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冷凍されたオシドリとチューリップ人の王国

趣味で書いている小説用のブログです。

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虹よ、契約の虹よ〈7〉

三章 七番目の司祭(1/3)



 1.

 立派な大聖堂だった。
 浪越(なみこし)司教座聖堂。別名、カトリック水早教会。在籍信徒数五〇一名。司祭六名。そして、三ヶ月前に日本で唯一の戦闘祓魔師(ハイエクソシスト)として配属された司祭が一名。
 その聖堂は尾張管区浪越地上市、市の東部に位置する水早(みずはや)区の沿岸部にそびえ立っていた。そこは外来宗教・新宗教・新々宗教の受け入れ地区になっており、幾重にも折れ曲がりながら地下市へと緩やかに下っていく傾斜路(ランプ)からなる傾斜路街(ランプがい)の上端に接している。門扉は開いており、前庭、その奥の階段の上に白塗りの聖堂が口を開いて待ちかまえている。開いた両開きの扉の向こうは薄暗く、ステンドグラスが青や赤に輝きながら浮かび上がっていた。目線を上げると、扉の上にもアーチ形のステンドグラスが設けられているのが見えた。さらにその上には二つの尖塔があり、どちらの塔にも大きな鐘が吊り下げられていた。塔は円錐形の鉄製の帽子をいただき、その先端には避雷針を兼ねた小さな十字架を頂いている。聖堂の大きさに比べれば、その十字架の小ささは微笑ましいほどだ。
 大聖堂に背を向けて振り向けば、梅雨の中晴れとなった本日七月三日、銀紙で覆ったようにきらめく年魚市(あゆち)の海のただ中に、熱田(あつた)の宮が浮いて見えた。三つの区に分けられた浪越三市の最大聖地であり、神政国の三種の神器の一つに数えられる剣(つるぎ)がご神体として祀られているという。
 朝九時半のミサまでは、まだ三十分以上もある。が、ランプ街に繋がる聖堂前の坂道の上からも下からも、続々人が集まってくる。水早区にいるカトリックの信徒がここに集まるのだ。大日本神政国におけるキリスト教人口は〇・五%。カトリックの教派に属するのはそのうち四十七%。決して多くはない。それでも続々集結しては聖堂の扉へ吸い込まれるように階段を上っていく人々を見ていると、その数が少ないとも言えず、不思議な気分になるのだった。
 川原真為(かわはらまなせ)は聖堂の門の前に佇んで、そのまま信徒たちを見ていた。
 違う教派の教会を訪ねるのはいささか緊張する。夏らしく軽やかに仕上がるようカットしたセミロングの髪が首筋にかかり、その下から白っぽい紐が見えていた。紐には十字架が通されており、夏物のスーツに隠された真為の胸に垂れている。十字架をかけてここに来たのは、同じキリスト教徒であり、従ってあなた方の仲間ですよとアピールしておきたいという警戒心の裏返しの行為であったのだが、いささか自意識過剰であったらしい。この教会の信徒たちは、門扉に立ったままの真為に一瞥をくれるものの、さして関心を払わずに、そのまま聖堂に入っていく。
 大聖堂(カテドラル)。司教が座る司教座(カテドラ)がある教会のみそのように呼ばれる。プロテスタントの教会には大聖堂はない。司祭や司教といった階級制もない。カトリック教会を取り仕切るのは聖職者だ。これもまた違う。プロテスタント教会にいるのは聖職者ではなく教職者。一般に信徒からは、牧師先生、と呼ばれる。カトリックの聖職者は、神父様、と呼ばれるのが一般的らしい。神父先生、ではないことを他派の流儀に疎い真為が知ったのは、つい最近のことである。
 そしてこの華麗な建築様式。
 不思議で、新鮮な気分だった。真為の教派とは、目につく何もかもが違う。本当に同じ宗教かと思うほどなのだが、十字架を見ればそうだとわかる。逆に、それを見なければわからないというほど違うとも言える。
 門の前に立っているのも居心地が悪くなってきた。
 約束を取り付けた相手は、九時半に門扉の前に来てくれると言った。だが着くのが少々早かった。あと十五分以上もある。
