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冷凍されたオシドリとチューリップ人の王国

趣味で書いている小説用のブログです。

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【本の紹介】異形の街に関する物語〈第3回〉

 後半からまさかのバトルアクション展開 ペルディード・ストリート・ステーション
 著:チャイナ・ミエヴィル
 訳: 日暮 雅通
 早川書房


【内容紹介】

 人間と様々な異種族が共生する異世界《バス=ラグ》。産業革命期のロンドンを髣髴とさせる都市国家『ニュー・クロブゾン』に住む天才科学者アイザックのもとに、奇妙な依頼者が来た。その名はヤガレク。翼を失くした鳥人で、もう一度空を舞うべく遥かな旅をしてきたのだ。
 ヤガレクの翼を作るべく、魔術と動体力学の研究を重ねるアイザック。難問を解決する糸口が見えた矢先、研究のために入手した巨大な幼虫が羽化してしまう。その正体は、知性ある生き物の精神を食う夢蛾『スレイク・モス』。人を廃人にしてしまう『スレイク・モス』の群れに立ち向かうべくアイザックは仲間を集うが、モスを解き放った罪でアイザック自身も追われる身となってしまい……。


【感想】
 
 これは、高い娯楽性と芸術性を併せ持つ冒険小説の大作だ。
 魔術が存在する世界のファンタジー小説であり、蒸気機関が支配するスチームパンク小説でもあり、個性的な登場人物たちが活躍するキャラクター小説でもある。
 キャラクター小説と言ったら氏のファンに悪く受け取られそうだが、様々な異種族と登場人物たちの魅力が作品を彩っていることは間違いない。
 エジプト神話からそのまま抜け出してきたような、昆虫の頭部を持つ『ケプリ』。水に棲む種族『ヴォジャノーイ』や鳥人『ガルーダ』。行動する左手と思考する右手が一対になった種族『ハンドリンガー』。種族とは違うが、様々な肉体改造を施した改造人間『リメイド』。知性を得た機械たち、そして『ウィーヴァー』!
『ウィーヴァー』は美に至上の価値を置き、次元のはざまで糸を織りなし、一輪のタンポポをそのままにしておくほうが美しいか、引っこ抜いてしまうほうが美しいかをめぐって身内どうしで殺し合うイカレた(失礼)種族で、主にそのイカレっぷりから主人公の強力な助っ人となる。
 個人的に最も印象に残ったのはヴォジャノーイの女性ペンゲフィンチェスだった。自由を愛する盗賊で、協定を結んだ水の精ウンディーネと行動を共にする。主人公に協力したのち、全てのしがらみを失った彼女が都市を去り再び自由の身となる場面は非常に爽やかで、厳しい戦いの描写が続く中での救いだった。

 物語は、はじめの内はゆっくり進むので、腰を据えて異世界の描写を楽しめる。「自分は物語を楽しみたいので、描写が長いのはちょっと……」という人もご安心頂きたい。後半からはもの凄い勢いで物語が展開していき、特にスレイク・モスとの戦いの描写は時間を忘れるほどだった。文体も世界観も壊さぬままに描写の主眼を変える手法は本当に素晴らしい。
 とりわけ見ものだったのが、『背信と堕落の象徴』と称される異種族『ハンドリンガー』と、『スレイク・モス』の集団戦。これははっきりと勝ち負けがつくのだが、凄いのは、負けた方が「弱かったから負けた」という気がまったくしないこと。負けたほうを強者として描くことで、勝ったほうの異常性を(強さを、ではない)際立たせることに成功している。
 ああ、そうだよなあ……大事なのは動きを伝えることよりも、強さを伝えることだよなあ、と思ったり。
 とにかく、あらゆる面から読み応えのある一作であることは間違いない。


【小説を書く人としての感想】

 おはなしを読んだ気はするけど小説を読んだ気はしない、という小説は非常に多い。
 手軽にサクサク読める小説というのは、読者にとってだけでなく、実は作者にとっても非常にイージーだ。
 批判しようというのではなく、こうなったのは必然でもあるのだろう。読者にとっても作者にとっても楽ならば、それが主流にならないわけがない。それが現代性というものだ。

