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冷凍されたオシドリとチューリップ人の王国

趣味で書いている小説用のブログです。

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虹よ、契約の虹よ〈5〉

二章 白夜の君(2/3)



 2.

「御母衣(みほろ)」
 主婦が囁く。静かに。
 大野よしみ。それが主婦の名だった。『災厄の日』に呪詛を受けた憑依者の一人。二児の母。長女は十二歳。長男は十歳。夫は軽沢地下市の電子機器メーカーに勤務。軽沢市の行政区分に含まれる農作地帯に、一家で十年住んでいる。週四日、近所の学習塾で、午前十時から午後四時までパートタイムで働いている。
 平凡な主婦として生きる。それが彼女の選んだ生き方だ。
 呪詛を御するための、霊体結晶化の訓練を始めたのは九年前。宮部という他の憑依者とともに、政府の特定災厄対策室に迎え入れられた講師によって訓練されている。
 大野の呼び声に応じて、右手に淡い光の靄が現れた。右腕を高く上げると、それは突如として鋭い金の輝きを帯び、輪郭を持った。
 ちょうど、大野の体をすっぽり覆う大きさの布のようであった。たゆたう光。
「白夜」アキヤがそれを指さした。「あいつを食え!」
 羽音が耳を打ち、アキヤの背を風が打った。アキヤの結晶霊体は、もうアキヤの頭上高くにいた。風がやむ前に、一枚の羽根が霊鳥の翼から放たれた。
 白い長い羽根は、それもまた、蓮の花弁でできたものだった。刃物のような鋭さと、殺気を帯びている。
 大野が手首をくるりと回し、結晶霊体・御母衣を振りかざす。放たれた羽根が御母衣に触れると、じゅっと音を立て、羽根が黒く腐れ落ちた。汚い水となり、畦道に垂れ落ちる。
 四枚、新たに羽根が放たれた。続けて大野が御母衣を振る。その先端が四つにちぎれて飛び、襲いかかる羽根を包み込んだ。
 無惨に腐った羽根は白さも美しさも失い、畦道に垂れ落ちて、ぼと、ぼと、と音を立てた。
「えげつねぇ能力だな」アキヤは感心していた。「ていうか、ただの主婦にしては殺(や)る気満々」
 羽毛のように、細かな蓮の花びらが散る。
「覚悟を決める時間なら十年もあったわ」大野が応じる。「それにほら。主婦って忙しいの。おちおち死んでもいられないんだから」
 舞い散る花弁を、舌のように御母衣が舐めとっていき、黒く朽ちた塵に変える。
 布の四隅を掴んで広げたかのように、御母衣の体がぴんと伸びた。正方形の光の幕の向こうでは、夜空に雲が広がり始めているのが見えた。一転、中央を摘んで持ち上げられたかのように、アキヤの白夜白蓮に向かって突き進んでいく。空中に留まり様子を窺う白夜白蓮の前で、もう一度広がった。包み込むつもりだ。
「下の子のホタルの観察に付き合わなければいけないし……」
「ホタルねえ。オレ、ずっと施設にいたから見たことないや。あれ何時間くらい光ってるもんなの?」
「一匹がずっと光ってるわけじゃないのよ。ふわー、ふわー、てゆっくり点滅しながら……って、それはどうでもいいんだけど。とにかく早く帰ってほしいわ。私、帰って宿題見てあげなきゃいけないから」
 話している間にも、ひときわ強い光を散らし、白夜白蓮が身を翻す。それは緑の光で体を覆い、大野の真上にいた。大野がさすがに息をのみ、体を強ばらせた。が、すぐに大野と白夜白蓮の間に御母衣が割り込み、遮った。
 しばしの小康状態となる。
 ぶらりと立ったままのアキヤは、乱れた髪に指をいれ、音を立てて掻いた。
「あとねえ、国語の教科書の朗読の宿題もあるのよ。漢字が読めるかとか、そういうこと親がチェックしてあげなきゃいけないみたいで。あと、あれ。家庭で虐待がないかとか、家族の間で意志の疎通があるかとか、そういうの宿題を通して見てるみたいで。学校もいろいろ考えるわよねえ」
「へえ、そりゃあ大変だねえ。読み聞かせならぬ読み聞かされ?」
「そうなのよ。だから考えを改めてくれたら嬉しいんだけど?」
「悪い。それは無理」
「ここでやめてくれたって、私はあなたを殺そうとは思わないわ」
「信用できるか」
 アキヤの声が、いきなり脅迫の色を帯びる。二人ともが黙った。滞空する白夜白蓮が大きく羽を打ち、羽毛代わりの花弁が二人の間に降りしきる。
「今なら」大野が沈黙を破った。「あなたの鳥の下をかいくぐって、御母衣があなたを殺せるわ」
「オレの目的を代わりに果たしてくれるなら、オレを殺してくれていいよ?」
 大野の口許が引き攣るのを、アキヤは見逃さなかった。殺される覚悟ができていても、殺す覚悟はできていないのだ。
「……それにほら、もったいないだろぉ? オレみたいな超美形が無惨に腐らされちまったらさ」
「自分で言うか」
 銅鏡を抱え、アキヤの後ろで影のように控えるかなめが呟いた。
「美形」大野も呟いた。「元が女顔ですものね」
 挑発するように付け加える。
「ていうか、あなた、女ですもの」
 アキヤはふんと鼻を鳴らし、馬鹿にしたように笑った。

