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冷凍されたオシドリとチューリップ人の王国

趣味で書いている小説用のブログです。

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深淵われを見給えり〈2〉





 2.

 雨の、暗い日だった。黄色い傘を差していた。黒ずんだ雲が東都の空を覆う黒ずんだ一日。コーヒー店のショーウィンドウに映る黄色い傘越しにその絵を見たとき、大野、旧姓金井よしみは小学二年生だった。コーヒー店は照明が乏しくて、営業しているのかしていないのかさえ判然とせぬ有様であった。だが、様々な種類の豆が並ぶケースの向こうに老婆がいて、確かに彼女を手招きした。
「この先、街路樹が倒れとるに。危ないて」
 どこの訛りかはわからぬが、そう教えてくれたのだ。コーヒーの香りに満たされた店内は冷房が効いてひんやりしており、居心地が良かった。彼女は老婆の後ろに目をやって、その絵をもう一度見た。
 緑の草原に、女が一人立っている。油絵だった。
 少女だった大野を老婆が招き入れたのは、しばしの話し相手が欲しかったからだろう。だから大野は、その絵と共に、今日はまだ三人しか客が来ていないという話と、台風が今夜遅くに到着するという話もまたよく覚えている。絵の中の婦人の美しい立ち姿と、一人語る老婆の疲れたような、しかし気の強そうな声は、下校途中に寄り道をした罪悪感と共にわかち難く結びつけられて、よしみの心に焼きついた。よしみは老婆の話を聞くともなしに聞きながら、あの絵の描きかたを、私は知っている、と確信した。それが才能というものだろう。
 親に頼み、油絵を習いだした。
 高校生の頃には、自分の才能の程度を薄々感じ始めていた。目をそらし続けた。
 二浪の末、美大にぎりぎりの合格点で入学した。そこは自分の限界と、果てしなく上がいるということを思い知る場所だった。
 二年生になって、抗鬱剤をのみ始めた。
 三年生になって、服用量が増え始めた。
 卒業制作のことを考え始めなければならない。だが思いつかない。その日もどしゃ降りであった。画材と教材を詰めた紙袋で両手は塞がっており、大野は傘を差していなかった。濡れようが体を壊そうがどうでもよかった。死のうかと思っていた。
 紙袋がふやけて破れ、教材が路上にまき散らされても足を止めなかった。
 閉店間際のデパートの前を通り過ぎ、マンションに向かって角を曲がる。室外機がごうごうと音を立て、中華料理の匂い、フランス料理の匂い、ベトナム料理の匂いが立ちこめる繁華街に入る。飲み屋の扉の向こうから聞こえる人々の笑い声が、ひどく遠く感じられた。
「すみません」いきなり間近で声がした。「これ、落としましたよ」
 振り向いた。
 落とした教材が重ねられ、誰か、優しい人の手にあった。教科書のおもてに雨が弾け、繁華街のライトを閉じ込めた滴が残った。大野を追いかけて来たのは、デパートの警備員だった。疲れ、思い詰めた目をしているものの、真面目そうな青年だった。それが大野聡志だった。
 聡志との交際に、両親は良い顔をしなかった。まず、家柄が違う。生活レベルが違う。学歴が違う。
 大野は親が賃貸料を払っているマンションを勝手に解約し、聡志と一緒に地下市のアパートで暮らし始めた。親は激怒したが、一人娘のこと、甘やかさずにおれなかったのだろう。学費を出してもらい、無事卒業した。
 就職のために、二人で軽沢市に引っ越した。地下市にアパートを借りた。
 子供が二人できた。
 幸せな日々であった。
 災厄の日が過ぎたのちも、幸せは過ぎなかった。
 生涯かけて追い求めようとした絵の道は、しかし、身を捧げるには才能が足りなかった。それが何だ。どのような境遇におちようとも、黙ってそばにいて、求めれば抱きしめてくれる人がいる。他に何が必要だというのだ? 一つの道に身を捧げるなどということは、その過酷さに耐えきれる才の持ち主だけがやればいい。それは大野の人生ではなかった。
 大野の人生。
 それは、人にあらざる異能を持ちながら、平凡な主婦として生きること。
 それもまた過酷な人生のはずだが、パジェットには、大野がそう深刻に捉えているようには見えなかった。
「それに、私のことは、もう一人の憑依者が支えてくれています。彼女がいますから」
「宮部さんでしたっけ?」
 パジェットは運転席から尋ねた。
 宮部まき。当時三十歳。現在は四十歳で、独身だ。大野とは歳が近いこともあり、災厄以来ずっと親友のような関係だという。
「ええ」
 後部座席で大野が頷いた。パジェットは車を走らせ続ける。
 二人が乗り込む民間軍事会社『両国同心社』の社用車には、特別な加護が与えられている。一見普通の乗用車だが、耐爆、防弾加工が施されており、物理的ないし霊的加工の痕跡は入念に隠されている。
「宮部さんは今、どうしてらっしゃるんでしたっけ?」
「軽沢に残っています」大野は軽やかに答えた。「と言っても、私とは違って都市の内部に残っていますが」
 大野は今、都市の外の農作地帯に住んでいる。
「宮部さんも、皆無神(みなかみ)さんと日野姉妹との接触を続けてくださっているんでしたね。あと灰田さんと」
「ええ。ただ……」
 窓の外の渋滞を見やる大野の目が、憂いに覆われた。
「日野姉妹に関しては、接触が難しいようですね。晶さんのほうはもう高校生なのですが……あまり関わりあいたくないみたいですし、明奈さんのほうは」ここで口ごもった。彼女の言いたいことならパジェットもわかっている。「……あれですから」
「ええ。そうですねぇ」
 日野明奈の今に関して、パジェットは知らない。大野もそれを第三者に話すことは禁じられている。それでもパジェットは知っている。
 彼女こそが、七人の憑依者の中で最も過酷な運命を辿っているであろうことを。
 そうでなければ、ここまで一般社会から徹底して隔離されることはない。断片的な噂や憶測を繋ぎあわせると、彼女は今、序峰以上に隠された場所にいるらしいのだ。
 宮部という憑依者と大野は、対策室の保護役から、日野明奈を除く他の憑依者との定期的な接触を依頼されている。監視しあうためだ。そのための交通費や食費は対策室の負担となり、更に軍事会社の護衛がつく。パジェットが大野の護衛を担当するのは今日が初めてだった。
「長谷部さんは、気さくな方ですね」
 大野が窓の外を見ながら話題を変えた?
「そうです? これまでの担当は?」
「寡黙な方でしたね。引退されましたが」
 パジェットはとりあえず笑っておいた。
「まあ、職業柄べらべら喋るほうが少ないかも知れませんねえ」
「長谷部さん、ところで、パジェットという誓名の意味は何ですか?」
「興味あります?」
「いえ、横文字を誓名にしている方は初めてお見受けしましたので。お嫌でしたら」
「嫌じゃありませんよ。お教えしましょう」
 パジェットはにやりとした。
「癌(がん)です」