 そう。次から次へと何かが起こる刺激的な物語を書くのは、実はとても楽なのだ。むしろ何かが起き続けていないと退屈で読み続けられない文章に陥る恐れは常にあり、そうでない文章を書くには、作家としての高い基礎体力が必要となる。
 作家としての基礎体力とは何か?
 地の文を書く能力だ。
 状況に流されず、確たる思考と行動を登場人物にさせる能力だ。
 こういう展開にしたいとか、ここでこうなったら後の展開が楽だという作者の都合よりも、作中世界の摂理や力学を優先させる能力、つまり自分の小説について考え抜く能力だ。
 だがこうした要素は地味なのであまり取り沙汰されることはなく、アマチュア同士が集まるとどうしても「どうしたら面白いおはなしを作れるか」「どうしたらキャラを作れるか」といった、あまりにも本質からかけ離れた、上っ面だけの、無意味でくだらない『創作論』ばかりが溢れかえることになる。

 チャイナ・ミエヴィルの小説は、刺激が強く、現代的で、エンターテイメント性が前面に押し出されている。だが決してそれだけに頼ったものではなく、表現を裏打ちする作者の思考や価値観がしっかりと生きている。作家としての基礎体力や必要な能力というものを、読んでいる間ひしひしと感じていた。

 私はミエヴィル氏の小説を、ファンタジーを書く人に、一度は読んでほしいと思っている。アマゾンの関連商品に「クラーケン」が紹介されているが、こちらはこの作家としては凡作なのであえてお勧めはしません。今回ご紹介させて頂いた本作と、短編集ジェイクを探してを強くお勧めします。


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【本の紹介】異形の街に関する物語〈第2回〉

 ペンギン最強伝説 狂える者の書
 著:タニス・リー
 訳: 市田 泉
 東京創元社


【内容紹介】

 もとは児童文学作家でありながら、大人向けの小説では淫靡で陰鬱な異界を容赦なく描き出す、『闇の女王』ことタニス・リー。幻想の都パラディスを舞台にした〈パラディスの秘録〉シリーズの第四作目となりますが、シリーズの各作品が完全に独立した話となっているため、どれから読んでも全く問題ありません。

 本作はパラレルワールドに展開する、三つの都が舞台となる。

 第一の都は〈パラダイス〉。霧に汚染されたこの世界に生きるのは、美しい双子の兄妹フェリオンとスマラ。二人はパラダイスの住民たちの中で、唯一正気を保っている(※自称)。二人は人殺しを日課とし、ノルマを決めては数をこなして暮らしている。二人には姿を消した伯父があり、伯父の邸宅には、パラレルワールドに繋がる迷路が存在する。伯父の遺産を手にするべく、フェリオンは怯えるスマラを連れて、迷路の中に立ち入っていく。

 第二の都は〈パラディ〉。ここでは破滅的な天才画家レオカディアが、酒とドラッグと性行為に溺れる堕落した日々を送っている。ある晩つまらないパーティーから衝動的に逃げ出したレオカディアは、殺人事件の第一発見者となり、それを機に『保護』という名目で精神病院に収容されてしまった。医師たちは、自分を殺人者に仕立て上げようとしている――正気を保つべく、レオカディアは孤独な戦いを始める。

 第三の都は〈パラディス〉。令嬢イルドは役者の青年マルタンに恋をするが、愛情のない母リゼットが執着するのも同じ相手。リゼットに疎まれたイルドは狂人に仕立てられ、虐待行為が横行する監獄さながらの脳病院に捨てられてしまう。希望もなく、未来もない。苦痛に満ちた日々を、入院患者仲間のジュディたちとの触れ合いを支えにただただ耐えていく。そんなある日、とある一座が病院見学に来る。客の一人は、他でもない、恋の相手マルタンであった。


【感想】

 古い脳病院、ラベルにペンギンが描かれたジン、フェリオンとスマラの伯父の遺産。異なる時空を生きる四人の主人公が、それらの場所やアイテムによって引き寄せられていく様子は、時にじれったく、またぞっとような逃れがたい運命の力を感じさせる。

 重大なネタバレにならない程度にあえてお伝えしておきますと、このお話、ハッピーエンドです。悪には制裁が下され、害は除かれ、罪なき者には安息の地が与えられる。「オマエがこのブログで紹介する小説はやたらと重くて暗そうなものが多いからワシよー手ぇ出さんねん」というそこのあなた、ご安心ください。

