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冷凍されたオシドリとチューリップ人の王国

趣味で書いている小説用のブログです。

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美しい死者の国〈3〉





 3.

 六月三日、金曜日の昼。
 瑞樹は宮部と昼食を共にした後、別れを告げた。
「じゃあ、また来年会いましょう」
 今日は三連休の初日とあり、鈍行列車が到着したばかりの駅は混んでいた。芦原市の古い木造の駅舎は、ここ数年の主婦層をターゲットにした再開発についていけていない。受験期を除いて、特急列車が金沢市までしか通らないため、鈍行列車の到着直後には、二つしかない改札は完全に詰まってしまう。
 その混雑を背景に、宮部はプラチナのピアスを揺らしながら髪を払う。瑞樹はいつもの曖昧な笑みを浮かべる。
「はい」
 昨夜、何を話したくて宮部が帰りを待っていたのか、瑞樹は全くわからない。携帯電話には宮部からの連絡は入っていなかった。会いたいというようなことは何も。用があれば連絡するはずだ。では、ただパンを食べたかっただけなのか? 何となく、そうは思えない。
「宮部さんは、このままご自宅に帰られるんですか?」
「いえ、一旦実家に寄るの。浜松のほうだから、東都には遠回りになるけど」
「そうですか」と頷いた。「お気をつけて」
 実家はどこなの?
 昨夜、アキヤにそう訊いたことを思い出した。
 その話題を出したのは、大学での出来事が尾を引いていたからだった。自分が触れられたくない話題を人に振るという行為は、それに触れられたくない自分こそ少数派の人間であると確認させられる行為だ。自虐的な行為とも言えよう。
 アキヤの返事はこうだった。
『オレ、実家ないんだ』
 土に直接座り、松林の向こうの夜の海を見つめるアキヤは寂しそうに笑った。
『昔オヤジが死んじゃってさ、それから色々あって、家族バラバラになっちゃって。ちょっと前まで母親の居場所は一応わかってたけど、今もそこに住んでるか知らないし。妹も……あいつ、今じゃどこでそうしてるだろうな』
 アキヤは背を少し倒して月を仰ぎ見た。瑞樹は二つの思いに裂かれて返事をしかねていた。悪いことを訊いてしまったという思い。この人となら孤独を分けあえるかもしれない期待。そして、人の不幸な境遇をだしに期待を抱いたことで、自己嫌悪に陥った。
『死後の世界を研究してるって言ったよね』
 突如、話題を振られた。
『うん』
『なあ、変なこと訊くけど、オレの親父の魂がどこに行ったか、探せる人を知らないかな』
 アキヤは月を見上げたままだった。その横顔は光を集め、輪郭は研ぎ澄まされたようだった。
 瑞樹はただ見つめた。
 できるかもしれなかった。
 憑依者の力、結晶霊体の力を使えば。
 訓練以外の目的で結晶霊体を使ったことはない。だが使い方はわかる。
 その力、持て余している力が、アキヤの心を癒すことはあるだろうか。
『できるかもしれない』
 不思議なほど迷わなかった。目を丸く見開いて、アキヤは瑞樹を凝視した。力になれるかも、と、重ねて言った。
『お父さんの遺品、何かある? 写真とかでもいいと思うけど』
『巫者(ふしゃ)の知り合いがいるの?』
『ごめん。詳しく言えないんだ』
 憑依者だということを第三者に告げ知らせたら……どのような罰があるだろう。罰などあるだろうか? 伝えたいと思った人に、伝えたいことを伝えただけで?
 自分は幼いのだろう。瑞樹はつくづく自覚した。それが、その場での告白を思いとどまらせた理由だった。