 ※

 大野は一人で、序峰が待つサンルームに向かった。癌を意味する通り名の護衛は階下で待っている。大野自身は護衛の必要を感じたことはなく、こうして一人で廊下を歩いていても恐れてはいなかった。あまり趣味のいい廊下とはいえない。壁の色は赤で、梁と柱は黒。竹の一輪挿しが所々に掛けられているが、花は一輪もない。廊下の隅には蜘蛛の巣が張っていた。もてなすほどの客ではないと思われている、というよりは、人手が足りないのだろう。会長の指示がある場所だけきれいにしておけばいいという考え方で、つまり、相沢峰雪はここには滅多に来ないということだ。
 それでも、突き当たりの片開きの扉を開けた先は、さすがに清掃されていた。
 サンルームの板張りの部屋はワックス掛けがされたばかりのようで、昼の光が床いっぱいに白く広がっていた。十畳ほどの台形の部屋で、テラスに通じる大きな窓は外側へと開け放たれている。ようやく九州地方にも普及し始めた無線ゴンドラが、青空を背景に宙を行き交っている。クジラを模したゴンドラや、風船を模したゴンドラ。一般の倉型のものや、船型のものも多い。
 大きく張り出した瓦屋根の下の窓から離れ、別の窓へと漂っていくのはクリーニング屋のゴンドラだ。今日は休日だから、アイスクリーム売りやジュース売りも、色とりどりの風船で店のゴンドラを飾り立てて行き交っている。
 目の焦点を窓の奥から室内に戻せば、序峰がいた。
 序峰は和装だった。ひわだ色の生地に水色や赤紫のアジサイと、一頭のカラスアゲハが描かれた着物だ。窓辺の円卓についている。円卓にはパンが盛られた籠。序峰の前と、その向かいの空席では、アイスティーのグラスが汗をかいていた。
「誰の家だと思ってるの?」大野を見た途端、序峰は露骨に不機嫌な顔をした。「ノックくらいしたら?」
「ここを家として住むことは許されていないわ」大野は動じず、戸を閉めた。「もっとも、あなたが用意されたマンションに戻ってなんかいないこと、誰もが知ってることだけど。いつまでもここにはいられないわね。何か少しでも怪しいと思える節があったら、聖務防衛軍がここに押し寄せてくるでしょうね」
「それがあんたに関係ある?」
 大野は序峰の正面に、椅子を引いて座った。二人は無言で睨みあった。
 聖務防衛軍は、国防を司る国務防衛軍とは全くの別組織である。防衛省ではなく、聖務省の管轄に置かれる。物理的な攻撃が通用しない妖魔に対抗する聖務防衛軍の兵士たちは、専門の養成機関を修了した神官、すなわち聖職者たちだ。彼らは国務防衛軍のような駐屯地は持たない。各都市の要(かなめ)となる神宮や各地の聖地に駐在し、潔白を保ち、祈りと訓練に身を捧げて生きている。
 序峰、性格には序峰が身に宿す呪詛を監視する役目を負うのは、高千穂神宮に駐在する聖務防衛軍の兵士たちだ。
 だから序峰は彼らを憎んでいる。八百万の神々を信じ、愛し、己はその寵愛を受けたと信じるゆえに、同じ神々を奉ずる神官たちが憎いのだ。彼らが序峰を穢(けが)れとして扱い、抑圧するからだ。序峰の中で、それは、序峰を選んだいずれかの神に対する冒涜行為だった。お父様がそういうのだから間違いない。
 睨みあいの末に、大野がため息をついた。
「足音でわかるんだからノックはするなと言ったのは、去年のあなたなんですけどね」
「一昨年の私は、ノックをしろと言ったわよね」
「あなたは何がしたいの?」
「あんたが嫌な気分になればそれでいい」
「この一年、相変わらずその調子で生きてきたようね」大野は呆れて首を振った。「お勉強はどうしてるの?」
「相変わらずろくなことは教えてくれないわね」
「政府が選んだ間違いのない教師が出向いているはずよ」
「本当に必要なことを教えないんだもの。そんな授業、聞く必要はないわ」
 序峰のほうから話題を振る真似はしなかった。