 肩から下げた紺色のバッグには、待ち合わせの日時と場所、行き方、市電の時刻、そして今から会う相手の名を記したメモが入っている。が、もうそのメモは必要ない。書かれた内容はとうに覚えてた。真為は緊張を込めて、口の中で静かにその名を呟いた。
 椙山光。
 すぎやまれい、と読むらしい。上も下も読みにくい名だ。真為も人のことは言えないが。
「あの」
 と、声をかけられて、海を見ていた真為は目の焦点を眼前に定めた。自分と同じく女子大生と思しき二人組がいた。
「どうされましたか?」
 そのように尋ねられるのも当然のことだろう。ここにいるわけをどう説明しようか真為は迷ったが、誤魔化しては余計に不審に思われるだけだろう。あ、いえ、と口を濁した後、愛想笑いを浮かべて応じた。
「少し、こちらの教会の司祭の方と面談の予約がありまして」
「どの神父様ですか?」
「椙山神父様です」
 二人の若い女性は、しばし連れ合いの顔を見合った。どうにも反応に困っているようだ。
 神道(しんとう)の国であり、つまり非キリスト教国であるこの大日本神政国に、初めて赴任した戦闘祓魔師(ハイエクソシスト)。すべての司祭が悪魔祓いの基礎教育を受けている以上、すべての司祭が祓魔師(エクソシスト)であるとも言えるのだが、戦闘祓魔師の職能は一般の司祭と明確に区別されている。
 バチカンを総本山とするローマ・カトリック教会常設の対魔戦闘部隊、『主の御前(みまえ)の騎士団』。日本でいう聖務防衛軍に該当する組織だ。全てのキリスト教国に基地を持つ点が、それとは異なっている。
 全ての戦闘祓魔師が『御前の騎士』の称号で呼ばれ、騎士団に属している。実体を持って物理的な破壊を行う妖魔、キリスト教的理解で言う悪魔や悪霊との戦闘法を、彼らは徹底的に叩き込まれている。殉職率も高い。噂によれば、対魔戦闘で殉職した戦闘祓魔師は生前の罪を全免償され、煉獄(れんごく)を経ずして直接天の御国(みくに)に行けるという。免償、煉獄……これも真為にとって馴染みのない教義だ。
 全ての非キリスト教国に戦闘祓魔師を一名配置せよ、というローマ教皇の回勅(かいちょく)が出されたのは、今年一月だった。そして椙山という男がきた。東国の首都である東都及び皇都、西国の首都である京都及び阪都(はんと)、そのどちらからも警戒され、彼は受け入れられなかった。それで浪越に来たのだろう。一地方都市とはいえ、一応は日本の三大都市に数えられる市だ。派遣する側にとっても、受け入れる側にとっても、妥協するのにちょうどよかったのだろう。
 そんな戦闘祓魔師に用があって来たという真為が、おかしな目で見られるのも仕方ない。
「椙山神父様、いるかなあ」
 一人が問いかけ、もう一人が答える。
「その辺にいるんじゃない?」
「二度寝してたりして」
「わ、してそう」
 どうも信徒からの扱われ方が軽い。二人はしばらく顔を見合ってから真為に向き直った。
「司祭館に行ってみたらいいですよ。お聖堂(みどう)の横の、あの建物です」
 指を差されてみてみれば、確かに立派な聖堂の右横に、赤煉瓦造りの五階建ての建物があった。二階部分の窓には十字架のステンドグラスが設けられている。それなりに立派な建物なのだが、この大聖堂の真横にあってはどうしても小ぢんまりとして見えた。入り口は門扉からは見えない。真為はそちらに行ってみることにした。
「ありがとうございます」
 ふと興味がわいて尋ねた。
「椙山神父様って、どのような方ですか?」
「えっ」
 二人は首をかしげあう。
 それから一人が躊躇いがちに答えた。
「かっこいい……」
「えっ」
 と、今度は真為。もっと中身に関する話を聞けると思っていた真為は、愛想笑いをしたまま困惑を顔に出してしまった。答えたのとは違うほうの女性が取りなした。
「まあ……会えばわかると思いますよ」
「は、はい。ありがとうございます」
 真為は一礼し、やっと門扉をくぐった。
 人の流れを離れ、司祭館に向かう。歩きながらスーツの襟を整えた。都市の空には水神である龍の符が輝き浮かんでいる。その巨大な円形の符から涼気が送り込まれてくるので、地上市は夏でも暑くはない。
