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冷凍されたオシドリとチューリップ人の王国

趣味で書いている小説用のブログです。

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虹よ、契約の虹よ〈12〉

五章 鳩は落ちた(1/2)



 1.

 険しい山を切り開き、集落が五つ。山肌を滑る沢を挟み、右に三つ、左に二つ。山の中腹から山頂にかけて展開される集落は、それぞれ架線ゴンドラや石橋、石段によって結ばれていた。
 湧き水の豊かな中腹の二つの集落は、古い街道と交差することもあり、二、三百年も昔はかなりの賑わいを見せたという。今でも重要文化財に指定された数々の古い家屋が旧街道沿いに立ち並んでいるが、観光地化に成功しているとは言い難い。観光客としても、また働き手としても若者を誘致したいという行政の思惑が張り出されたポスターから窺えるも、霧に閉ざされた街道そのものが既に老いの気配を漂わせている。
 数々の土産物屋や資料館が開く時刻にはまだ早い。表に出て早すぎる店支度をしたり、掃除や花の水やりをするのも、湧き水の井戸で野菜を洗うのも、老人ばかり目立つ。犬の散歩をしている四十過ぎあたりの女性が、この時間目に入る中では一番若い。
 上の二つの集落は鍛冶場だ。重く湿った霧の中にあっても、その煙は遠方からしかと見極められる。
 砌沢市火谷(ひたに)。砌沢市の行政区分に含まれるも、経済規模も、風俗も、住民の気質も、都市のそれとはまるで違う。
 火谷には霊晶石の鉱脈がある。それを精製し、守り刀が作られてきた。現代のそれは刃が立っておらず、人を傷つけることはできない。だが、もとより物理的な武器が通用し難い妖魔に対する威力はいささかも減じてはいない。
 山頂の集落は火谷の聖域だ。鍛冶の神である金屋子神(かなやごかみ)が祀られる。下の集落と聖域を結ぶのは、千段以上もの細い石段だけだ。今、聖域では巫女や神職たちが神社を掃き清め、また、廊下を拭いていた。
 これが、霧を透かして空から見下ろせる火谷の全景だった。
 ぴんと張った翼を傾けて、アキヤの霊鳥・白夜白蓮が飛ぶ。長い尾が風に揺らぎ、そのまばゆい白さは霧の陰気な白さを払い、光を引くかようだ。鳥は火谷の下方の集落に吸い込まれていく。七月四日、日曜日。白夜白蓮は、集落近くの鬱蒼たる森に舞い降りた。
 湿った土と枯れ葉の上に綱が落ちた。渦を巻くその先端を、かなめの靴が踏んだ。足首まで覆うタイプの安全靴だ。銅鏡・濡れ鏡を抱えたかなめは鳥から離れると、振り向き、翼の間でその淡い光に抱かれたままでいるアキヤに尋ねた。
「呪詛の臭いはわかるかい?」
「わからない」姿は見えぬが、声がした。「感じにくくなってる」
 近くの杉の木にもたれかかり、かなめは腕組みして目を閉じた。霊鳥の背からは、ごそごそと着替える音がする。
「鼻が慣れた、てことか?」
「そういうことだな……」口ごもる。「そういうことだね……そうだよ、かな。そうですわ……いや、これはやめよう」
「口調だけ変えてどうする。声がアキヤのままだよ、明奈」
 手鏡を開く音。髪を梳く音。「あー」青年の声。「あー」高めの男の声。「あー、あー!」女らしい声になった。
 その女の声で続けた。
「体臭と同じだよ。どんどん呪詛の臭いに鈍感になっていく。灰田のときからなんかそんな気はしてたけど、大野の件で確定だね。白夜はね、三人分の呪詛になっちゃったんだ。臭いも強い。だからそれに慣らされて、わからなくなっていっちゃうんだ」
 もう完全に、女が喋っているようにしか聞こえない。
「その理屈なら、明奈、君は他の憑依者からはさぞかしぷんぷん臭って感じられるだろうな。最初に不意打ちで殺した灰田のように鈍感な奴ならともかく、君のように勘のいい憑依者からは、逆に不意打ちを食らいかねない」
 そこへ、鳥の上から人が下りてきた。
 女だった。
 胸を大きく見せるブラジャーに詰め物をし、装着している。女物の細いストレッチパンツ。白いブラウスに黒のベスト。チェックのハンティング帽。真っ黒いオニキスのピアスに黒いレースのチョーカーが辛口な印象を与えつつも、チョーカーについたピンクゴールドのメダルが女性的な愛らしさを際立たせている。髪はいかにも活発そうなショートカット。銀色のチェーンが光る小さなハンドバッグを下げている。