 そんな『ご安心』なハッピーエンドを迎えるこの小説が、にもかかわらず重い読後感を与えるのは、途中の展開に全く救いがないからだろう。状況は次第に悪くなっていくが、解決方法がわからない。何も思いつかない。なのにただ、悪くなっていくということだけは明らかで、渦中の主人公たちは、真っ黒い深淵に落ちていくしかない。
 そして、無数の美しいイメージが、謎に彩りを添えている。
 幽霊が見えると噂され、夜中に悲鳴が聞こえる廃墟。かつてそこでは、鍵が全て掛けられたまま、内部の人間が皆忽然と消えてしまったのだ。大波が来て全てを呑みこんだと言い伝えられている。
 ペンギンの国〈ペンギニア〉。そこでは温かい雪が降り、いつも夜明けか夕暮れだという。女王は優雅に君臨し、船乗りの男が異国の話を面白おかしく語る。
 物語を終わりへと導くのは、ペンギニア、そして『復讐するペンギン』たちだ。
 そのペンギンの活躍ぶりたるや凄まじい。
 ペンギンですよ。
 かわいいです。
 それがもの凄い暴っぷりを見せ、デウス・エクス・マキナ的な解決を行う。
 つよい。
 ペンギンが強くて暴れてる小説を読みたいという方は、とりあえずこれを読んでみるといいでしょう。
 多分、他にないです。


【本の紹介】異形の街に関する物語〈第1回〉

リンクについて。
これまではアフィリエイトを利用していなくてもアマゾンの商品ページに飛べたのですが、どうやらいつの間にかできなくなったらしいので、青字のタイトルから飛べるようにしました。

 お前らどんだけビール飲むねん 
 著:スティーヴン・キング
 訳:矢野浩三郎
 早川書房


【内容紹介】

 早川書房から翻訳・刊行されたホラーアンソロジー『闇の展覧会―霧』のトリを飾る中編小説。
 主人公デヴィッドは、妻ステファニーと、幼い息子ビリーとの三人暮らし。メイン州西部の湖畔の家で静かに暮らしている。雷雨に見舞われた翌日、デヴィッドとビリーは庭の草むしりをするというステファニーを残し、スーパーマーケット〈フェデラル〉へと買い物に出かける。そして、デヴィッドとステファニーが再び会うことはなかった。

 この作品は、霧にのまれたスーパーマーケット〈フェデラル〉に立て籠もる人々の描写を中心に、物語が進んでいく。
 序盤、危機的状況を理解せず、霧が覆う店外に出た客たちは、断末魔の叫びを残して皆消えた。以来、マーケットに入ってくる人は一人もいない。
 どうやら、霧の中には人を襲う何かがいるようだ。
 いつ晴れるかもわからぬ霧。人を食う怪物。〈フェデラル〉に留まるべきか、脱出するべきか。人々は対立を深め、ついぞ神への生贄と称して殺人教唆を行う人物まで出はじめて……。


【感想】

 怪物がはびこる世界で生き残るべく主人公たちが奮闘する話、と書くとまるで陳腐なB級映画みたいだが、とんでもない。洋物のホラー小説でここまで怖いものを読んだのは、私は初めてだ。霧が怖い。視界が効かないのが怖い。妻の安否が不明なのが怖い。霧が永遠に晴れないかもしれないのが怖い。いつか必ず水も食料も尽きることが怖い。増加する自殺者。死体置き場と化す倉庫。主人公が予測した通り、餌の臭いを頼りに『奴ら』が来るのなら、いずれ強まる腐臭に引き寄せられて倉庫のシャッターが突破されるかもしれない。安全な場所はないのだ。そして主人公と僅かな人数が、〈フェデラル〉からの脱出を計画する。結末はどうかお読みになって確かめて頂けたらと思う。
 とにかく、読み終わっても霧が晴れない。自分が深い深い霧の中にいるような錯覚を、読後いつまでも味わえます。