「これまであの男を訪ねてきた奴は全員ただの精神病だった」
 真後ろではっきり声がして、真為は立ち止まった。
「どうせお前もそうなんだろ?」
 その声に悪意を感じ取った瞬間、スーツの下の真為の腕が、ぞっと鳥肌を立てた。
「ちょっとでも考えて見ろよ。信徒数五〇一人で司祭六人ってことはな、司祭一人で八十三人か四人を見なきゃいけないんだ。なのにあいつは職務区分が違うからって司式もしなけりゃ聴罪(ちょうざい)もしない。役立たずなんだよ。日本にあいつは必要ないんだ」
 誰? と聞こうとした。そのとき、喉から声が出ないことに気が付いた。真為は明るい朝の日差しの中、人々の気配を間近に感じながら、一人凍り付いていた。
「おかしいだろぉ? この日本で、言霊のさきわう国、八百万の神の国で『悪魔』!」
 異常な事態だということはもうわかっていた。声は幻聴とは思えない。耳にはっきりと聞こえる。はっきりと高笑いをし、はっきりと言葉を続けている。
「他の司祭も事務員も嘆いてたぜ? おかしな電話ばかり増えて、いいことは何もない。あんな男、来なければよかったってな!」
 体に力と気合いを込め、えいっ、と振り向いた。
 門扉から聖堂に向かう人の流れが見えた。
 空は快晴。ちぎれ浮く白い雲が爽やかだ。空に連なり輝く丸い符から涼気が降りてくる。そして、真為の後ろには、誰も立っていなかった。
「何かご用ですか?」
 今度はいたって優しく声をかけられた。
 もう一度司祭館に向き直ると、建物の裏から一人の司祭が出てきたところだった。横の植え込みに、赤い百日紅(さるすべり)が咲いている。
 詰め襟で、丈がくるぶしまである、司祭平服(カソック)と呼ばれる服を着ている。上から下までボタンがずらりとついており、白い差し込み式のカラーが襟に光っていた。
 声をかけてきた司祭は、歳は五十過ぎといったところだろう。髪は灰色になり、眼鏡をかけている。日に焼け、痩せ型だががっしりして見える。真為は一礼し、歩み寄った。
「おはようございます。私、本日面談の申し込みをさせていただきました川原と申します」
「ああ、川原さんね。川原真為さんでしたっけ?」
「はい」
「どうも、おはようございます。私、主任司祭の平沢と申します」
 近付いてみると背が高かった。真為はもう一度頭を下げた。
「すみません。早く着いてしまって」
「いえいえ、全然構いませんよ。椙山も空いておりますので」
「よろしくお願いします」
 そのとき当の椙山光は、ちょうど門扉の反対側にある、司祭館の東の玄関口にいた。子供連れの夫婦の信徒と立ち話をしていたのだ。
 正確には、話を中断して猫を捕まえていた。
 教会に住み着いている、白地に茶ぶちの猫である。去勢した痕があるので、元はどこかで飼われていたのだろう。しばらく迷い猫の張り紙を出したが名乗り出る者がいなかったとのことで、そのまま教会にいる。とくに名は決まっていない。「シロちゃん」とか「ブチちゃん」とか、みな勝手に呼ぶ。教会の周囲の家を回って餌をもらって生きている。信徒も餌をやっている。教会も敢えて止めない。なお、猫がどこで排泄しているのかは誰も知らない。
 猫は菜園の、シソが植えられた一角で香箱を組んでいた。目を閉じて寝たふりをするが、「猫、猫」と呼ぶ若い男の声には片耳を傾けて反応した。幼い女の子が「猫さーん! 猫さーん!」と騒ぐと両耳をすっかり後ろに倒し、薄目を開けて露骨に嫌そうにした。
 慎重に草を踏み分けて、革靴が菜園に踏み入ってきた。完全に目を開けた猫の体の上からカソックの黒い袖に包まれた腕が伸び、猫の両前肢の下に差し入れられた。
 猫をひょいと抱き上げた男こそ、椙山光だった。
 なるほど、かっこよかった。それが、司祭館の陰からその姿を見、「彼がそうだ」と平沢に教えられた真為が抱いた感想だった。
 色白なほうだが血色がよく、健康的な印象だ。女性的なほど繊細な顔立ちをしている一方で、大きな目に宿る強固な意志と自信が男性性を主張している。そう、意志。とにかく意志が強そうな人だった。不思議な魅力があった。いかにも育ちが良さそうだが、決してお坊っちゃんというふうではない。一目で優秀だと思わせる何かがあるのだが、優等生然としているわけでもない。背は百七十センチ程度だろう。子供の前でそっと屈んで目線をあわせた。優しく、人なつこい笑顔だった。
