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冷凍されたオシドリとチューリップ人の王国

趣味で書いている小説用のブログです。

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ちょっとしたおしらせ。

いつもこのブログに遊びに来ていただき、ありがとうございます。
ブログ更新につきまして、現在連載中の「【アースフィアの戦記】鳥籠ノ国」が集中を要する状況にあるため、少なくとも8月いっぱいまでお休みいたします。
「星への道」につきましては、9月に入ってからまた連載を始めていけたらと思っております。
よろしくお願いいたします。


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ネットで小説を公開するなかで思ったことを書いてく。


実にたくさんの人々が、ネット上で自分の創作物を公開している。
ツイッターを見ても、小説を書いてる人もいるし、絵を描いてる人もいるし、ゲームを作ってる人もいるし、漫画を描いてる人もいるし、音楽をやってる人もいるし、MMDをやってる人もいる。
地元に帰れば友人たちは、声劇をやったり、マジックパフォーマンスをやったり、古本屋作りとその経営に精を出していたり(これだって生活手段なだけでなく、立派な自己表現であり創造であると思う)、人形作りをしていたり、ボードゲーム会を開催したりいろいろと頑張っている。
そういう、強烈に「何かをしたい」とか「何かをしなければならない」とか思ってる人々が、世代や性別を越えて繋がっていられるってのは素晴らしいことだと思う。

一方で、創作者や表現者には、それにまつわる悩みや苦しみがたくさんある。
アイツはオレより下手くそなくせにオレより評価が高いだとか、一向に上達の兆しが見えず苦しいとか、色々な悩みが言外に、またははっきりと言われているのをよく目にする。
そこから罵り合い、こきおろし、隙を見せた者に対する吊し上げ、晒しといった事態に発展することもままある。
何故そういう事態になるのか?
憎いからだ。
心に憎しみがなければ、罵ったりこきおろしたりはしない。
何を憎んでいるのかって、その人そのものではなくて、その人の所属や天性を憎んでいるのだ。

アマチュアの世界で起きている事は受け手にはわかりにくいと思うからプロの世界で例えるけど、今、音楽家、女優や俳優、小説家といった一流の芸術家たちが、政治のことで声を上げてるよね。
そういう人たちってもの凄く叩かれるし、覚えのある人も多いと思う。
「黙ってろ」とか、「小説家/音楽家は、黙って小説/音楽を作ってればいいんだ」とか、そういう言論の自由を奪うような意見さえ目につく。
でもまあ、本当の資質を持った人っていうのは、知能が高かったり生命力が並はずれて強かったりするんだ。
だからいろんなことを考えずにはいられないし、せずにはいられない。
そういう人に「黙ってろ」って言うのは、「息をするな」って言うのと同じくらいひどいことだと思うけどね。

叩いたり叩きに賛同する人は、自分と異なる主張をする人が、自分に創れないものを創って成功を収めているってことを憎んでいる。
相手が受け手に肯定的に認知されていて、多くの賛同者を獲得している=自分とは違う思想を持つ人を増やしている(そして、それと同じことを自分はできない)ってことを憎んでいる。
裏返せば、自分の無力さを本当は知ってるんだ。で、その「本当は知ってる」ってことをもの凄く恐れてる。
そして人は自分を恐怖させるものを憎む。
自分の安全を確保している以上、憎いものを攻撃せずにはいられない。
加えて、決して反撃してこない有名人を攻撃すれば、自分の頭が良くなったような錯覚も抱ける。
そういう憎悪や錯覚への渇望に満ちた呟きが何千回もリツイートされたり、掲示板の書き込みがまとめられてたりする。

ネット空間ってのはこんなふうに、かけがえのない才能の産物と醜悪な憎悪の産物が混在する不思議な場所だなー、って、最近つくづく思う。

できれば、憎悪や錯覚の産物よりも良きものが増えてほしいと願っている。

憎悪を発した者は憎悪に蝕まれる。
言葉にするってのは形を与えるってことだから。一度それをしちゃったら、逃れることも消すことも困難になる。
憎悪の受け手も蝕まれる。
創作者は一度は言われたり、ネット上の書きこみを見たことあると思う。
「キモい」「イタい」「オタクっぽい」「何歳まで続けるつもり?」「現実逃避」「それが何になる」「稼げるの?」「××はクソ」「自慰行為」「所詮は素人」「ヒマなの?」「変わってるね」「そんなことする時間があったらオレだったら××するわ」
ってね。
そうした言葉は人に自分が無価値であるという思いを抱かせ、他者から支配されやすい状態へと移行させる。
支配されるっていうのは、やりたくもないことをイヤイヤさせられるってことだ。
つまらない異性や魅力に乏しい同性といつまでも付きあわされたりとかさ。
有形無形の圧力で誰か――支配的な家族、支配的な配偶者、支配的な上司等――から離れられず、言うことを聞かされるようなこと。
たくさんの憎悪に触れるってことは、自我の確立を阻まれ、自立できなくなるってことだと思う。

創作や表現は、また他者の手による創作物や表現物は、そんな恐ろしい状態にある者に対する、恐らく唯一の救済だ。

夢中になって、いつまでも本や漫画を読んだ経験。アニメを見た経験。ゲームをした経験。音楽を聞いた経験。ないしそれを創った経験。
それはきっと誰にでもある。
そうすることは楽しいから。
暗澹たる支配の力を弱めたり、一時的にでも忘れたりできる。
それは決して現実逃避なんかじゃない。
汚染された精神を洗い、食われた魂を再生するために必要なことなんだ。

魂の自己再生を促す全ての創作と表現が芸術だ。
芸術は憎悪と呪縛を打ち破る魔法だ。

私は憎悪に対抗したい。
その為に、ネット上に小説を公開し続けていたい。
可能であれば死ぬまでやめたくない。

そして、多くの人々に、できれば創作を続けてほしいと思っている。
やめるなんて寂しいことは言わないでほしい。
ちょっと離れるのは良いと思う。
だけど、本当に好きなことを、外部からの目や圧力でやめる必要はないんだ。
大人になったらやめるとか、そういうものじゃない。
覚悟次第で、これは一生の仕事だ。

好きな事をやめたり、やめさせられると、苦しむことになる。
苦しみは他人に対し非寛容にさせる。
「××だからしろ/するな」という強制を人に課す、支配的な人間にしてしまう。

だから、今創作や表現をしている人は、どうか続けてほしい。

それは本人と他人と世界を良くするから。
即効性はない。強力でもない。
だけど必ず良くするから。
そして、他の創作者や表現者を憎まないでほしい。

心から思っている。


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Author:とよね
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