 以下、本筋と全く関係のない感想。
 いやぁー、この人たちものすっごくビール飲むんですよ! 嵐で荒れた庭をチェーンソーで手入れしながらビールを飲み、5歳の子供がねだるので飲ませ、またビールを飲んでそのまま車を運転してスーパーマーケット〈フェデラル〉に行き(※1980年のアメリカで書かれた小説だと言うことを忘れないであげて……)、〈フェデラル〉で異変に見舞われてからも取りあえず気晴らしにビールを飲み、初めて怪物を目の当たりにした主人公を含む4人組がまた飲んで、その内二人はとある事情からへべれけに酔っ払い……とまあものすっごい飲みっぷりなんですよ。ビールは水か!? 水なのか!? 
 そしてもう一つ。
 主人公はデザイナーの仕事をしており、偉大な画家だった父に対してコンプレックスを抱いている。〈フェデラル〉から出ていき死んだ知人について、彼の絵を描こうと思っていたことを思いだす。

「そう、絵を描くこと以上に重要なものはなにもない」
「いい絵が描けたかもしれない」
(本文より抜粋)

 ただ「いい」というだけで十分なのだ、と主人公はする。才能と呼ばれるものについての考えを述べ、そうしながらも、

「”いい”という穏やかな褒めことばでは満足できずに、裏切られたと感じている子供の声」(本文より抜粋)

 が自分の中で沈黙してしまったことから死を連想している。
 これは勝手な解釈だが、どこかで自分は全身全霊ではないと感じているのだろう。「いい」というだけで十分なのだと思いながらも、自分が理想に近づいていないとわかっているのだろう。どこかに自己欺瞞があった。そのことが、死と隣り合わせになった今、痛烈に思い出されるのだろう。
 このくだりに、私は本筋そっちのけで反応してしまった。私が極限の状況下に置かれたら、小説のことでどう思うだろう。私は平穏に生きている今、ベストを尽くしていると言えるだろうか、と。

 以下はネタバレ感想になりますので、既読の方や気にならないという方のみドラッグで反転してお読みください(´∀`*)。

 一つ一つのものごとの印象づけがもの凄く上手い。
 それが、この作品を『パニック小説』ではなく『ホラー小説』たらしめているように思う。
 死体置き場と化してしまった倉庫のことを私は忘れられない。
 霧の中に消えて行った女が赤いサマードレスを着ていたことを忘れられない。
 主人公たちが脱出に成功した際、肥料の袋を積み上げて作ったバリケードの覗き穴からじっと主人公を見ていた人々の目を忘れられない。
 有料道路の料金所の出入り口に落ちていた、『メイン州有料道路局』の文字のある、血の付いたジャケットのことが忘れられない。
 死んでいった人たち。ノートン、ミラー、ハットレン、オリー、ミセス・ターマン。この人たちのことが忘れられない。
 そして、何よりこれからのこと。
 女二人と子供を連れて、果たしてどこへ行けというのか? ラジオから『ハートフォード』と聞こえた気がする。だが幻聴かもしれない。そこに行って何があるというのだ? どこまで行っても霧、霧、それは永遠に晴れないかもしれなくて、いつかガソリンも尽きて……。

 物語の中の人の死で、ここまで心を掻き乱されたのは久々の経験だった。
 それだけ、作者が人々を丁寧に、しかし決して物語の邪魔にならないように書きこんでいるからだ。
 オリー一人をとっても、『大きな指輪をしている』『宝くじを当てて買ったものだ』『女性恐怖症の気があるらしい』というような関係のない情報を、違和感なくさらりと盛り込んでいる。
 こうしたことの積み重ねで、登場人物への愛着を生じさせ、イメージを生きたものにし、読者を作中世界に引き込んでいる。
 だいたい小説を書いている人には、自分にとって文章の手本となるプロの小説がいくつかあるだろう。
 私にとってこの『霧』は、そうした作品の一つとなった。小説を書く人にとって見習うべきところが非常に多い小説なので、そういう意味でもお勧めです。


【本の紹介】何をとち狂ったのか今年読んでよかった架空の本ベスト3を発表する。


1.水界伝
 著:土浦わかな
 国書刊行会

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 SF、伝奇、恋愛、サスペンス……ジャンルの垣根を越えた様々な要素を自著に取りこみ、幻想文学の新地平を開拓した不世出の作家・土浦わかなの傑作が、今年20年の時を経て復刊した。私がこの作品の存在を知ったのは、確か高校生の時に区立図書館で手に取った荒俣宏の「幻想への誘い」だったと思う。氏の紹介に心惹かれるも当時既に入手困難の稀覯本であり、市内の古本屋を巡っては肩を落とす日々を送っていた。私にとって10年越しの、待ち望んだ「出会い」である。