「はーい、猫さんだよ」
 猫は椙山の腕に抱かれ、迷惑そうな表情のままだらりと伸びている。その頭と二つの耳を、子供の手がべたべたと撫で、触る。それを見守る椙山の目は、喜ぶ女の子へと温かく注がれていた。子供が好きなのだろう。
 彼は猫に子守をさせることにした。猫を抱かせ、立ち上がる。
 そして、離れた位置の真為たちには決して聞こえない声で話し始めた。
「それで、先ほどのお話ですが」
 抑えた声は、猫を撫でて喜ぶ子供のはしゃぎ声に完全にかき消されていた。
「やっぱり、わからないんですね……快人君たちがどこでそういう品物を手に入れたか」
「ええ」と、若い母親が頷く。「甥も中学生ですし……まあそういうこともしたがるっていうか、興味を示す年頃ですし、あまり口出しするのも逆効果かなー、とは思いますから、本当はご相談するのもどうかと迷ったんですけど……」
「いいえ。情報に感謝いたします」
 椙山は微笑んだまま頷いた。
「悪魔召喚とか、黒魔術とか……確かに思春期はそういうものに惹かれる時期でもあります。ただ話を聞く限り、なかなか本格的なもののようですし、市販の本にあるような知識じゃない……誰か、快人君のお友達に直接伝授した者がいる。しかも広めようとして……それが問題です」
「椙山神父」
 平沢の声がかかったのはそのときだった。
 椙山は、司祭館と聖堂の間の通路に、主任司祭と客人の姿を見つけた。ベージュのパンツスーツに身を包んだ女子大生は、面談の予約の電話をかけてきた本人だろう。
 椙山はカソックの内ポケットに手を入れ、懐中時計を取り出した。約束の時間にはまだ少しだけ早い。だが別に構わなかった。
「それでは」と、夫婦に手を振って、椙山は真為と平沢のもとへと小走りで向かっていった。

 ※

 ローマ・カトリックという教派は、教会のみならず、祭服も豪華だ。椙山の司祭室の壁に掛けられた頸垂帯(ストラ)を見て、つくづく感心した。ストラとは、一言で言うとカソックの上から首に掛ける長い布である。幅は二十センチほど。着用すれば、その両端は膝のあたりにくるだろう。両端には金糸で十字架が縫われている。ストラの横には白い上衣(サープリス)がハンガーで吊されていた。椙山は、猫の毛だらけのカソックの他に、佩用(はいよう)十字架を首から下げて着用している。木製の質素な十字架で、キリストの磔刑像はない。代わりにラバルムと呼ばれる紋章が刻印されていた。アルファベットのPの下の長く伸びた部分にXを重ねた図柄の紋章だ。
 真為の父は改修派の牧師であり、真為自身も牧師を目指して神学校に通う身だ。父と同じく改修派の教会の牧師になるつもりだった。これは十六世紀、宗教改革の時代に活躍した一人の改革者の神学を系譜とする教派だ。聖書のみを旨としており、豪華な祭服というような『非聖書的な』ものは排除されている。牧師はスーツを着るだけだ。
 教派が違えば、目に付く表面的な事柄だけでもこれほど違うのだ。
 そういえば、戦闘祓魔師の戦い方は魔術的であるとよく批判される。キリスト教は魔術を禁じているのだが――。
「それでは、改めまして」
 声をかけられ、真為は考え事をやめて向かいに座る椙山に両目を戻した。
「バチカン市国より派遣されて参りました、戦闘祓魔師(ハイエクソシスト)の椙山と申します。と言っても、まだ運営の補佐的な仕事しかしておりませんが」
 と、長机の向こうから、右手を差し出してきた。
「先週お電話をさせていただいた川原です。よろしくお願いします」
 真為も、(猫の毛だらけの)袖口から伸びる椙山の手へと右手を伸ばした。想像以上に力強い握手をされ、少々驚いた。にっこり笑う椙山の後ろには、鉄製の古い本棚に収められた様々な本の間に、陶器のマリア像が見えた。マリア像の隣には、コーラ瓶に百合の造花が挿してある。