 峰の会にいる限り誰も彼もから持ち上げられるのは、序峰が憑依者だからだ。だがそれは大野も同じだ。彼女を下手に扱えば、序峰自身が拠り所としている憑依者の特別性が揺らぐことになる。
 だから訪問を拒めなかった。だが、ここに住む者としての優位は持っている。だからただ、大野に早く帰ってほしいと態度で示すまでだ。
 円卓の中央にある籠を、序峰は自分の手許に引き寄せた。トマトとバジルのパンを、大口を開けて貪る。
 大野はパンをじっと見た。それから、序峰の何事にも無関心な顔をじっと見た。
「宮部さんがあなたを心配していたわ。態度や思想が矯正されないなら、霊体結晶化の訓練はいつまで経っても始められないって」
「ああ、あのお節介女」
「生きるために必要な技術だから言ってるの」
「あんたには関係ないってオバサンに言っといて」
「関係ないわけないでしょう。もし呪詛が何らかの原因で暴走したら、どんな被害をもたらすかわからないわ。それを律することができないなら……」二つ目のパンに手を伸ばす序峰に、大野はそっと囁いた。「国は、あなたを殺すでしょう」
 えんどう豆とチーズのパンを掴む直前、序峰の手が止まった。
 序峰は剣呑な目つきで大野を凝視した。大野はその視線を受け止めた。
 再び睨みあいの内に時が過ぎた。
 今度は序峰が沈黙を破った。
「殺す?」
「今年ならば、東王陛下のご威光のもとに」大野は頷いた。「来年ならば、西王陛下のご威光のもとに」
「憑依者が死んだりしたら、何が起きるかわからないのに?」
「いつまでも何もわからないままじゃないわ。あなたが心を閉ざしている間に、世の中は進んでいるし、研究も進んでいる。覚えておきなさい」
「霊体結晶化の訓練を受けてないのは私だけじゃないわ。灰田とかいうネクラ女――」
「灰田さんならおととしから受け始めています。去年、あなたには言わなかったけれど」
 嫉妬と劣等感で、序峰の顔が醜く歪んだ。その頬が赤くなる。続く言葉は、無理に平常心を保とうとするためか、甲高く上擦っていた。
「日野晶とかいうのがいたじゃない。随分昔から毛唐(けとう)の宗教にぞっこんらしいけど」
「確かに晶さんは霊体結晶化はできません。ですが、彼女は信仰によってそれを封印することに成功しています。一神教のことはよくわからないけど、効果的なようね」
「皆無神(みなかみ)とかいうのは? あのかわいいお人形さんは?」
「あなたに彼女をそんなふうに言う資格はないわ」
「教えなさいよ」
「じゃあ少しだけ。彼女、素晴らしい素質の持ち主だわ」
 序峰は屈辱の内に言葉を失った。
 皆無神クロエ、人間ではない奴が、日野晶、日本人でありながら神道の神々を崇拝せぬ背教者が、それぞれのやり方で憑依者として生きている。序峰はあの日から今日まで、人生のほとんどを神宮の聖域に閉じこめられていたというのに。
 仕方がないじゃない! と、序峰は心の中で叫んだ。私はほとんど外に出してもらえなかったんだから、ほかの奴らが進んでいるのは当たり前よ! 不公平だ!
 そんな内面を隠して、ごくごく静かに質問を続けた。
「日野明奈は?」
「知らないわ」
「嘘」
 大野はアイスティーのストローに口を付けた。そして、せめてもの礼儀とばかりにそれを一気に飲み干すと、口を離し、白いハンカチをハンドバッグから取り出して、軽く叩くように唇を拭いた。
「そろそろお暇(いとま)させてもらうわ」
「あら。今年は早々のご退散ね」
「顔を見に来ただけですから」
「あんたの態度がどんなだったか、お父様にご報告するのは後にしてあげるわ」立ち上がる大野を見上げる形で、序峰は言い放った。「そうでなければ、ここにいる百五十人の会員があなたをどうするかわからないものね」
「念のため言っておくわ。結晶霊体を持たないあなたは私の敵じゃないと」
 憎しみの目を浴びながら、大野は序峰に背を向けた。
「もっとも、一生無力なままでいたほうが、むしろあなたのためでしょうけどね」

