだとしても、自分は生き続ける。自分が死んだとしても少女は生き続ける。お互いにそれを知ることもない。互いに自分の事情で忙しすぎて、きっと思い出すことも、知ろうとすることもないだろう。
 パジェットは別れを告げた。
「わかった。じゃあね」
 少女は見上げるのをやめて、また前を向いた。パジェットはそっと離れた。待合いに戻っていく。二人が互いに関心を抱くことは、もうない。
 二階の部屋に戻ると、相変わらず電気を消したままの部屋で、毒々しいテレビの光が移り変わっていた。乙葉と井田が、適度な距離を置いて同じソファに座り、入り口に頭を向けていた。パジェットは声もかけずに入り込み、乙葉の左隣に腰を沈めた。
 テレビ画面は深宇宙探査機〈カグラC1〉を映していた。その打ち上げが今日だったことを思い出す。探査機は、蜃気楼の中を、太い火柱を供にして上っていった。
 続けてイラストボードが映し出された。
 音声はないが、爆発を示す炎のイラストによって探査機の運命を悟った。
「ああ……」
 宇宙ステーションに回収された機体の残骸が、続けて映し出された。焦げて歪んだ鉄塊が二つ。
 それだけ。
 井田が、ほとんど独り言のように尋ねた。
「これ、地上に落ちてこないか?」
 パジェットは嘆くのをやめる。
「入射角が浅けりゃ大気圏で燃え尽きるだろうが、どうだろうな。赤熱化して降ってくるかもしれん」
 夜は長く、始まったばかりだ。





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