 ――キリスト教は魔術を禁じているのだが、戦い方が魔術的である、という紋切り型の批判には、紋切り型の返しが待っている。
『これは魔術ではない。奇跡だ』
 この場には主任司祭の平沢が同席していた。
 真為のほうから口を開こうとした、そのときだった。
『役立たずなんだよ。日本にあいつは必要ないんだ』
 先ほどの声が耳に鮮明に蘇り、言葉を失った。
『他の司祭も事務員も嘆いてたぜ?』思わず平沢を見た。『あんな男、来なければよかったってな!』
「あ、そんなに緊張しなくていいですよ。楽に楽に」
 平沢はにこにこしていた。実に人が良さそうな笑顔だ。
「川原さんは、改修派の教会に在籍してらっしゃるんですよね」
 椙山がそっと話しかける。真為は彼を見て「ええ」と頷くが、何となく目を合わせられなかった。
「いろいろと違うから、びっくりしちゃいますよね。でも、大丈夫ですよ。何でも話してくださいね」
 椙山はまだ若い。真為より少し年上の、二十代半ばあたりだろう。若い割に妙な貫禄がある。それでも穏和な話し口のためか、若くても立派な司祭に見えた(猫の毛に目をつぶれば)。
「ありがとうございます」
「悪魔祓いを希望していらっしゃるのは、川原さんとは別の方なんですよね。今日はお見えではないようですが」
「ええ、ちょっと。その辺りの事情もお話ししたいと思います」声の件は忘れることにした。「本当は誰にも言ってはいけないことなんです」
「と言いますと」
「バチカン式の悪魔祓いを希望しているのは憑依者なんです」
 すぐには返事がなかった。椙山も、平沢も、神妙な様子で聞いている。椙山が微笑みながら頷いた。
「お電話では、その方もキリスト教徒ということでしたが、間違いはありませんね?」
「はい」
「憑依者と言いますと、十年前の災厄の」
「ええ」
「七人の一人」
「そうです」
 ここで初めて、二人の司祭は顔を見合わせた。そして、どちらともなく声を上げて笑い始めた。
「これは驚きましたねえ、平沢神父」
 このふたりのお陰で、あまり深刻な空気にならずに済みそうだった。真為は安堵した。今度は平沢が尋ねた。
「その憑依者の方と川原さんはどういう関係なんですか?」
「幼なじみです。憑依者の姉妹と……その姉のほうは遠くにいるのですが……」と、唇をかんで目を伏せた。「妹のほうが、浪越に住んでいるんです。全寮制の学校があって、浪越なら保護観察員の目も行き届きますから」
「学校名を伺ってもよろしいですか?」
「清佳大学付属高校です」
 なるほど、浪越市の西、風早(かぜはや)区の外来宗教受け入れ地区にあるプロテスタント系の高校だ。
「ちなみに私の母校でもあります。彼女は後輩にあたります」
「ていうと川原さんは清佳大の学生さんですか?」
「はい。神学部の二年です」
 今度は椙山が尋ねた。
「その方のお名前を聞いても差し支えないですか?」
「はい。日野晶(ひのあきら)といいます。月日の日、野原の野、水晶の晶です」
 椙山が、長机の端のメモ用紙を引き寄せて、書き付けた。
「その方はプロテスタントの洗礼を受けていらっしゃるんですよね?」
「はい」
「受洗したのは呪詛を受ける前ですか? 後ですか?」
「後です……呪詛の二年後です」
 だがそれは、呪詛に対して何の影響も与えなかった。
「プロテスタントでも、独自の方法で悪魔祓いを行う教派がいくつかありますね。降臨派とか根本派とか……。そちらは試されましたか?」
「はい。監察員つきで。ですがやたらと仰々しいわりに何も変わらず……」
「わかりました」メモを続ける。「洗礼を授けた牧師は日野さんの状況を知っているのですね」
「知っています」真為は大きく頷いた。「その牧師は、私の父ですので」
 顔を上げた椙山の目が、きらりと光った。
「……川原さんのご出身は軽沢市ですか?」
「はい」質問の意図を悟り、真為は付け足した。「私は通学のために一人暮らしをしているのですが、父は軽沢に残っています。日野が在籍する教会の牧師先生はこのことを知りません」
「日野さんのお姉さんに関しては、何も問題はないのですか?」
「彼女は……」
 唾を飲み、真為は長い間迷った。
 だが答えた。