 超巨大惑星の軌道を周回する巨大建造物『水界(ジ・アース)』では、真水が経済の基本単位として流通し、地球の存在は実在すらさだかではない遥かなる神話として語られていた。そんな水界の民・水貿易保安官のセイ・ミズノは宇宙空間を漂流していた領籍不明の巡視船から、ありえない物を発見した。
 それは、大量の水を呑みこみ溺死した、死後二週間程度の腐乱した水死体。
 朽ち果てた巡視船内に水はなく、もちろん人もいない。調査を初めて数日後、更に驚愕の事実が判明する。水死者が呑みこんだ水の成分を分析した所、『聖書』に記録された地球の海の水と全く同じだったのだ。

 主人公は個人的な興味から事件の真相解明に乗り出していく。その内に消失・散逸した『水界』創世にまつわるデータをかき集め、失われた歴史の復元を始めたセイは、地球の実在を証明しようと目論む異端者として追われる身となり――。

 淡々としていながらも抒情に満ちた文章、息もつかせぬ展開、歴史探究の興奮といった、読書の悦びに満ちた一冊。ついうっかり深夜に読み始めてしまったあなたは翌日寝不足でふらふらしながら出勤、または登校する羽目になるでしょう。


2.虹の国ものがたり
 著:ジェームズ・A・ジェファーソン
 画:シルビア・フォス
 訳:深田早苗
 エディシオン・トレヴィル

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 もともとシルビア・フォスのリトグラフが好きで、日本で刊行されている作品集は全て持っているのだが、本作品の挿画は全て描き下ろしであり従って未収録である。普段であれば作品集の刊行まで待つところだが、本屋で目にした時、表紙の『猫人』の愛らしさに一目ぼれして思わずレジに足を運んでしまった。

 作者のジェファーソンは英国で今をときめく児童文学作家であり、本作は彼の処女長篇となる。
 病弱な少年トーマス(トム)は自宅で床に伏せっていたが、ある晩庭を埋め尽くす不思議な光に導かれ、異世界『虹の国』に迷いこんだ。その国は向かい合う二面の崖に沿って展開し、五歳以上の男性が西側に、女性が東側に暮らしている。家族や恋人たちは、年に一度だけ崖の間にかかる『奇跡の虹』を渡る事によってのみ会う事が許されていた。
 そのような国になってしまったのは、『最後の魔女』と呼ばれる女王が、いずれ男性に暗殺されるだろうという宰相の予言を恐れたため。ひょんな事から二年前に亡くなった母が東の崖で暮らしている事を知ったトムは、崖を渡り母に会う事を切望する。しかしトムの病は重く、虹の橋がかかる10か月後まで生きていられる保証はない。そこで彼は目的を同じくする二人の猫人・ポール(ぶち)とアーサー(キジトラ)と共に崖を下りる決断をした。崖下の深い霧の森を越えて、東の崖の母に会うために……。

 児童文学と侮るなかれ。大人も一気読み必至の傑作です。


3.封印された山~草壁市一家失踪事件~
 著:山下永治
 新潮社

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 本ブログで初となるノンフィクションの紹介です。

 2005年に愛知県草壁市白沢町で起きた不可解な一家失踪事件は、連日ワイドショーで取り上げられたため、ご記憶の方も多いだろう。ウェブ上では様々な自称探偵が登場し、その中の一部は幾度となく現地に足を運び推理の立証に当たったが成果はついぞ無く、現在に至るまで捜査の進展はまったく見られない有り様だ。
 しかし事件詳細をご存知でない方もいらっしゃると思われるため、以下に概要を記述しよう。