「お待たせ、明奈だよ」
 明奈はにっこり笑って手を振った。かなめは表情を和らげて、軽く肩を竦めた。
「どうも。大変ボーイッシュでかわいらしい仕上がりですよ、お嬢様」
 三十代女性と二十代男性の組み合わせは目立つ。田舎なら余計に。まして全国区で捜索されているのならなおのこと。都市の人混みに隠れることができない場合には明奈として振る舞うことを、アキヤ自らが提案した。案外楽しんでいるようだ。
「さ、行こうよ、お姉ちゃん」
 かなめの目が優しさを帯びるも、笑みを見せるには至らなかった。
 火谷村の中でもっとも低地にある集落を二人は歩いた。一言も口を利かない。地形に沿ってカーブを描く石畳。漆器の店。木工品の店。民俗資料館。井戸。神社。霧は霧雨に変わる。川の音が近付いてきた。道なりに神社をさらに奥へ進むと、長い木橋が現れた。ふっくらと孤を描きながら、対岸の集落へ消えていく。集落の左右には壁のように黒緑色の山が立ち、どの屋根も、山々を前にして土にへばりついているように見えた。
 二人はなお歩いた。橋を越え、いくらも歩かぬうちに、上方の集落へ渡る短い架線ゴンドラの乗り場についた。その広場の片隅で、木造の平屋の喫茶店に明かりが点っていた。二人は目を合わせ、歩いていった。
 黒ずんだ木の扉をかなめが押す。見た目に反して軽かった。ぎぃっと軋み、パンを焼く匂いとコーヒーの匂いが流れ出てくる。正面にカウンター席。その左右に五つずつテーブル席がある。左奥にはテレビがあり、朝のニュースが流れていた。カウンターには初老の女性と中年の女性とがいた。一応は観光地の接客業者としての態度と、よそものを見て訝しむ態度とが複雑に混じりあった視線がかなめと明奈に放たれた。初老のほうが言った。
「あら、いらっしゃい。ご旅行ですか?」
「はい。水野屋に泊まってます。川向こうの。朝の散歩中でして」かなめは二人にまっすぐ顔を向けて尋ねた。「もう開店してますか?」
 二人の店員はすぐに愛想笑いをした。
「開いてますよ。どうぞ」
 二人は左奥のテーブル席に座った。カウンター席からは死角になり、話し声はテレビにかき消される。コーヒーと朝食のセットを頼むと、折りよく老人の男性客が入店し、カウンター席についた。地元の人間だ。店員と声高にお喋りを始め、二人に対する注意は反れた。
「こんなに朝早くからやってる理由がわかったよ」明奈の声は完璧に女の声だ。ハンティング帽を取り、ヘアワックスで癖をつけた短い髪を指で梳く。「年寄りの生活に合わせてるんだ」
 食パンとサラダ、ゆで卵と、温かいコーヒーが来た。山間部の朝は夏も冷え込む。カップを唇に運ぶと、流れ込む香りが目を覚まさせた。温かい苦みが冷えきった体を癒やしていく。空を翔る鳥にしがみついているのは並大抵のことではない。風が容赦なく体力を奪い、寒く、力を抜けばたちまち振り落とされて命はない。
 一気にカップ半分ほどもコーヒーを飲むと、ようやくニュースに耳を傾けられる心地となった。
『来週十一日に打ち上げが予定されるミツバ重工業社の深宇宙探査機〈カグラC1〉のお清め式が、本日朝八時半より行われます――』
「アレの開発担当者は無神論者だよ」
 レタスにフォークを突き刺しながら、かなめが無表情に言う。機嫌が悪いわけではなく、もともと愛想がいいほうではないのだ。明奈はゆで卵を皿の縁で叩き、ひびを入れながら小首を傾げた。
「どうして知ってるの?」
「社内報のインタビュー記事で見たよ」
「どうして霊能研究所の社内報に重工業の開発担当者のインタビューが載ってるのさ」
「同じミツバグループだからね」
「そういえば、アレに搭載される重力管の浄化装置の祈祷権は霊能研究所が競り落としたね。そういう繋がり?」
 レタスを噛み砕く音が続いた。
「よしんば談合があるとしても珍しい話じゃないよ」