 ※

 それは、こんなふうに来た。
 その頃のアキヤは、日野明奈という名前だった。
 少女だった。
 十歳の、荒んだ少女だった。
 住居は軽沢地下市にあり、災厄の現場となった商店街の広場から歩いて十分の距離にあった。夕暮れ、明奈はそこにいた。晶(あきら)という名の妹がおり、煉瓦の円いベンチに座るその横に、晶も共にいた。その日、嫌なことがあったのだ。明奈は嫌なことがあると、いつもそこでじっとしていた。人間嫌いだったのだが、自分に無関心なまま行き交う大人たちの足を見ていると、何故だか安心できたのだ。
 夕方ということもあり、商店街はそこそこの賑わいを見せていた。空がいよいよ暮れようというときだった。
 いきなり、重い何かが背中と頭にのしかかってきた。誰か、大人が悪意を持って自分を押し潰そうとしているのだと思ったほどだ。だが異様な冷たさゆえに、そうではないとわかった。
 その冷たさと重さは、砂地に水がしみ込むように、明奈の体にしみ込んだ。
 以来、その冷たい呪詛は、アキヤと共にずっといる。

 呪詛の正体は何か?
 それは、今の時点で人間に知られているいかなる神でもないようだ。となると、祀られて神になりたい人間霊、悪霊の類だろうか? 不明だ。
 もうひとつ。呪詛は遺伝するのか?
 それは対策室の人間や数々の専門家たちを悩ませてきた問題で、やはり不明だ。
 十年前の災厄の日に呪詛を受けたのは七人で、全員女性だった。成人していたのは二人。当時二十八歳の大野よしみ。当時三十歳の宮部まき。
 七人の憑依者の一人目、大野よしみは当時既に二人の子供を産んでおり、災厄以降はもう子を作らなかった。二人目、宮部まきは独身を貫くと決意をしている。当然子はいない。
 三人目、相沢序峰は九州で暴れている。近頃は九州全域のみならず、琉球も欲しがっているという。おだて上げる奴らがいるからだ。もともと性格に難があったそうだが、そのせいで結晶霊体化の訓練を受ける許可がおりなかった。危険な人物に危険な力を与えることになるからだ。彼女は高千穂市の聖域に隔離されて育った。結果、呪詛に人格を乗っ取られた。序峰は十八歳にして、呪詛そのものになってしまった。
 四人目、日野晶。アキヤの三歳下の妹だ。十七歳になっているはずだが、十年前の災厄以来彼女とは会っていない。彼女はキリスト教の、プロテスタントの教派の洗礼を受けた。これは彼女の意志とはあまり関わりのないことである。一神教を信仰させることで多神教的な呪詛の概念を否定すれば、呪詛から逃れられるのではないかという政府主導の実験だ。結論からいうと、呪詛を消すことはできていない。だが極めて影響力の少ない状態で安定しており、序峰のように隔離したり、または結晶化によって手懐けなくても、問題なく一般社会で生きている。ただ、この先どうなるかはわからない。呪詛が遺伝する可能性は、いずれ彼女の心に重くのしかかることだろう。