『今ここでは……だから、明日の夜ここに来て。暗くなったら』
『わかった』頷くアキヤの目は優しかった。『信じるよ……ありがとう』
「あなたこそ気をつけて」
 宮部の言葉で現実に引き戻された。改札からの人並みは、切符売り場に移りつつあった。駅員が、お早めに帰りの切符をお求めくださいと叫んでいるからだ。
 だが瑞樹の心はたちまち、アキヤとの逢瀬に引き戻されていく。
『気をつけて』アキヤもそう言った。別れ際のことだ。宮部と違い、真顔で、本当に瑞樹を案じていた。『おかしな魔術師がいるらしいんだ。昨日のあの紙……魔法陣……どうして君のところにあったのか考えたら、どうしても偶然のような気がしないんだ。もしかしたら、君、何かのきっかけで目を付けられてるかもしれない』
『でも、他にも見た人たちがいるんだよね?』
 アキヤはしばし黙った。
『……予感なんだ』
 予感。
 嫌な予感を、宮部もまた抱いていた。灰田瑞樹の心ここにあらずの様子は、宮部を不安にさせるに足るものだ。明らかに浮ついている。おととい会ったときにはこうではなかった。おとといまで、瑞樹はもっと暗かった。
「はい。それでは」
 頭を下げる瑞樹は、今自分が何を言い、何をしているかもわかっていないかのようだ。
「ええ。それじゃあ」
 二人は手を振って別れた。
 瑞樹の背中が遠ざかっていく。
 その姿が妙に薄いように、宮部は感じた。
 宮部は子供の頃から第六感が鋭かった。第六感ははっきり告げていた。危険だと。
 混雑する切符売り場を見る。目を再び駅前通りに戻す。瑞樹の姿はもう見つからない。
 昨夜、宮部は瑞樹の帰りを待っていた。パン屋のテーブル席につき、窓の外から目を離さなかった。瑞樹が通れば手を振って招き、偶然を装って会うつもりだった。予感はそのときからしていたのだ。不吉な予感を理由に彼女を呼ぶのは気が引けたからそうしたのだ。会わなければならないという確信がなかったから、そんな消極的な行為となった。だが、瑞樹は彼女の視界に入らなかった。実家の母からのメールに気を取られ、窓から注意を逸らしたことが何度かある。そのせいだろうか。
 嫌な汗が浮いた。宮部は一歩も動けなかった。ハンカチを出す気も起きなかった。金縛りにあったような宮部の額から、左目の横を通り、汗が顎まで垂れ落ちた。
 瑞樹はそわそわしながら日が暮れるのを待った。
 日没がこんなに遠かったことがあるだろうか。本を開いて閉じた。ラジオをつけて消した。ノートを開いて閉じた。太陽が角度を変え、光はフローリングの床から白い壁紙に移った。その光が細く長く、部屋の奥に届き、さらに細くなって消えて、茫とした薄暗がりが部屋を満たすようになると、瑞樹は家の鍵をとった。それでもまだ早かった。鍵を膝に置いて、ベッドに腰を掛けて待った。
 何故か泣きたかった。楽しみな時間が遠かった。もうすぐなのに、何故だろう。二度と来ない気がする。
 揃えた指が薄墨に染まり、瑞樹は部屋を出た。鍵をかけ、外階段を下りた。宮部はいない。もういない。市電が通り過ぎていく。
 空はまだ少し明るい。なのに太陽がどこにもない。雲が食べてしまった。と、上空に風が吹いて、雲の位置を変えた。一条の夕日が瑞樹の頬の涙を照らした。
 誰も死なない世界の夢を見た。
 二日前のことだ。
 不老不死の薬が開発され、だれでも入手できるようになった未来。ごく一部の人間を除いて、皆がそれをのんだ。そして死は罪となった。人生を終わらせるためには、自分を殺すしかなくなったからだ。死ねなくなった人間は、僅かに残った死ねる人間を妬み憎悪の目を注ぐ。その僅かに残った人間の一人である瑞樹は、二度と太陽の差さない暗い世を歩く。頭のおかしくなった若い男が、切り落とした自分の左手を、右手で振り回しながら歩いている。人々の間から希望がなくなった。死者の世界はもう見えない。そういう夢だった。