 無神論。呪詛や妖魔が社会を蹂躙し、祈りと信仰が命綱となるこの世の中で無神論が登場したのは十九世紀からだ。雷に理由があるように、雨や雪に、地震や噴火に、疫病や、干魃に理由があるように、重力波変調や妖魔の発生にも理由がある。祈祷によってそれを調伏(ちょうぶく)できるというのなら、それにも理由がある。祈れば妖魔が退散する。どれだけ祈ればこうなる、という因果があるのなら、それは科学に分類できる。必ずしも神が介在する必要はない。そういう考えかただ。
「明奈。あの偽体者の娘について君はどう思ってる?」
「ん? あー、うん」明奈は目線を動かして、おととしに打ち上げに成功した深宇宙探査船の資料映像を見ながら生返事をした。「あの子、模造神器のテスターだよね。だとしたら一人じゃないはずだよ。同じようなのが他にもいる。偽体者かどうかはわからないけど」
「同意見だ」
「なんであそこにいたんだろう。宮部や大野とは知り合いだったのかな。私たちがこうしている以上、憑依者にはりついてれば実地性能試験のチャンスが増えるはずだし」
「皆無神クロエがもう浪越にいない可能性については?」
「今の時点じゃ何とも言えないな。信じる根拠はないし、ていうか、仲間をかばって嘘ついてるかもしれないし。結局浪越には行くよ。晶がいるんだもん」
「晶はどうする?」
 付け睫毛をした、わざとらしいほど女らしい丸い目の光が尖る。
「憑依者は殺す」
「わかってる。そうじゃない。晶は呪詛を結晶化できないんだ。これまでみたいに相手がそれを出したら食うってわけにはいかない」
「晶ごと食べさせればいいよ。大野の体に残った呪詛の残りだってそうした」
「あれは大野の死体を食った訳じゃないだろう。あくまで無抵抗の死体から、呪詛だけ食ったんだ。かといって、晶を殺してから食わせるとなると、結晶化によって体外に逃がされなかった呪詛がどういう飛び散り方をするかわからない。生きたまま食わせるとしても、君の白夜は物質を食えるのか?」
「それなんだよなあ」
 明奈はきゅっと眉を寄せた。現時点で答えられる質問ではなかった。

 ※

 アキヤすなわち明奈の鼻が鈍くなっているとはいうものの、結晶霊体・白夜白蓮はその限りではない。呪詛には呪詛がわかる。呪詛は呪詛と呼び合う。
 呪詛は、一つに戻りたがっているのではないか?
 七つに分かれて宿ったのは、呪詛にとって不本意なことだったのでは?
 ならば私・オレのしていることは、呪詛の思うつぼではないか?
 私・オレは、呪詛に操られているのではないか。
 そのような不穏な考えが昨日の暮れ方頭に浮かび、今なお意識の片隅でくすぶっていた。
 とにかく、白夜白蓮は呪詛の気配を追ってここに来た。憑依者の気配は軽沢地上市を発ち、リングを通って市外に出、幹線道路を東都方面へ向かうも、数日後に引き返してきた。間もなく南西を目指した。それが、次の標的たる宮部まきと思しき憑依者の動きであり、それを追う白夜白蓮の動きであった。
 かなめが警告するとおり、宮部の勘が鋭ければ、彼女は明奈に気付いているはずだ。不意打ち。あり得るかもしれない。
「二人いてよかったよ」
 喫茶店を出た明奈はかなめに言う。かなめは財布をしまいながら明奈に目を移した。重力波変調を告げるサイレンがどこからか聞こえてきた。上の集落だろう。不愉快な音程の単音が向かいの山肌にぶつかり、跳ね返ってくる。反響のせいでけたたましく鳴り響いているかのようだが、警報ランクはD。この程度は日常茶飯事だ。
 DからBランクの重力波変調、重力波を変調させる妖魔の卵とでも呼べるものに対しては、祈祷によって調伏ないし浄化して動力に変換するシステムがある。Aランクの警報だった場合には、特別な浄化が必要だ。浄化に時間がかかる場合には、その土地に封印される。それは長い時間をかけて霊晶石と化す。それは新たな産業と風俗の土台となる。この火谷が鍛冶によって栄え、もともとは中国地方で信仰されていた神が勧請(かんじょう)されたのもその例だ。
「何をいきなり言い出すんだ? プリンを買ってほしいのか?」
「真面目に言ってるんだよ。向こうから襲いかかってくる可能性考えたらさ、一人より二人のほうがいいじゃん」
「二人まとめて殺(や)られるだけだ」
「私のお姉ちゃんはそんな役立たずじゃないよ」
 にやりとする明奈の顔を、かなめは無表情のまま見下ろした。
