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冷凍されたオシドリとチューリップ人の王国

趣味で書いている小説用のブログです。

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グッドモーニング、ママ〈1〉




 1.

 最後の一筆を、入念にキャンバスの隅に塗りたくった。こうして二十歳(はたち)の記念作が完成した。キャンバスは一面黒で塗り尽くされていた。クロエは別段悦に入るでもなく、黒い絵を眺めた。自分の名と同じだ。黒絵。
 勝手に作業場として使っている十二畳の洋間の壁には、これまで完成させた油絵が床に直接立てかけられている。埃をかぶり、蜘蛛が巣をかけている。そんなものだ。いっそ焼き払ってしまったほうがすっきりするかもしれない。
 そして、窓辺の丸テーブルでは十歳のルルエとレユニが小声で口喧嘩をしていた。
「おばけなんか信じてるの?」
 相手につっかかるルルエの口調からは、馬鹿にしているというよりは、激しく苛立っている様子が伺えた。
「いるもん。ミスミが昨日、展望台にいた」
「ミスミは死んだよ」
「だからおばけなんじゃん」
「おばけなんかじゃない! 気のせいだよ」
 クロエは意識を、黒い絵から、二人のやりとりへと移した。ルルエが続ける。
「だって、あたしたちはおばけになれないんだよ。魂がないもん。死んでもなくならないのは人間の魂だけなんだよ」
 それを聞きながら、クロエはパレットと絵筆を傍らの小さなテーブルに置いた。立ち上がると、その気配で二人は口論をやめた。ルルエがまっすぐクロエを見ていた。何か言ってやってよと、その目が訴えている。
 クロエとルルエは外見が似ていた。サファイアのような、深く透き通る青い瞳。長い黒髪は、クロエがストレートで、ルルエはウェーブがかかっているという違いがあるものの、細い髪質は同じだった。ぱっちりした大きな二重瞼の目。つんと尖った小さな鼻。デザイナーが同じなのだろうと、クロエは思ってる。そうでなければ、ルルエのデザイナーが盗作したかだ。
 自分とよく似た存在に、クロエは複雑な愛情を抱いていた。もし中身までもが似ていたら、ルルエを愛せなかったと思う。
 一方ルルエは、自分の中身がもっとクロエに似ていたら良かったと思っている。そしたらもっと、自分で自分を愛してやれただろう。だが、そのクロエには、クロエ自身を愛している感じがしない。同胞の誰もがそうだ。それができるとしたら、クロエだろうと思うのに。
 やはり、呪われてしまったせいだろうか。
 クロエは呪われている。
 五年前、十五歳のときに、クロエは軽沢地下市で呪われたという。それでこの町に送り込まれた。彼女を呪うものが、どのような神か、または怨霊か、あるいは異国の勢力か、それは誰にもわからないという。未だに判明していないのだ。
 だがクロエには、特別他の同胞たちと変わったところなど見られない。クロエは優しい。
「ずっと考えてた」
 クロエが語りかけながら、ゆったりした足取りで、丸テーブルに歩み寄ってきた。ルルエとレユニの前まで来ても、座ろうとせず、立ったまま微笑みかけた。
「私、マーテルを、私たちのママを探しに行く」
 テーブルを迂回し、ルルエとレユニの後ろに立つ。
 二人の頭に手を置いた。軽く身を屈め、耳と耳の間に口を寄せる。
「ママが私たちのうちの誰かのもとに来るのなら、私のもとに来ると思うの」
「どうして?」
 レユニが澄んだ声で尋ねる。
「私が、魂のない偽体でありながら、人間が受けるべき呪いを受けたから」クロエは優しく囁いた。「私を裁きに来る」
 屈めていた体を伸ばし、二人の間から離れた。
「人間たちの中に出ていくつもり?」
 クロエは部屋を出ていこうとしていた。それをルルエが咎め、制した。
「殺されるよ。駄目だよ」
 振り向いたクロエは、ルルエの目の中にあるものが、怒りでもなく、去る者の自由に対する嫉妬でもなく、離別の悲しみであることを見て取り微笑んだ。ルルエが愛しかった。いい子だと思う。同胞たちさえクロエを遠ざけるのに。
「もしも人間が、私たちが教えられた通りの存在なら、私を殺そうとするかもしれない」
 ルルエとレユニの部屋に飾る絵を描いてやると約束していた。今になって思い出した。ルルエもレユニも約束を覚えているはずだ。押し黙っている。
「人間が、私が思っているようなものなら、戦って殺そう」
 唇だけ微笑んだまま、目に真剣な光を宿した。
「みんなで、私と同じように力を手に入れて、たくさん殺そう」
 ルルエが立ち上がった。椅子の脚がフローリングを擦る。その音が返事だった。
「礼丹(レニ)には内緒だよ」
 クロエは出ていった。
 レユニは座ったまま、ルルエは立ったまま呆然としていた。交わされた会話の中身を受け止めかねていた。
 もう少し、話してほしかった。納得するまで真意を聞きたかった。
 夢見るように、ルルエはドアへと歩く。クロエが閉めたばかりのドアを開け、廊下に身を乗り出した。
 廊下は真っ暗で、突き当たりの階段に、緑の非常灯が点っている。廊下の窓の向こうは崖。
 崖の下では、海が月の光を砕いて散らし、波に乗せて揺らしていた。

