父親は漁に出て戻らず、母親は工場で罵倒され、子供たちは文字が読めない。
「どこに行くんだよ。俺はまだあんたの話を聞いてないぜ」
アイオラは、アウィンを後ろに連れてはぐらかすように呟く。
「……旧南東領へ」
「旧南東領? だったら俺と同じじゃん。言語の塔もそこにあるんだぜ」
それを聞いたアイオラは、馬鹿げた失敗をしでかしたような顔をしていきなり角を曲がり、
汚いホテルに入る。
「アイオラ・コティーと名乗る女を泊めたことはありませんか」
彼女はフロントの老女に尋ね、葉書を差し出す。
「この絵葉書を買った人です。このホテルの名が入っている」
「知らないね」
塩を吐くように老女が言う。
更に東の町区へ向かう駅は貧しく、屋根がない。
だから、赤い空を背景に、夜に向かって飛んでいく、
翼を得た死者たちの飛行を見送ることができる。
ふと、荷物が軽くなるのを感じてアイオラは波止場で足を止めた。
スリにでもやられたのか、バッグが裂かれている。
しかし、このバッグに入っていたものは地面にばらまかれた葉書だけで、
その内幾つかが、風に吹かれて海に舞い落ちていった。
拾うのを手伝ったアウィンは、どの葉書も、記されている差出人の名が
『アイオラ・コティー』であると気付く。
「最初は、私の名が記された銃帯が届いたの。南西領防衛陸軍第一陸戦師団、
歩兵連隊強行攻撃大隊特殊銃戦部隊所属、アイオラ・コティー中尉」
乗合いの船の中で、アイオラは隣のアウィンにだけ聞こえるように囁く。
モーター音と船底にぶつかる波の音が、声をかき消してくれる。
「南西領だって?」
「陸地の消滅と共に意味を失った呼称ね。今では南西領も南東領も、どこにもない」
私から葉書が届くの。
その消印が少しずつ、かつて南東領と呼ばれていた方向に移動していく。
大人になった私がいるところに、きっと理由があるの。
私達の漂流を納得させるだけの理由があるの。
青い誘導灯を点す海堡の砲台が、唐突に火を噴く。
立った姿勢で町区へ向かう悪しき死者を打ち落とし、身に着けていたものを、
この船まで弾き飛ばした。
「こりゃあ、……さんとこの娘さんの遺品じゃねえか」
初老の男が言う。
「こんなこと、……さんにどう言えば」
「言わんでいい。何も言う必要はねぇんだ」
遠ざかる町から、新しき良き死者たちが、
手足をだらりと下げて飛び去っていった。
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