「すみません。知らないのです。災厄をきっかけに彼女は晶とは引き離されてしまったので」
 何でも見透かすような目を、椙山はじっと注いでくる。微笑んでいるままなのに、なんという視線の圧力だろう。
「複雑な家庭だったんです」
 何か言わなければならない気がして、真為は言い足した。
「父親を労災で亡くされてから、母親がその姉妹を育てていました。ただ、おかしな新興宗教団体に搾取されるようになって、そういう被害者の脱会をサポートする活動を父がしていたものですから、姉妹とはそのつながりで知り合ったんです」
 これは、その新興宗教団体がキリスト教の系列に属していることを意味している。
「ただ母親がその教会への依存が深く、精神的な障害もあって二人を育てるのは難しく……その辺りの詳しい事情を存じ上げないものですが、とにかく妹のほうだけを、補助金を受け取りながらその母親が育てることになりました。姉は保護室に引き取られていって……」
 真為は目を伏せた。
「そのあとのことは、知りません」
「そうですか。わかりました」
 椙山がそっと頷いた。
「それにしても、よく日野さんはプロテスタントの教会に改宗されましたね」
「実は本人の意志じゃないんです」真為はぎゅっと眉を寄せた。「ある種の……人体実験です。いろいろ言い繕うけれど、実質はそうです。多神教的な解釈で捉えられる呪詛や祟りといった概念を、一神教に改宗することで否定すればどうなるか、災厄対策室は知りたいんです」
 椙山も、心なしか悲しげな顔になった。
「そのとき晶は九歳でした。言いくるめるのは簡単です。父はそれは本人の意志ではないといって洗礼を授けるのを拒んだのですが……やはり、断れないところに持ち込まれてしまいました」
「そうでしょうね」
 痛ましさの滲む声で相槌を打つ。
「つらい体験を話していただいて、ありがとうございます。それでは日野さんがバチカン式の悪魔祓いを希望されている件についての話になりますが、ご本人の意志で希望していることですか?」
「はい。ただこのことは彼女についている監察員にも、彼女の親族にも話していません。知っているのは私と私の両親だけです」
「それで、代理であなたが来られたと」
「はい」
「そうですよね。怪しまれないためにも、ここに来る回数は最低限にしたほうがいいですよね」
 椙山は席を立ち、部屋の奥の事務机へと歩いていった。そしてビニールのカバーが掛かった安物の手帳を手に戻ってきた。
 もう一度真為の向かいに座り、手帳を開く。
「来週の土曜日の、昼前でしたら空いています」手帳から目を上げ、真為を見た。「七月九日の土曜日の午前十一時に、こちらに日野さんと来ていただくことはできますか? 手続き上すぐに儀式というわけにはいきませんが、一度ご本人と面談をさせていただきたいのですが」
「できると思います」真為は心が軽くなり、顔を輝かせた。「というより、できるでしょう。本人も怯えていますから、他の用事を差し置いてここに来ると言うはずです」
「怯えている? 何故です?」
「実は、呪詛の件だけではないんです」
 手帳を置き、椙山は机の上で指を組んだ。
「聞かせていただけますか?」
「あの子の周りで変なことが起こるようになって」
 と言っても、真為はそれを詳しく知っているわけではなかった。
「ただ、、彼女が一人でいるときにしかそれは起きないんです。寮の部屋が荒らされたり、教科書やノートがびりびりに破られたり、卑猥な言葉が殴り書きされていたり……」
「大変失礼な質問で申し訳ないんですが」言葉の切れ目に、申し訳なさそうに椙山が口を挟む。「それがおかしな……超常的な現象である、という意味でおかしなこと、だと思われたご事情があるんですね? その、いじめとかではなく」
「私が居合わせた訳ではないのですが、彼女が学生寮の隣の部屋の友人と話していると、自分の部屋からもの凄い音がしたことがあったそうです。お友達と一緒にその隣室から慌てて飛び出して部屋を見るともう誰もいなくて、でも机やベッドがひっくり返されていたり。教科書やなんかの件もそうです。机の上にでも置いておいて、一瞬目をそらすとその有り様なんです」