 始まりは2005年5月11日。本多家長女の可奈さん(当時17歳)が塾が終わる時刻を過ぎても帰宅せず、翌深夜1:00を過ぎて両親が警察に通報。その日から警察は、あまりにも有り得ない目撃情報に翻弄される事となった。
 11日17:00、可奈さんは塾を無連絡で欠席していた。高校から定期を利用して一駅離れた繁華街の商業施設で時間を潰してから、もう一駅離れた塾の最寄り駅に向かうのが塾のある日の行動パターンだったが、この日の15:30頃、可奈さんは「自習したいから」と友人に話し、まっすぐ塾に向かった。友人のUさんが電車に乗りこむ可奈さんの姿を反対側のホームから確認している。
 16:00、野球部の練習に励んでいた同級生のI君とK君は、この時間に必ず鳴るチャイムと同時に休憩に入り、何となく三階の教室を見上げた。その時窓の向こうから可奈さんがじっとグラウンドを見下ろしている事に気付き、「なにしているんだろうね」と話し合った。同時刻教室にいた五人の女子生徒は、可奈さんを見ていないと証言している。
 同時刻、高校からおよそ20キロ離れた可奈さんの自宅近くの河原を散歩していた近隣の住民が、泣きながら土手を歩いている可奈さんを見かけた。どうしたの、と声をかけるも、可奈さんはまるで気にかけず歩いて行った。
 17:00、町の防災放送が鳴る少し前、可奈さんの友人のJさんの携帯電話が可奈さんからの着信を告げた。出ても草を踏みしだくような足音とすすり泣きが聞こえるだけで、すぐに切れた。折り返したが電波が届かない状況だった。
 18:07に可奈さんの自宅最寄りの駅に電車が着き、キオスクの販売員が、可奈さんがうなだれてキオスクに入って来るのを目撃した。レジの現金確認中だった販売員はしばし目を逸らし、もう一度顔を上げた時、その姿は消えていた。
 12日9:10頃、自宅で聞き込み中だった警官と両親が、二階から「おかあさーん!」と叫ぶ可奈さんの声を聞いた。慌てて駆けつけると、可奈さんが所持していたはずの高校の通学鞄が部屋に放置されていた。鞄の中のノートの表紙には、辛うじて「黒」「ア」だけ判別できる文字列が、乱暴に書き殴られていた。一階に戻ると居間のソファに血に染まった可奈さんの靴下が片方だけ脱ぎ捨てられていた。
 同日14:21、震度4の地震が地区を襲う。高校では授業が中断され、生徒たちが訓練通り机の下に隠れた。時間にして20秒程度だった。机から這い出た生徒の一人が「あっ」と声をあげた。黒板に、教師が書いた文字をかき消すように、あの「黒」「ア」だけ判読できる文字列が書きなぐられていたのだ。
 その後、本多家の母、長男、祖母、次女と、一家が順次姿を消していく。ある時は同時刻に別々の場所で、別々の人間に目撃されていた。最後に姿を消したのは家長の満さんで、二階の可奈さんの部屋の窓を、内側から泣き叫びながら叩いているのを警官が目撃した。警官が家の窓を破り突入した時には、満さんはどこにもいなくなっていた。

 矛盾する目撃情報。散見される「黒」「ア」の文字列。オカルトめいた一連の出来事はしかし捜査に何も寄与しなかった。
 ジャーナリストの山下氏は、地道な聞き込みを続ける内、一家が所有する山の因縁に行きついた。家長が相続したものの資産価値など全くなく、持て余されていたその山は、本多家の先祖が処刑場として刀を振るっていた場所だったと言う。失踪者達の目撃情報が皆この山の付近で絶えた事、そしていくつかの失踪者達の電話メッセージに草の上を歩く音が聞こえた事から、山下氏は親族の方の許可を得て、件の山に向かう――。
 
 これは週刊新潮誌上で連載された記事を文庫本にまとめたもので、山下氏の失踪によって未結の状態となっている。
 一刻も早い事件解決、そして一家と山下氏が無事に発見されることを願ってやまない。


【特選】年末年始目前! インドア派のあなたにお勧めしたいどっぷり浸れる小説

1.有名カメラマンと孤独な青年の哀切な迷路 紙葉の家
 著:マーク・Z・ダニエレブスキー
 訳:嶋田洋一
 ソニー・マガジンズ


紙葉の家紙葉の家
(2002/12)
マーク・Z. ダニエレブスキー

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かつてスーダンで撮影された「ハゲタカと少女」の写真はあまりにも有名である。
物語の主役は、その撮影者ケヴィン・カーターをモデルにしたと思しきカメラマンのネイヴィッドソン。彼は妻と二人の子供を連れて、アッシュ・ツリー・レーンの〈その家〉に引っ越した。亀裂の入った夫婦の絆の修復に努めるネイヴィッドソンだが、彼の想いを歯牙にもかけず、家は異常性を剥きだしにしていく。
何かがいる気がする、と訴える子供。何度計測してみても、外側より大きな値を示す内部。唐突に姿を現す、あるはずのない廊下への入り口。家はネイヴィッドソン一家を呑みこんで、不気味に膨張を続ける。