 残る三人は子を生めない。
 五人目、皆無神(みなかみ)クロエ。彼女は偽体者だ。
 偽体者とは何か。
 培養液生まれの人造兵士たち。
 それが、偽体者たちの最初の姿だった。妖魔との闘い、人権を無視した過酷な作戦に投入できる兵士。それには性別もなく尊厳もなかった。人とほぼ同じ体を持ちながら、それは人ではなかった。当然、生殖能力は与えられていない。
 クローン技術によって作り出された人造兵たちの意思は、地球の軌道上を周回する人工衛星『あかり』に搭載された、仮想人格を持つ人工知能『マーテル』によって制御されていた。人造兵士たちには特殊な食品が与えられ、それを摂取することによって、Aニューロンと呼ばれる特殊な物質を脳内で生成する。このAニューロンを通して、マーテルは兵士たちに自分の意志を送り込む。
 兵士たちはマーテルへの服従を、徹底的に教え込まれる。自分の個性を持ったり、自分の人生を生きようと願うことはない。
 そのような兵士、つまり偽体者を作り出す技術は、十年もすれば軍事用から工業用へ、やがて愛玩用へと転用されるようになった。だがそれら――兵士や労働体、愛玩用生命体である『Dolls(ドールズ)』と呼ばれる存在たちは、その製造元であるミツバ生科学産業社による自主回収という運命をたどった。倫理の問題や、人工知能『マーテル』のみに依存した統御を危険視する声を、抑えきれなくなったのだ。
 回収された偽体者の行く先は厳重に隠蔽された。やがて、日本海側のある廃都市で偽体者の死体が大量に発見され、彼らの絶滅が知られるようになった。
 だが、『Dolls』である皆無神クロエは生きのびた。呪詛があるせいで、彼女だけはマーテルに殺されずに済んだのだろう。
 六人目、日野明奈。彼女は自分の意志で性転換手術を受けた。呪詛を受けたのが全員女性だったことに注目し、呪詛を宿す器は女性でなくてはならないのではないかと考えたからだ。女性の体という器を壊し、呪詛から逃れようとしたのだ。明奈はアキヤとなった。だが呪詛は消えなかった。アキヤはもう一度手術を受け、男性の性も捨てた。
 七人目、灰田瑞樹(みずき)。平凡な女子大生で、二十歳。アキヤと同い年だ。彼女が子を産むことはもうない。彼女は一ヶ月前にアキヤによって殺された。結晶霊体化したその呪詛は、白夜白蓮に吸収された。