 ふぅん、と椙山が鼻で声を出した。
「見せつけていますね。たちが悪い」
「でも、警戒してると起きないんです。気を緩めているときにやられる感じで。彼女、何となく遠巻きにされるようになったって、落ち込んでいるんです」
「わかりました」
 椙山はもう一度手帳を開いた。
「どうも、早めにお会いしたほうがいいみたいですね。平日の午後はどうですか? しあさって、火曜日の夕方の四時半とか……」
「いえ、寮の門限がありますので。監察員の目に留まるようなことはしたくないんです。次の土曜日にここに来られるだけでも本人は気が楽になるでしょう。ところで一つお尋ねしたいのですが」
「はい」
「呪いをかけられるっていうのは、どういうことでしょうか」
 椙山は黙って首をかしげた。
「おかしなものが部屋に届いたことがあるそうです。半紙に書かれた魔法陣のような。ただ、目を離した隙に消えてしまったそうです。アルファベットが書かれていたそうです。どうしてそういうことをするんでしょう」
 真為は話ながら椙山の反応を見ていた。目に一瞬の緊張がきらめくのを見逃さなかった。だが次の瞬間にはもう、先ほどと変わらぬ余裕があった。
「呪い、というのは、東洋では知られてはいけないものとされていますよね。丑の刻参りでも、見られたら呪いが自分に返ってくるとか。しかし、西洋では必ずしもそうではないんです。相手が気弱そうだったり、暗示にかかりやすそうな人だったら、むしろ積極的に呪っているアピールをし、精神を圧迫する場合もある」
「誰がそんな……」
「執拗ですし、無差別にやっているわけではなさそうですね。怨恨か……日野さんに非があるわけでなく、逆恨みという場合もありますし……。ただ、彼女が憑依者だとわかってやっているとなると厄介なことになりそうです。まずまともな動機ではないし、背後に何かがあるということになりますから」
「何か……日本人でしょうか」
「ヨーロッパで本格的に黒魔術を学んだ人や、悪魔崇拝者が紛れ込んでいることはバチカンも把握しています。もちろん日本人もです。日本は西洋魔術に対する規制が緩いからやりやすいんですよ」
 真為は歯がゆい思いでその言葉を噛みしめた。
「それと、一つお断りしておきますと、我々は教会に連れてこられた人に対してすぐ悪魔祓いの儀式を行えるわけではないんです。精神的な障害がないか等の見極めが必要になりますし、特に日野さんの場合は事情が複雑ですから、司教と相談の上でバチカンに報告して審議を経なければならないでしょう。カトリックの信徒の方でもありませんので、『騎士団』のほうでの特別な書類手続きも必要です。儀式を行うにしても、許可が下りるまで今から最低二ヶ月はかかると見てください」
 不満だが、「はい」と言うしかない。
「すみませんね。魔害発生時などの急を要する場合を除いて、儀式を行うことはできないんです」
「いえ、ありがとうございます。一つお尋ねしたいのですが」
「何でしょう?」
「先ほどのお話ですが、日本にいるその……黒魔術を学んだような人たちが実際に日本で何かをしたんですか?」
「黒ミサを行った痕跡が発見された件がいくつか。直接的な魔害に繋がらないので問題視されないだけです」
「黒ミサってどういうことをするんですか?」
 椙山は声を立てて笑ってから、爽やかに答えた。
「知る必要はありませんよ。嫌な気分になるだけで、何の役にも立ちませんからね」
「私はただ、それをするために彼らが晶や教会に接触する可能性があるかを知りたいんです」
「教会に接触する必要はあるでしょう。本格的にやるためには、いろいろ盗み出さなければならないものがありますから」
「盗み出す?」その回答に驚いて、真為は思わず身を乗り出した。「いつ、どうやって」
「そうですね、例えば」
 椙山が、自分の後ろの壁に掛けられた時計を見た。真為もそれを見た。午前九時四十三分。日曜の朝のミサはとうに始まっている。
 真為に向き直った椙山が、自信たっぷりに頷いた。
「今です」





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