一方、身寄りのない青年ジョニーは、孤独死した老人ザンパノの家を訪れて、彼が死の直前まで書き記した膨大な記録に直面する。古いナプキンや切手の裏などに散らばる記録を繋ぎ合わせていくジョニー。それはネイヴィッドソンが入居した〈その家〉の異常性に関するものであった――。

〈その家〉の謎と無意味さに憑りつかれ、膨張し複雑化する果て無い闇の中へと身を投じるネイヴィッドソン。
〈その家〉の記録に憑りつかれ、膨大な量の記録の断片を繋ぎ合わせていくジョニー。

二人の過去と現在、幻想と現実を混淆しながら、意味なき地獄が綴られていく。

お世辞にも読みやすい小説であるとは言えません。小説の内容に由来する読みにくさだけではなく、フォントがわざと読みにくいように組まれているのでしょう。だからこそ、読み解く側は必死になる。無数の紙葉の断片を繋ぎ合わせるジョニーのように。そして難民の少女への罪の意識から逃れようと足掻くネイヴィッドソンのように。

感服するのは、これがただの幻想小説ではなく、過去を克服し現在を取り戻そうとするネイヴィッドソンとその家族を描く通俗小説でもあり、ジョニーが生きる道を探そうとする青春小説でもあること。
既に絶版となっているため、興味のある方は見かけたらすぐに購入されることをお勧めします。

なお、本物のカメラマンのケヴィン・カーター氏は、「ハゲタカと少女」で有名な賞を受賞した直後に死亡した。


2.どの場所が、どの時代が、この愛を正当化しうるだろう 猶予の月(上・下)
 著:神林長平
 早川書房


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猶予の月(下)猶予の月(下)
(2013/11/15)
神林長平

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読み方は『いざよいのつき』です。『ゆうよ』じゃないよ。

『地球(リンボス)』の社会は、衛星『月(カミス)』によって事象制御されていた。月に住む理論士イシスと詩人のアシリスは、姉弟でありながら恋人同士の関係にあった。カミスの倫理は兄弟間の恋愛を許可しない。二人は事象制御装置を用いて、地球を舞台に二人の恋を正当化しうる世界のシミュレーションを開始した。
しかし、思わぬ誤算が起きる。カミスの凶悪犯罪者バールが二人の試み、そしてリンボスに介入してきたのだ。

姉弟はリンボスで引き裂かれ、バールと戦い、様々な「可能性」を彷徨いながら、恋への苦悩を深めていく。
恋への疑い、恋し続ける事の難しさ、恋が消えていく事の恐怖。その先に二人が選び取る未来を描いたSFの傑作。


3.破滅をさだめづけられた悪夢と因果の応報 ゾティーク幻妖怪異譚
 著:クラーク・A・スミス
 訳:大滝啓裕
 東京創元社


ゾティーク幻妖怪異譚 (創元推理文庫)ゾティーク幻妖怪異譚 (創元推理文庫)
(2009/08/30)
クラーク・アシュトン・スミス

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そこは、地球最後の大陸ゾティーク。降霊術師が死者の帝国に君臨し、妖女が男たちを籠絡する。善なき神は人々を蹂躙し、助けを求める声は誰にも届かない――。

1930年代~1950年代に書かれた連作短編集ですが、中でも読後に強烈な印象を残すのが5作目の『暗黒の魔像』。

物乞いの少年ナルトスは、若き王子ゾトゥッラに施しを求めるが、彼の馬に轢かれて重傷を負ってしまう。生死の境をさまよったナルトスは王子に復讐を誓い、強力な魔術師ナミッラとなって都に帰ってきた。
積年の恨みを晴らすべく復讐の支度にかかるナミッラだが、彼の奉じる神タサイドンは、復讐を止めるようナミッラを諌める。魔術師ナミッラの決断は――?

救いのない話が多いので決して万人受けはしませんが、緻密に構成された〈異界〉が病みつきになる一冊です。


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プロフィール

とよね

Author:とよね
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★印つきは連載中。

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