 ※

 突如として御母衣がアキヤに襲いかかる。彼の後ろに立つかなめの鏡にそれが映し出されると、それは大野がいるほうへと弾き返された。同じとき、白夜白蓮は鋭い羽根を放って大野を殺そうとしていた。弾き返された御母衣が、偶然、その羽根を受け止めることになった。
「下の子はほんと、大人しくしていられなくて……」
 大野は平然としていた。または、そう見せかけようとしていた。
「この前もクラスのお友達を突き飛ばして怪我をさせたとかで学校に呼び出し食らっちゃって。上の子はそうでもなかったのにねえ……やっぱ、男の子だからかしら」
「まあ、上の子と下の子は別人格さ」それにはかなめが応じた。「乱暴に見えたり口が悪いようでも、本当は甘えん坊じゃないのかな。宿題以外でももっとよく話を聞いてやれ」
「まあお前ここで死ぬけど。どうでもいいけど。もう関係ないけど。ここで死ぬから関係ないけど」
「そうは言ってもねえ」三人の頭上では、二つの結晶霊体が再び戦いを始めていた。「せめて、最低でも高校を出るまでは面倒を見ててあげたいのが親心ってもんじゃない? ていうか、あなた誰? 子供を育てた経験は?」
「ない」
 平然と答えるかなめに、大野が本音を口にした。
「あなた、腹立つわね」
 地面に御母衣が墜落した。一度弾んだのち、大野を守るべく、再び宙へと舞い上がる。
 アキヤは後ろのかなめに呟いた。「白夜、強くなってる」
 灰田瑞樹を殺し、その霊体化した呪詛を白夜白蓮に吸収させたためだ。
「何故灰田さんを殺したの?」大野が質問を重ねた。「その女は誰?」
「石原かなめと申します。どうも、はじめまして」嫌みなほど丁寧に、かなめが答えた。「石ころの石に原っぱの原、かなめはひらがなでか、な、め」
「あら、もしかして同世代?」
 挑発するような口振りだ。アキヤの目がかなめへと動いた。
「今の四十前後の世代は、女の子にひらがなの名前を付けるのがはやってたのさ」
「へえ、あっそう……」
「で、誰なの? 名前じゃなくて」
「そうツンケンしないでやってくれよ。かなめサンはオレのせいで十四年勤めた会社を辞めることになったんだからさ。な」
 白夜白蓮の輝き、緑、黄、青に移ろう光が、軽い口調の割に真剣そのものの三人の表情を染めていく。大野が言い返した。
「じゃあ次の会社で二十八年勤めればいいじゃない」
「その歳まで働きたくないな」
「アキヤ」視線が刺さった。「今までどこで何をしていたの?」
「あんたたち他の憑依者がどこでどうしてるのか、いつでもわかる場所で暮らしてたのさ」
「ふうん。で、他の憑依者を殺しに行こうと思いついたのは相澤序峰のせいかしら」
「名前を呼んじゃいけないんだぜ」
「はぐらかさないで。どうなの。灰田さんを殺したのは、序峰の暴走のせいなの?」
 笑ったままのアキヤの顔から光が退き、暗くなる。だが目は輝いたままだった。
「理由はご想像にお任せするけど、とにかくこの力はオレが回収する。七人もの人間が持ってるべき力じゃないって、あんた思わないか?」
「あなたはどうする気なの? 全員を殺して、力を持つ最後の一人になった後は!」
 大野が答えを聞くことはなかった。
 鈍い音を立てて、剣のような白い羽根が大野の胸に突き刺さった。空から降ってきたそれは、大野の身長の半分ほどもある。幅はほとんど彼女の体を両断せんばかりであった。
 大野の目が大きく見開かれた。
 かなりの衝撃を受けたはずだが、まだ立ったままでいた。
「あんたの子供たちを逃がしたの、情けをかけたわけじゃないぜ?」
 目を見開いたまま、その体が左右に揺れる。
「もし万が一、死んだときに近くにいた他人に乗り移る、なんてことがあったら嫌だからな。取りこぼしては意味がない」
 その体が大きく前のめりになる。だが、そのまま倒れはしなかった。地に両膝をつく。
 畦道の土に血が広がりつつあった。
 蛙が鳴いていた。風が、緑の稲を鳴らして通っていった。稲の合間に隠れた水田の水面には、月がひっそり隠れている。
 アキヤが叫んだ。
「食え! 白夜、早く!」
 驚いたことに、大野はまだ生きていた。唇を動かしている。白夜白蓮が蹴爪で御母衣を捕らえ、大野の後ろの地面に叩きつける。逆光で、大野の顔が影になった。それでも口から血がこぼれるのが見え、ごぼごぼと空気の泡が音を立てるのが聞こえた。彼女は呪詛に生かされている。体から、御母衣と同じ輝きの光が溢れ出てきた。
 かなめが銅鏡をかざし、映す。
 すると映されたそのままに、光が揺らぎを止めた。
 白夜白蓮の足が大野の体を押し倒す。彼女の命を奪った羽根が消え、代わりに大きく開いた嘴から伸びる舌が、光を舐めとっていく。
「今にわかるさ」
 アキヤは大野の死骸に背を向けた。
「灰田と一緒にあの世で見てな」
 御母衣が白夜白蓮に取り込まれていくに従い、畦からは御母衣の光が次第次第に消えていった。





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