 一応は観光地化されているだけあって、火谷の集落には趣がある。道に敷かれた砂はよく踏み固められており、霧の湿気を吸って靴底にいくらかつくものの、不快になるほどではない。道の両脇には古い木造の建物が並んでいる。煎餅屋の老婆が店先で準備を始めていた。その隣の建物は格子戸が固く閉ざされて、何の店かは見た目ではわからない。だが小豆ともち米を炊く匂いが中からにじみ出てきている。
「ねえ、プリンよりおはぎが食べたいよ」
「買ってやるよ、用が済んだらね」
「今!」
「まだ開店してないだろう」
 それで、まだ朝の八時にもなっていないことを思い出した。昨夜ほとんど寝ていない上に、このような僻地では朝七時の祈りの放送が流れないので、時間の感覚が狂いやすい。明奈は唇を尖らせた。
「もう十時くらいかと思ったよ。やたら眠いんだもん」
 集落は活気に満ちていた。明らかに地元の人間ではないとわかる人間が、そこかしこを行き交っている。まだ都市から磁車が来る時間ではないから、泊まりの観光客だろう。水が豊かな土地だ。そこかしこに湧き水を引いた水飲み場があり、幼い兄弟が水をためる舟に手を突っ込んでは水を掛け合い、それを避けては舟の周囲で身を屈め、騒ぎ、父親が叱りつけている。子供は笑いやまない。その近くでは若い女性のグループが観光案内の地図を広げ、今日の予定を語り合っている。火谷村だけでなく、近隣の村や町への案内も載ったものだ。霧雨はとうに止み、薄らいだ雲の向こうには、青空が滲んでいる。
「そんな緊張感のないことでどうするんだ?」
「わかってるよ。でも疲れるものは疲れるの!」
「宮部を探せ。休むのはそれからだ」
 かなめが立ち止まり、行く手を指さした。その先を目で辿ると、左手側で建物の列が切れ、川を見下ろす空き地になっていた。背もたれのないベンチが設けてある。
「あそこで待ってな。さっきの人たちが持ってたのと同じ地図をもらってくるよ。紙に折り目がついてなかったから、あの人たちも入手したばかりだね。この辺にあるはずだ」
 明奈は地図の入手をかなめに任せることにした。
 木のベンチは湿っていた。明奈は構わず座った。道なりにカーブしていく相棒の姿を見送る。明奈はかなめが好きだった。抜け目がなくて、頭がいい。性格も落ち着いている。もしも自分が生まれながらの男だったら、と思う。互いの立場も、十六歳もの年の差も構わず過ちを犯していたかもしれない。いや、かなめはそこで過ちを犯すような女ではない。第一、明奈がはじめから男性であれば、女性のかなめが自分にあてがわれることもなかった。
 そのかなめと、一時間ほども喫茶店に居座って宮部を探す方法を考えた。結局出た答えは、歩き回って探すという残念な方法であった。かなめが明奈の身の安全を最優先した結果だ。ここで身柄を研究所に……あの災厄の日よりこのかた、十年も明奈が身を寄せたミツバ霊能研究所に戻されるようなことがあれば、目的が果たされることはない。この手にかけた他の二人の憑依者の死も無駄になる。檻付きの部屋に放り込まれる事態だけは避けなければならない。
 一人になると、途端に疲労が襲ってきた。強ばった体を少しでもほぐそうと両腕を高く上げる。座ったまま伸びをした。ついぞ薄い雲が割れて、直射日光が明奈の後ろから差した。顔と両腕を上げた明奈の影が、足許から長く伸びる。
 通りと人々の向こうから、何かが飛んできた。明奈は見ていなかったが、その何かは明奈の影の腹の部分に突き刺さり、砂を貫いて、どすっという音を立てた。そして、明奈の体は伸びの姿勢のまま硬直し、動かなくなった。
 いきなり体が木にでもなったようだ。
 探していた人物が、向こうから来たのだ。
 影を縫い止めるものは、黒い細い杭のようであり、深々と地に突き立てられた槍のようでもあった。その上端は、もし立ち上がることさえできれば、明奈の腰の辺りにあるだろう。
 今、明奈の目には、口を開けたような薄雲と、その向こうの青空が見える。太陽が雲を押し退けて、青の領域を広げていく。雲が光に清められ、その灰色が撤退し、白く洗われていく。明奈はゆっくりゆっくり目を動かして、眼球をめいっぱい下にやる。影を縫うものを見て、明奈はそれは杭でも槍でもなく、釘だと理解した。頭に目皿があったからだ。
 文字通り釘付けというわけだ。