 さらに風が吹いて、雲を押しのけていった。だが太陽光は消えた。もう見ることはないだろう。市電より随分遅れて、瑞樹は坂を上った。澄んだ薄墨の空気は、その暗さを増していった。
 広場にたどり着いた。街灯だけ明るかった。アキヤが影になって立っていた。もうほとんど夜だった。
「瑞樹ちゃん?」
 衝動に駆られて、瑞樹は走り出した。街灯に接近し、通り抜けると、それに永遠に背を向けた。
「アキヤくん」手を伸ばし、アキヤの両側の二の腕を掴んだ。「アキヤくんのお父さん、私が探してあげる」
「君、一人で来たよね」アキヤはゆっくり周囲を見回した。「君が探す? そういう能力が?」
「私、普通の人間じゃないの。できると思う。やったことはないけど」
 困惑しているようだった。
「どうやって……」
「こっちに来て」自ら松林へと向かった。「誰にも見られたくないの」
 アキヤは急ぎ足でついてきながら何か尋ねようとした。
「ねえ、君……」
「死ねばどうなるのか知りたかった。いつか必ず行く場所だから。私、絶望してた。もしそこが美しい国ならば、死んで行こうと思ってた。だから」唾をのんだ。広場には、他に人はいなかった。「私は私をちぎって死者の魂に同行させることにした。私の霊はちぎれないけど、霊に付着したもの、呪詛ならちぎれるから。霊体結晶化の訓練を始めたとき、私はそうした。政府の人たちは顔をしかめた。だけど私はやった。曲げなかった。意志を通すことができた」
「霊体結晶……」
「見て」松林に身を隠し、海へ向かう斜面の手前で振り向いてアキヤの顔を見たとき、先ほど自分が泣いた理由を知った。「見ないで――」だが意志は変わらなかった。「見て」
 アキヤが自分の意志を、目の強い光を通して返してきた。頼んだことを変える気はないとわかった。
「ちぎれて戻ってきた私のかけらたちが死者の国を見てきた。だからそれらに尋ねれば、同行した死者を通して、アキヤ君のお父さんの情報にたどり着けるかもしれない」
「頼む」不意にアキヤの声が切実さを帯びた。「頼むよ」
 瑞樹は海のほうを向いた。顔を見ていられたくなかった。
 目を閉じる。
 空に両腕を広げた。
 本当は別に必要のない動作だ。だが決められた動きがあるほうが、意識を集中しやすかった。
「美黄泉(ミヨミ)!」
 光を感じた。
 目を開けようとした。そこに自分の結晶霊体が浮いているはずだった。小舟。瑞樹は霊体を、船の形に整えていた。三途の川の渡し船をイメージしたのだ。
 だが、それを見るより背中に衝撃を受けるほうが早かった。
 前のめりにつんのめった。だが倒れなかった。よろめきながら踏ん張った。目は勝手に開いていた。
「見せてくれてありがとう」
 この上なく冷ややかなアキヤの声が、耳に入ってきた。
 眩しかった。
 眩しくて何も見えない。
「お礼に見せてやるよ。これ、オレの結晶霊体」
 背中から腹にかけて、熱かった。強烈な異物感がある。後ろから刺されたのだと理解した。
 攻撃を受けた。だけど何故。
 アキヤの名を呼ぼうと口を開けた。声ではなく、血が出てきた。止まらなかった。
「名前」だが、こぼれ、吐き出す血の塊の合間に言葉が出た。「名前――」
「オレの名前?」
 瑞樹はその場に膝をついた。
「教えてあげるよ。約束だもんな。オレの本名」
 瑞樹はそれを聞き届けた。冷徹に、アキヤは告げた。
「日野明奈」