 ※

 大野が帰った後、序峰は洋装に着替えた。丈の長いスカートとブラウスは着やすく、涼しく、動きやすかった。誰にも煩わされることなく、一人居室で過ごした。帰宅にあたり最も気が重かった大野の訪問の受け入れ、それが済み、もう序峰を訪ねる者はいない。父に会うこともできる。父のほうから序峰の部屋に来たことはないが。
 序峰は外出着のまま寝床に横たわり、午睡をした。一時間とせず目を覚ました。ダミーの住居として用意されたアパートから運び込まれた本が、壁に据え付けられた書棚を埋めていた。鳥や草花の図鑑や、文学作品など。どれも中古で、汚らしい。序峰はそれを片端から手に取り、どれにも興味を持てず、畳の上に投げ捨てた。それにも飽きて寝床に戻ると、再び横になった。もう目は閉じなかった。
 そのだらしない過ごしかたを誰も咎めはしない。誰にも見られていないのだから。
 倦怠感に身を任せ、眼差しをじっと霧島連山の模型に注ぐ。日差しが黄色く色付いて、窓と壁の、光と影の格子模様を部屋に落とした。牢にいる心地だ。何を期待して帰ってきたのだろうと序峰は空しく考えた。お父様はどこ? お父様、何をしているの? お父様、私の家族は? お父様、私を受け入れてくれる人は?
 目に映る模型に、かつて心に焼き付けた峠からの風景を重ねてみた。前景の木々。序峰は木の名前を知らない。遠くの峰。白い雪をかぶり、輝いている。それらの峰の名前も知らない。だが、美しさと楽しさの前には、そんなことには何の関係もなかった。
 あの頃は楽しかった。それに家族がもう一人いた。母が。
 と、記憶の中の峰々が、水をかけられた砂山のように、ぐずりと崩れた。
 序峰は寝床に手をついて、急いで起きあがった。そして、しっかり覚めた意識でもう一度、美しい記憶を呼び起こそうとした。
 できなかった。
 代わりに、渦巻くもののイメージが頭を支配した。
 夜の海を見下ろしている。何もない。浮遊する視線の遙か下の海面で、暗黒が渦を巻いている。海の水が渦へと落ちていく。その渦は、水でできてはいないようだ。
 闇が実在していた。
 光を理解せぬ闇は、質量を持っているようだ。
 心の目で見つめていると、何故か安心感が広がってきた。
 誰かが一緒に闇を見ている。一緒にいてくれている。何か尊いものが。馬鹿な人間どもじゃない。そんな卑しいものではない。
 何か、序峰の身に宿り、序峰を選び、今ここでの至高の立場を担保する者が。
 あなたは誰?
 声を出さずに問いかけた。答えはなかった。
 だがそれは、序峰が聖域から離れたことによって、間もなく眠りから覚めようとしていた。
 抑圧は暴発を招く。
 時は来た。





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