 ちょうど太陽が現れたそのときには、誰も明奈のほうを見ていなかったのだろう。人の賑わう声は聞こえるが、それはまったく平和なざわめきで、異変に気付いている気配はない。警報が鳴らないのは、この力が人によるものであり、妖魔によるものではないからだ。
 まさか。
 明奈は冷静になろうと努める。まさかこんな人の多いところでやり合うつもりはないだろう。
 瞼を閉じ、眼球を休ませた。それからもう一度目を開けて、今度は通りの向かいを見た。
 二つの長屋の間、地元の人間しか使わないような細道の間に、誰かが立っていた。明奈の注意は自然とその人物に向けられた。
 女だ。
 その佇まい。細い道の真ん中で、左半身を前にして立っている。グレーベージュの女性用スラックスに包まれた二本の長い足と、細く締まった腰。腿に垂れる、物を言うような長い指。腕と体を覆うジャケットに、そこから覗く白いブラウスのひだに、腰のベルトに、スラックスの陰影に、張りつめた静と動がひしめき合っている。
 目線をもっと上げる。
 明るく染めた髪が肩にふんわりかかっている。
 動いた。
 流れるように動き、明奈に歩み寄ってくる。
 もう、誰だかわかっていた。道の半ばを渡ったところで、顔が見えるようになった。
 宮部まきは完全な無表情だった。軽沢から逃げ出してそのままなのだろう。化粧はしていない。だが、持って生まれた素顔のままで十分に美人だった。冷たい印象の美人で、今の完全な無表情がさらに冷え冷えするものを伝えてくる。
 彼女は大野よしみと仲が良かったはずだ。同じ呪詛で結ばれた二人は親友のような仲だったとさえ聞く。二人が並び立っていれば、さぞ人目を引く華やかな組み合わせだっただろう。
 そんなことを考えている間にも、宮部は明奈の前まで来てぴたりと足を止めた。明奈は伸びの姿勢で硬直したまま彼女を見上げ続けた。
 よくわかったものだと思う。男から女に変わったというのに。明奈は無性だ。もしかしたら、無性は無性という性別なのであり、それこそ一目でわかるような独特な雰囲気があるのかもしれない。
「やめてくんないかな」明奈は余裕ぶって引き攣った笑みを見せた。「あくびしたままじゃ、かっこ悪いじゃん?」
「私が逃げたと思った?」一方、宮部は顔も声も無表情を保ったままだ。「残念。つけ回していたのよ」
「よくわかったね」
「わかるに決まってるじゃない。あなただって他の憑依者がわかるでしょ? 第一あなたは臭いのよ。ぷんぷん臭うんだから」
「臭うのはそいつじゃないよ」
 かなめの声がした。目を右に動かすと、建物の陰からかなめが現れて、ベンチへと歩いてくるところだった。呆れた口調で続ける。
「小学生のいじめみたいな言い方はやめてやれ。そいつ、結構繊細なんだよ」
「人を二人も殺して平然としている奴は繊細とは言わないわ」
「君も今からそいつを殺すつもりだろう?」
「ええ」宮部は体の向きを変えてかなめと向き合った。「よしみさんの仇ですもの。そして、あなたたちが集めた呪詛は私が引き継ぐ。拡散はさせないから安心してちょうだい」
 今度は明奈がそれに応えた。
「大した友情だね。で? 呪詛をばらまかずに回収しようと思ったら私に結晶化させなきゃいけないはずだけど。どうするの? 一般人を巻き込むつもり?」
「それしかないのなら。今決着をつけます」
 異様な空気が隠しきれなくなりつつあった。ちらちらと視線を感じる。人の目が集まってきている。
「最後に聞かせてよ」明奈は声を抑えた。「どうしてここに来たの? 軽沢からここに来るまでの間どうしてたの?」
「一度は東都まで護送されたわ。車を奪って戻ってきたのよ。あなたを野放しにするのは嫌だから」
「ふうん」
「さあ、日野さん。結晶化してもらわなければ呪詛を取りこぼしてしまうことはわかってるわ。おやりなさい。結晶霊体を出したときがあなたの最期です」
「そんなにうまくいくかな」
 宮部はそれに答えず背を向けた。方々から遠慮がちに送られる、探るような視線の中を歩いていく。
 そして、道に出ると、鋭く指を鳴らした。
 直後、明奈の影を貫く釘が消え、体に自由が戻った。





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