 ※

 妖魔からの侵略の手が緩む時代、人間同士の戦争が起きる。人間同士が平和な時代、妖魔たちとの戦争が起きる。
 どちらがより悲惨であるということは言えない。
 だが、人権を無視した過酷な作戦に投入できる兵士。その存在が必要とされたのは、妖魔との戦いにおいてだった。
 培養液生まれの人造兵士たち。
 それには性別もなく、尊厳もなかった。
 人とほぼ同じ体を持ちながら、人ではなかったからだ。
 それは十歳から実戦投入される。
 日本のどこにでも、人造兵士の部隊が配置された。宇宙探査船に乗せ、外宇宙からの重力の流入源を特定する任務に当たらせる案もあったそうだが、結局実行は困難と判断された。
 理由は、人造兵士たちの意志が、地球の軌道上を周回する人工衛星『あかり』に搭載されたマーテル機関によって制御されているからだ。
 マーテルは、人造兵士たちの母としての仮想人格を持つ人工知能だ。人造兵士たちには特殊な食品が与えられ、それを摂取することによって、Aニューロンと呼ばれる特殊な物質を脳内で生成する。このAニューロンを通して、マーテルは人工兵士たちに自分の意志を送り込む。
 人工兵士たちはマーテルへの服従を、徹底的に教え込まれる。自分の個性を持ったり、自分の人生を生きようと願うことはない。
 そのような生命体を生み出す技術が、軍事用のみならず労働用や愛玩用にまで用いられるようになったとき、それを危険視する声はいよいよ抑えきれなくなった。
 倫理の問題。そして、人工知能『マーテル』のみに依存した統御の危険性。
 人工的に作られた人間によく似たもの、人造兵士や労働体、愛玩用生命体である『Dolls(ドールズ)』と呼ばれる存在には、その製造元であるミツバ生科学産業社による自主回収という運命が待っていた。
 今では、それらはすべて『偽体者』と呼ばれている。
 打ち捨てられた一つの町に集められた偽体者たちの余生は、ただ無為に時を過ごし、死のときを待つだけのものだ。たとえまだ十歳の少女であるとしても。
『Dolls』として販売されたルルエ、美貌の少女は、数少ない男性型の『Dolls』である仁尾(にお)に、こう尋ねたことがある。
「ねえ、AニューロンのAって何?」
 仁尾は性格の穏やかな、いつもはにかんだような微笑を浮かべる青年だった。その彼が、問いを受けた途端に笑みを消した。それゆえ、回答はルルエの心に焼き付けられた。
「アガペー」吐き捨てるように言って、嫌悪に染まる顔を背けた。「無償の愛だよ」
 ルルエはAニューロンを生成する食品の摂取をやめていた。この町に捨てられたとき、礼丹(レニ)にやめさせられた。この町を仕切る大人の偽体の一派の指導者だ。仁尾も、クロエもその一員だ。ルルエも。
 それでも、マーテルの働きかけが強い日は、得も言われぬ焦燥感と罪悪感に苦しまれる。礼丹や仁尾も、一緒に苦しんでくれる。
 だがレユニは、町の他の偽体者同様、摂取をやめられないでいた。
『どうして食べてくれないの? あなたはママのことが嫌いなの?』
 聞くところによると、ママの悲しむ顔が頭の中に現れて、そう語りかけてくるという。他のみんなは食べちゃいけないって言うよ。レユニはそう答える。するとママは厳しい顔で断言する。彼らには、人間たちが厳しい罰を与えます。ママは悲しい。
 そして、悪い子と非難され、恐ろしいことになると脅され、泣かれる。ママに泣かれたとあっては、もう抵抗できない。最後には必ず謝らされ、言うことを聞かされるのだ。
 ルルエはこの町に、死を待つ町に預けられるのが早かった。それだけ早く、マーテルの支配を逃れる術を与えられた。レユニはそうではない。
 レユニを部屋に残し、ルルエは真っ暗な廊下を行く。一階に下り、クロエを捜す。後ろからレユニが追ってきて、無言でついてくる。
 建物を出る。クロエはいない。
 黄金のイチョウの葉が、秋の涙として町に注ぐ。涙を浴びて遠ざかるクロエの足音を探しても、木枯らしは虚ろだった。
 ルルエは呼吸によって木枯らしを吸う。秋の涙を吸う。それらは肺で渦を巻く。涙と空虚が血に乗って、ルルエの体を満たしていく。
 ルルエの足許、舗道の地下では、裸電球が照らす部屋で、銃の密造が行われている。




 
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