 ※

 日野明奈。
 かつて軽沢地下市で貧しい暮らしを強いられていた娘。心を病んだ母親と、無力で幼い妹をその身に背負い込んでいた娘。アキヤと名乗り、同年代の憑依者に接触し、今、その命を奪う者。
 アキヤは跪(ひざまず)く瑞樹を後ろから見下ろしていた。瑞樹の背には、白く薄い楕円形の発光体が突き刺さっていた。
 大きな蓮の花びらだった。それはほとんど瑞樹の体を両断せんばかりだった。瑞樹はまだ生きていた。だが死は避けられない。五秒後か。十秒後か。ついぞ、その体が土の上に横倒しになった。
 蓮の花弁が消えた。
 アキヤが叫んだ。
「食え! 白夜白蓮(びゃくやびゃくれん)!」
 アキヤの後ろから、強い風が吹いた。その風の正体が何であるか、アキヤは見なくても知っていた。アキヤはただ正面の、光る小舟を見た。その輪郭を目に留めた。だが細部を見るまでもなく、それは打ち据えられ、二つに割られた。
 打ち据えたのは白い翼だった。
 白い蓮の花弁を集めて形作られた、首の長い大きな鳥。体高は、アキヤの体の倍以上もある。翼を広げた全長は、十メートルは下らない。純白の体は月の光、街灯の光を浴びて、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、そして赤の光を纏う。目のない光る鳥は、光を揺らめかせながら嘴を開き、二つに割れた小舟の片側を呑んだ。そうしながら、もう片側を爪の生えた足で砕いた。砕かれた銀の破片が舞い落ちていく。鳥、アキヤの結晶霊体は身を翻してそれらを開いた口に呑んでいく。
『これでいいんだ』
 落ちていく光の破片が呟いた。
『あの家で生きて死ぬよりは』
 鳥はそうした破片を追って、貪欲に海へと降下していく。
『ここで死ぬなら、自分で選んだ生き方と死に方になるから――』
 斜面の下へと、鳥が消えた。そしてまた上がってきた。アキヤの足許では、瑞樹が完全に息絶えた。
 茂みに身を隠していた女が叫んだのはそのときだった。
「アキヤ! 気を付けろ!」
 斜面から上がってきた結晶霊体の鳥が、アキヤに光を投げかけた。直後、振り向きかけたアキヤの体は硬直し、動けなくなった。
 完全に、体も首も強張っていた。瞬きと呼吸だけができた。眼球を動かすこともできた。どうにか目を後ろに動かして、街灯の下に佇み、光に照らされる女の姿を確認した。そして、目を下へと動かせば、結晶霊体に照らされてできた自分の影に、影よりなお濃い、黒い、杭が刺さっているのが見えた。その杭に縫い止められ、アキヤは動けなかった。
 結晶霊体だ。
「誰だ」
 声は出た。だか訊くまでもなくわかっていた。
 宮部まきが街灯の下で身じろぎした。
「協力者はどこ?」
 彼女は落ち着いているらしい。
「さっき叫んだ女は誰?」
 声に動揺はなかった。数歩、アキヤに近づいた。
「答えなさい、明奈」
 アキヤは目を反対方向に動かす。誰もいないように見える茂みを見やった。もう一度宮部に目をやると、彼女は街灯を背に、動けないアキヤへと、なお歩み寄ってくる。宮部の影が、アキヤに向かって伸びてくる……。
 すると、茂みから誰かが立ち上がった。がさりという音のあと、不意に体が軽くなるのをアキヤは感じた。ずっと力を込めていたせいで、よろめいた。
 影を縫い止めていた杭が、アキヤの影から宮部へと、弾き返された。宮部が腕を振るうとそれは消えた。
 アキヤは右腕を高く上げた。羽音がし、巨鳥がアキヤの隣に滑り込んで来た。アキヤは素早く鳥の首根っこを掴んだ。宮部があまりの眩しさに、顔の前に腕をかざすのを見た。鳥の首に遮られ、すぐ見えなくなった。
 地を蹴り、飛び上がった。次の瞬間には、アキヤは蓮の花びらでできた鳥の上、二つの翼の間にいた。鳥は舞い上がり、急に高度を下げると、茂みから飛び出てきた人物へと滑っていった。その人物はパーカーのフードを深くかぶっていた。その人物が左手で鳥の首を掴み、右手でアキヤが差し伸べた手を取った。二人を背に乗せて、鳥は一気に空へと飛びあがった。
「逃げるよ」
 風の中、フードを被った女がアキヤの耳に囁いた。
「どうして。向こうから来てくれて手間が省けたじゃないか」
「いいや。あの女の能力は厄介だ。二人で固まっている状態で相手にするのはまずい。跳ね返せなくなる」
「ちぇっ」アキヤは眉を顰めたが、受けた忠告の通り、海へと飛び出した。眼下を海原が過ぎていく。「おばさんがもう少し黙っててくれたらさあ!」
 女は答えなかった。後ろを向き、フードを脱いだ。落ち着きのある茶色に染めた肩まである髪と、意志の強い目、怜悧な唇が月光の下に露わになった。女は丸い鏡を両腕に抱えた。いつでも戦えるように。模造神器だ。
 黒い光――または、闇の塊が追ってくる。その塊から声がした。
「日野明奈!」宮部が叫んでいた。「灰田瑞樹を殺したね。どうして? どうして!」
「憑依者はオレが殺す。全員、一人残らず殺す」淡々と答えた。普通に喋っても聞こえるはずだ。「呪詛を集める。この力は、七人もの人間に必要ない」
「その七人の中には、あなたの妹もいるのよ?」
「晶(あきら)か。あいつの前にお前を片付けるよ」
 闇は、あるいは黒い光は、距離を変えずについてくる。
「覚悟なの? 決意なの? それとも狂気? 呪詛に良心を食わせたの? 序峰のように、あなた、魂を食われたの?」
「オレはオレさ。魂まで渡してなんかいない」
 それから一気に加速した。宮部の結晶霊体を引き離していく。少しでも体温低下を防ごうと、アキヤは鳥の首にしがみつくように身を伏せた。
 いつまでも飛び続けてはいられない。もう宮部の追跡は終わっていた。
 半島の明かりが見えてきて、アキヤは結晶霊体の速度を落とした。後ろの女がこう尋ねた。
「おかしな魔術師がつきまとってる件、宮部に忠告しなくてよかったのか?」
 アキヤはしばらく返事をしなかった。
「忘れてたよ。でも、どっちにしろ、連中はみんなオレが殺す。付きまとってるのが誰であれ、力の横取りはさせないさ」
 女は答えなかった。
「何か言えよ、おばさん」
「名前で呼べ」
 アキヤは短く笑った。陸地へと、霊鳥・白夜白蓮は、高度を落としていく。





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